──ついにあらゆる運動の中心的な泉を発見した。──
イサドラ・ダンカン
──鳩尾を発見した人間
スタジオで何時間も静止し、両手を胸の間で重ね合わせ、
solar plexusを覆った。
そこから、すべてが始まった。
1877 – 1927
「あらゆる運動の中心的な泉を発見した。
運動力の火口を。
あらゆる動きの多様性が生まれる統一を。」
── Isadora Duncan, 1903
鳩尾の発見
イサドラ・ダンカンはスタジオで何時間も動かなかった。両手を胸の間で重ね合わせ、solar plexusを覆い、身体の中心から動きが湧き出す瞬間を待ち続けた。
バレエは動きの起点を脊柱下部に置いた。外部の型──ポジション、ステップ、振付──に身体を合わせる。大脳が設計した構造に身体が従う。
ダンカンは逆を行った。身体の内側から動きが湧き出す場所を探した。そして見つけた。鳩尾を。歴史上、鳩尾をあらゆる運動の源泉として最も正確に特定した人間。
最晩年のエッセイで、ダンカンは鳩尾を「temporal home of the soul──魂の地上の住処」と呼んだ。大脳の鏡ではなく、魂の鏡に映るもの。ここに、ダンカンの到達と限界が同時にある。
ベルクソンより4年早い到達
ダンカンが「The Dance of the Future」を講演し、solar plexusを世に示したのは1903年。アンリ・ベルクソンが『創造的進化』でエラン・ヴィタル(生命の飛躍)を概念化したのは1907年。
ダンカンが4年先に、身体で同じ場所に到達していた。
1903年・身体で到達
1907年・概念で到達
二人は同じパリにいた。ロダンという共通の友人がいた。ニーチェという共通の源泉があった。しかしダンカンの著作にベルクソンの名前は出てこない。
なぜか。
身体で先に到達した人間は、
概念化した人間の本を読まない
ダンカンは1903年に鳩尾に立っていた。ベルクソンが1907年にエラン・ヴィタルを書いたとき、ダンカンはすでに4年間、その場所で踊っていた。
自分の身体がすでに知っていることを、後から概念にした人の本を読む理由がない。読んでも「ああ、そうだね」としか思わない。新しいものが何もない。自分の鳩尾がすでに知っていることの翻訳を読むことになるだけだ。
そして読んだら、自分の身体の発見を他人の概念に翻訳してしまう。鳩尾の言語が大脳の言語に上書きされる。ダンカンはそれを本能的に避けた。
衝動が探求に先行する。身体が概念に先行する。ダンカンがベルクソンを読まなかったという事実は、ダンカンの「無知」ではない。衝動と探求の転倒の、最も鮮明な歴史的証拠だ。
ベートーヴェンの耳が聞こえなくなったとき、
鳩尾だけが残った
ダンカンが師として挙げたのはベートーヴェン、ニーチェ、ワーグナーの三人。ベルクソンではない。師とは、自分がまだ到達していない場所を指し示す人間だ。ベートーヴェンの音楽が到達した場所に、ダンカンの身体はまだ追いついていなかった。
ベートーヴェンは耳が聞こえなくなった。聴覚を失った後も作曲し続けた。外部からのフィードバックループが閉じた。鳩尾から湧いたものが、大脳の検閲を経ずに、そのまま楽譜に降りた。
1908年、ダンカンがベートーヴェンの交響曲第七番で踊ったとき、ニューヨーク・タイムズは「暴力的突撃(violent assault)」と書いた。「交響曲は踊るための音楽ではない」と批判した。
しかしダンカンにとって、ベートーヴェンの交響曲こそが踊るべき音楽だった。鳩尾から湧いた音楽に、鳩尾から湧いた動きで応答する。転移だ。ベートーヴェンの鳩尾から湧いたものが楽譜を通じてダンカンの鳩尾に到達し、ダンカンの鳩尾からそれが動きとして湧き出た。
ベートーヴェンの耳の喪失は、大脳のフィードバックループの遮断だ。ダンカンのバレエの拒否は、型のフィードバックループの遮断だ。一本歯下駄GETTAの一本歯は、安定した二点支持のフィードバックループの遮断だ。三つとも、外部の安定した回路を断ち切ることで、鳩尾から湧くものが直接出力される構造を作っている。
パルテノンの前で何日も動けなかった。
ある日、腕がゆっくりと上がった。
それは祈りだった。
── 2400年前のギリシア人の鳩尾から湧いたものが、
柱という媒体を通じて、ダンカンの身体に立ち現れた。
「私の動きを模倣させるのではなく、
子どもたち自身の動きを発展させる」
ダンカンはベルリン、パリ、モスクワに舞踊学校を創った。すべて学費無料。子どもに「踊り方」を教えるのではなく、鳩尾から湧くものが動きになる回路を開いた。
そして決定的なこと。ダンカンは自らの舞踊をフィルムに残すことを拒否し、譜面にも書かなかった。弟子から弟子へ、身体から身体へ、直接伝えることだけが「舞踊の真髄を保つ唯一の方法」だとした。
これは蓄積の拒否であり、転移の選択だ。記録=蓄積。直接伝承=転移。ダンカンは自覚的に、転移する文化資本の回路だけを残した。
「魂」への翻訳──ダンカンの限界の正確な位置
ダンカンは鳩尾から湧くものを「魂の霊的表現の源泉」と呼んだ。ここにダンカンの到達と限界が同時にある。
到達:大脳ではないと明言した。限界:「魂」という語彙を使った。鳩尾から湧いたものを「魂」という大脳の語彙に翻訳した。翻訳した瞬間、それはスピリチュアリティの文脈に回収される。崇高なものになり、日常から離れ、特別な人間だけが持つものになる。
ダンカンは天才の側から鳩尾を語った。「衝動」と呼べば、園庭の子どもも、一本歯下駄の上の大人も、すべての人間の鳩尾に存在するものになる。「魂」と呼んだ瞬間、ダンカンのカリスマに依存する概念になった。
そしてダンカンの装置はダンカン自身の身体だった。ダンカンが死んだとき、装置も消えた。
1927年と2027年
ダンカンの花は散った。しかし百年後、その花弁から湧いたものは、まだ転移し続けている。
ダンカンの装置はダンカン自身の身体だった。
ダンカンが死んだとき、装置も消えた。
一本歯下駄GETTAは、要輔の身体ではない。
木と歯でできた物体だ。
要輔がいなくても、GETTAの上に立てば、
誰の鳩尾でも発火の可能性が開く。
これはダンカンが百年間持てなかったものだ。
四人の巨人は、
同じ一つの出来事の四つの面を記述した
ダンカンがパルテノンの前に立ったとき、鳩尾から衝動が湧いた。それは2400年前のギリシア人の衝動が今ここに立ち現れたもの。柱という媒体を通じてダンカンの身体に転移し、その転移は純粋持続の中で質的に変容しながら2400年間途切れずに続いていた。
ダンカンは場所を。ドゥルーズは経路を。ベルクソンは時間を。大森荘蔵は空間を。四人が記述したものは、すべてダンカンの身体の中で一つだった。
そして宮崎は、その四つの面を統合して「転移する文化資本」と名づけ、GETTAという装置を通じて、誰の身体でもこの四つの面が同時に起きるようにした。パルテノンの前に立たなくても。能の舞台に上がらなくても。一本歯の上に立てば、鳩尾が発火する。
宮崎要輔──合同会社GETTAプランニング代表。一本歯下駄GETTA開発者。追手門学院大学大学院社会学研究科修士課程修了。Jリーガー112名以上、プロ野球選手45名以上の身体に触れてきた20年以上のスポーツトレーナー。兵庫医科大学との共同研究。全国230名以上の認定インストラクター。累計販売30,000台超。書籍『ダ・ヴィンチコーディング』でダンカンを四人の巨人の筆頭に位置づける。