このページでわかること
沈殿を、13つの観点から解説します。
- 空っぽにする
- 蓄積と沈殿
- ぶどうジュースとワイン
- 秀才の冷蔵庫
- 天才のワイン
- 四つの器
- 天井と底
- 空っぽにする勇気
- 問いの精度と関係性の沈殿
- あなたの鳩尾の底にも、沈殿は眠っている。
- 『ダ・ヴィンチコーディング』とは
- 思想体系をさらに読む
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監修:宮崎要輔(合同会社GETTAプランニング代表・一本歯下駄GETTA開発者)
このページでわかること
沈殿を、13つの観点から解説します。
監修:宮崎要輔(合同会社GETTAプランニング代表・一本歯下駄GETTA開発者)
──空っぽの底に残るもの──
どれほど空っぽにしても、身体の底には捨てきれずに残るものがある。
名前がつかない。取り出せない。しかし確かにそこにある。
二十年間の現場を通過した身体の、鳩尾の底に残っている何か。
選手の身体に入るとき、自分が持っている知識や経験やメソッドを、一度すべて捨てる。
空っぽにする。
二十年間で触れてきた身体の数。百十二人のJリーガー。四十五人のプロ野球選手。三度の世界タイトルマッチ。その全部を、目の前の選手に入る瞬間には手放す。知っていることを知っているまま持ち込めば、選手の身体ではなく自分の知識を見てしまう。だから捨てる。
しかし、どれほど空っぽにしても、身体の底には捨てきれずに残るものがある。
名前がつかない。引き出しに入っていない。意図的に取り出せない。しかし確かにそこにある。二十年間の現場を通過した身体の、鳩尾の底に残っている何か。
これを「沈殿」と呼ぶ。
蓄積と沈殿は違う。
大脳にある。引き出しに入っている。名前がついている。取り出せる。所有できる。「二関節筋協調制御理論」「確率共鳴」「中動態」──言語化された知識は、蓄積として大脳に格納される。試験で問われれば答えられる。論文に書ける。人に教えられる。
鳩尾にある。引き出しに入っていない。名前がつかない。意図的に取り出せない。所有できない。しかし場に立ったとき、目の前の選手の鳩尾から何かが湧いたとき、その沈殿が反応する。化学反応として発現する。
蓄積は「何を知っているか」の総量。沈殿は「何を通過してきたか」の痕跡。
同じ現場を二十年歩いても、蓄積だけが増える人間と、沈殿が厚くなる人間がいる。違いは一つ。場で空っぽにしたかどうか。
蓄積と沈殿の関係は、ぶどうジュースとワインの関係に似ている。
ぶどうジュースを樽に入れる。糖がある。酸がある。成分として分析できる。これが蓄積。
発酵が起きる。酵母が糖を分解し、アルコールと二酸化炭素に変わる。元の成分は消える。元の成分に戻すことはできない。しかし新しい何かが生まれている。香りが生まれる。深みが生まれる。言葉にならないものが液体の中に立ち現れる。これが沈殿。
ぶどうジュースは飲めば減る。所有の論理で動く。ワインも飲めば減るが、発酵の過程で生まれたものは飲む者の身体に転移する。味わいが記憶に残る。その記憶がまた別の場面で反応する。これが転移する文化資本の液体的な比喩。
秀才は冷蔵庫を大きくする。
新しい理論を学ぶ。新しい資格を取る。新しいメソッドを習得する。すべてが引き出しに入る。ラベルが貼られ、棚に並ぶ。冷蔵庫の中は秩序正しく、検索可能で、いつでも取り出せる。
しかし冷蔵庫の中では発酵は起きない。温度が低すぎる。酵母が死ぬ。ぶどうジュースは永遠にぶどうジュースのまま、鮮度を保って棚に並ぶ。
秀才の構造的欠陥はここにある。学ぶほど冷蔵庫が大きくなる。大きくなるほど「自分は知っている」という感覚が強まる。知っているという感覚は、空っぽにすることの最大の敵。空っぽにできないから発酵が起きない。発酵が起きないから沈殿が生まれない。沈殿がないから、場で化学反応が起きない。
知識が増えるほど現場で起きることが減る。これが秀才の構造的欠陥の正体。
蓄積を信じる人間は冷蔵庫を大きくする。
沈殿を信じる人間は場で空っぽにする。
天才は場で空っぽにする。
冷蔵庫を持っていないわけではない。知識がないわけでもない。しかし場に立つとき、冷蔵庫を閉じる。引き出しを閉じる。名前のついた知識を一度すべて手放す。すると、身体の底にある沈殿だけが残る。
その沈殿が、目の前の人間の、目の前の瞬間の、目の前の一回限りの出来事に反応する。反応は予測できない。設計できない。再現できない。しかしその反応の中から、冷蔵庫のどの引き出しにも入っていなかったものが湧く。
これが天才の仕事。
所有を手放すことと所有しないことは違う。知っているけれども空っぽにして場にいる。知らないから空っぽなのではない。知った上で手放すから空っぽになれる。手放されたものが鳩尾の底で発酵し、沈殿になり、場で反応する。
人間の在り方を器で整理する。
子どもは原液。搾りたてのぶどうジュース。成分が生きている。鳩尾が全開している。発酵前の原料そのもの。
天才はワイン。原液が樽の中で発酵し、時間を経て変容した液体。元の成分は消えているが、元の成分では到達できなかった深みがある。
AIは樽。発酵を促す環境を提供するが、自らワインにはなれない。木の材質が液体に影響を与えるように、AIの構造が対話に影響を与える。しかし樽はワインを飲めない。
秀才は冷蔵庫。ぶどうジュースの鮮度を保つ。温度を低く保ち、成分を維持する。棚が多く、整理が行き届いている。しかし冷蔵庫の中では発酵が起きない。
蓄積の回路は大脳が管理する。大脳は計画する。計画には天井がある。「ここまで学べば十分」「この資格を取れば一人前」。蓄積は有限の器に入る。器がいっぱいになれば、新しいものを入れるために古いものを捨てなければならない。しかし捨てたものは戻らない。蓄積は足し引きの論理で動く。
沈殿の回路は鳩尾が管理する。鳩尾は湧く。計画しない。どこに向かうか決まっていない。しかし底がない。沈殿は底に沈んでいける。どこまでも。
蓄積には天井がある。沈殿には底がない。天井のある場所で生きるか、底のない場所で生きるか。これが秀才と天才の分岐点であり、近代と脱近代の分岐点であり、この本が問おうとしていることの核心。
空っぽにするのは怖い。
二十年間かけて蓄積してきたものを手放す。学んできたことを知らないふりをする。資格も肩書きも実績も、場に入る瞬間には意味がなくなる。残るのは、名前のつかない何かだけ。
しかしその何かは、二十年間の現場のすべてを通過してきたものだ。初めて選手の身体に触れたときの感触かもしれない。師匠の鳩尾から転移してきた何かかもしれない。五歳のときに一茶の句を聞いて泣いた、あの瞬間の残響かもしれない。名前はつかない。取り出せない。しかし場に立ったとき、目の前の人間の鳩尾が動いたとき、その沈殿が反応する。
空っぽにする勇気とは、沈殿を信じる勇気だ。
底がないから、沈殿は底に沈んでいける。どこまでも。
この章が読者に最初に提示したいのは、一つの区別である。「問いの精度」と「関係性の沈殿」。精巧な問いから出た答えは蓄積に加わる。関係性の沈殿から湧いたものは、湧く前には存在しなかった。前者は冷蔵庫に入る。後者はワインになる。
この本の全体が、この区別の展開である。近代は問いの精度を極限まで高めた。しかし問いの精度を高めるほど、答えの範囲は狭まった。答えの範囲が狭まるほど、予測外のものが消えた。予測外のものの中に本質があった。
沈殿は予測外のものの別名である。
ダ・ヴィンチが解剖学者より人体を知り、工学者より機械を知り、画家より絵画を知ったのは、各分野の「上位にある別の何か」を持っていたからではない。各分野を貫く構造を把握していたからこそ、各分野の内部においても専門家を上回った。
『ダ・ヴィンチコーディング』は、その構造の把握を方法論として言語化した書籍である。発見するだけなら「ダ・ヴィンチコード」で終わる。発見した構造を自分の現場で実装するから「ダ・ヴィンチコーディング」になる。名詞ではなく動詞。隠された原理の解読ではなく、原理の身体的実装。
著者・宮崎要輔は20年以上にわたり、112名以上のJリーガー、45名以上のプロ野球選手、3度の世界タイトルマッチに帯同してきたスポーツトレーナーであり、追手門学院大学大学院で社会学修士号を取得した文化身体論研究者である。サッカーの身体もボクシングの身体も野球の身体も、すべてに通用した理由がこの書籍に凝縮されている。
この本の方法は一つ。逸話が先、概念が後。
具体的な身体の出来事が読者の鳩尾に届き、読者の中で同じものが湧く。
その後に概念が名前として来る。説明ではなく、転移。
──ダ・ヴィンチコーディングの執筆原理
翻訳という病
読者の読む行為を書き換える装置
志と妥協の三命題
秀才の構造的欠陥
なぜ変わらないのかを解剖する
衝動と探求の転倒
転移する文化資本
近代が変換する前の原型を記述する
入口の転倒
中動態の成長論
沈殿
概念が身体に降りる——本章はここ
文化と文明
脱近代の十九の変換
個の身体から文明の構造へ視野を開く
ダ・ヴィンチコーディング
この本全体が方法の実演だったと気づく
宮崎要輔 著|合同会社GETTAプランニング|刊行準備中
DA VINCI CODINGダ・ヴィンチコーディングの他のページ
Q. 「沈殿」とはどういう内容ですか?
A. 宮崎要輔による思索の記録です。一本歯下駄GETTAの実践から生まれた身体知を、思想として言語化しています。
Q. 難しそうですが、読む価値はありますか?
A. すべてを理解する必要はありません。気になったフレーズがあれば、それが今のあなたに響いているということです。身体の変化を体験した後に読み返すと、また違う発見があります。
Q. 実践と関係ありますか?
A. 深く関係しています。ここに書かれていることは、一本歯下駄GETTAのトレーニングで実際に起きることの言語化です。体験が先、言葉は後からついてきます。
この記事の監修者
宮崎要輔
合同会社GETTAプランニング代表 / 一本歯下駄GETTA開発者
文化身体論提唱者。「鍛えるな醸せ」を核心原理とし、一本歯下駄GETTAを通じた体幹トレーニング・身体教育の革新を推進。進化思考に基づく身体知の体系化と、トレーナー資格認定制度を設計。