このページでわかること
近代が身体から奪ったものを、9つの観点から解説します。
- 靴を履いた日
- 近代はすべて同じ方向に変換した。
- 目録──原型と変換後
- 文化と文明──九軸の対比
- 器と中身
- 生成身体とは、この二十の変換の原型を取り戻す試みである。
- 思想体系マップ
- 二十の変換を、足裏で逆転させる
- 関連ページ
監修:宮崎要輔(合同会社GETTAプランニング代表・一本歯下駄GETTA開発者)
このページでわかること
近代が身体から奪ったものを、9つの観点から解説します。
監修:宮崎要輔(合同会社GETTAプランニング代表・一本歯下駄GETTA開発者)
──すべて同じ方向に変換された。──
身体から湧くものを大脳に移し替え、
所有と蓄積に変えた。
二十の領域で同時に起きた変換の全記録。
人は靴を履いた。足を守り、舗装された道を速く歩けるようになった。椅子に座った。腰が楽になり、長時間の作業が可能になった。平地を造成した。建物が建ち、都市が生まれた。一つ一つの変化には、否定しようのない合理性がある。
しかし靴を履いた瞬間、足裏のメカノレセプターは沈黙を始めた。椅子に座った瞬間、多裂筋の固有受容器が休眠に入った。平地に立った瞬間、小脳が予測モデルを更新する必要がなくなった。
これが、二十の変換の第一歩だ。
身体から湧くものを、大脳に移し替える。
所有と蓄積に変える。
衝動を探求に。転移を蓄積に。立ち現れを表象に。
持続を空間化された時間に。中動態を能動態に。
動詞を名詞に。鳩尾を前頭前皮質に。
醸造を生産に。参与を所有に。
心地よさを意志に。在り方を数値に。
各カードをタップすると、変換の構造が展開されます。左が文化(原型)。右が文明(変換後)。すべてが同じ方向を向いている。
+
裸足で石を踏み、一本歯で揺れ、木の根を越える──不安定な環境は足裏のメカノレセプターに膨大なデータを送り続け、小脳の予測モデルを磨き続けた。靴と平地がそのデータを遮断した。
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最大速度スプリントの接地時間は80〜100ms。フィードバックループの最低所要時間は40〜55ms。間に合わない。身体は本来、小脳の予測モデルで先行制御する。近代は「分析→修正」を上位に置いた。
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園庭で泥団子を握っている子どもは問いを立てていない。手が動いている。鳩尾が動いている。探求学習は先生の設計ツールとして正確に機能する。しかし子どもの側では、衝動が先で問いは後だ。
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園庭で一人が走り出す。隣の子の鳩尾にも衝動が湧く。蓄積されない。所有できない。しかし持続する。ブルデューは蓄積の構造を正確に記述したが、蓄積の手前にあるこの転移は射程の外にあった。
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「たまたまです」「ボールでしたね!笑」──五度の手術を経た投手の試合後の言葉は謙遜ではない。正確な記述だ。投げたのではなく、投げることが起きた。在り方が戻った場所で、成長が勝手に起きた。
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ベルクソンの純粋持続──五分前の自分と今の自分は量的に五分の差があるのではなく、質的に異なる存在になっている。近代は時計の目盛りで時間を量に変え、蓄積の対象にした。
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トレーニングが続かないのは意志の弱さではない。入口の問題だ。入口が大脳(目標設定・動機づけ)にあるから枯渇する。入口が身体(足裏の心地よさ)にあれば、持続は勝手に起きる。
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蓄積は所有できる。所有できるから比較できる。比較できるから序列が生まれる。序列が生まれるから競争が生まれる。転移は所有できない。参与するしかない。参与した全員の間に起きた出来事だ。序列が生まれないから、競争ではなく共振が起きる。
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在り方が戻れば、成長は勝手に起きる。数値の向上はその帰結であって目的ではない。天井を突き抜けることではなく、天井が存在する部屋から出ること。部屋の外には天井がない。
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志があるから妥協が生まれる。志がなければ妥協もない。志を高く掲げるほど、そこに至れない自分との距離が妥協を増殖させる。美学とは今この瞬間が完結していること。世界タイトルマッチの朝、妻が倒れ、それでもリングに立った。立つことが目標ではない。立つことがそのまま完結していた。
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衝動が先、探求が後。この順序を逆転させたのが近代だ。探求を否定する必要はない。探求は先生の設計ツールとして正確に機能する。しかし子どもの側では、大人の側では、選手の側では──衝動が本質だ。
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大森荘蔵の立ち現れ一元論──目の前のりんごは脳内の表象ではなく、そのまま立ち現れている。園庭で走りがうつる瞬間、コピーは介在していない。走りたいという衝動が直接転移している。
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イサドラ・ダンカンは1903年、solar plexusを指し示した。衝動の座を身体の中に特定した最初の記述。しかしダンカンはそれを「soul」と呼んだ。翻訳した。翻訳した瞬間、百年の回り道が必要になった。
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子どもの「もう一回」は深層の衝動だ。身体感覚の持続が駆動力。28歳を過ぎた頃、表層の衝動(記録・タイトル)は枯渇する。しかし深層の衝動がまだ生きている選手は変容し続ける。
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味噌蔵の蔵付き菌は誰のものでもない。蔵に属している。しかし蔵に入った人間の身体に浸透する。ポランニーの暗黙知を二層に分ける──表象される暗黙知(模倣・個人に蓄積)と、立ち現れる暗黙知(転移・場所に属する)。
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模倣は表象を経由する。相手の動きを脳内にコピーし再現する。一方向。衝動の転移は表象を経由しない。双方向。連鎖的。一人が走れば隣の身体が応答する。応答はコピーではない。同じ衝動が別の身体から湧いただけだ。
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前近代の身体は腱で動いていた。弾性エネルギーの蓄積と解放。近代のスポーツ科学は筋肉を前面に出した。筋力トレーニング、筋電図、筋断面積。腱は「附属品」になった。文化身体論の二十年以上の原点がここにある。
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天才とは、生命が生命らしくあろうと務めた時に立ち現れる現象である。名詞として個人に帰属させた瞬間、天才は蓄積の回路に回収される。動詞として──現象として──天才は所有できない。序列に入らない。
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自由とは制約からの解放ではなく、制約の浸透だ。ある日、制約が自分になる。一本歯下駄は制約だ。接地面が極小で、不安定で、足裏が痛い。毎日立ち続けると、ある日、下駄が自分の身体の一部になる。
+
味噌蔵の蔵元は菌を管理しているのではない。発酵が起きる環境を整えている。230名のインストラクターは専門家のネットワークではない。転移する文化資本の回路を開く醸造家だ。教えているのではない。醸しているのだ。
二十の領域。
すべてが同じ方向を向いていた。
身体から湧くものを、大脳に移し替える。
文化を、文明に変換する。
二十の変換の通底構造を九つの軸に整理する。あらゆるものが文化の側にあるか文明の側にあるかを、この九軸で判定できる。
| 文化(原型) | 文明(変換後) | |
|---|---|---|
| 湧く | vs | 設計する |
| 転移する | vs | 蓄積する |
| 場所に属する | vs | 制度に属する |
| 発酵する | vs | 生産する |
| 中動態 | vs | 能動態 |
| タイムマシン | vs | 直線(進歩) |
| 湧いたかどうか | vs | 量で測る |
| スケールしない | vs | スケールする |
| 鳩尾 | vs | 大脳 |
近代以前、文明は文化の器だった。茶道の制度が茶室の共振を次の世代に届け、能の流派が舞台の発火を次の世代に届けた。器が中身を守り、運び、届けていた。
近代とは、器が中身を飲み込んだ状態である。脱近代とは、器を壊さずに中身を取り戻すことである。怒りがなく、否定がなく、回復だけがある。
一本歯の上に立つ。足裏のメカノレセプターが一斉に発火する。小脳のフィードフォワード制御が再起動する。前頭前皮質が静まる。鳩尾が応答する。近代が二十年かけて閉じた回路が、一本歯の上で再び開く。
脱近代は思想ではない。身体の出来事だ。
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Q. 近代が身体から奪ったものとは何ですか?
A. 椅子、靴、スクリーン——近代社会の当たり前の道具が、私たちの身体からどんな能力を奪ってきたのかを論じています。一本歯下駄GETTAが「取り戻す」ものの意味が見えてくるページです。
Q. 読んで何が変わりますか?
A. 日常の身体の使い方への意識が変わるかもしれません。問題は個人の運動不足ではなく、近代という構造にあるという視点は、トレーニングの捉え方そのものを変えます。
この記事の監修者
宮崎要輔
合同会社GETTAプランニング代表 / 一本歯下駄GETTA開発者
文化身体論提唱者。「鍛えるな醸せ」を核心原理とし、一本歯下駄GETTAを通じた体幹トレーニング・身体教育の革新を推進。進化思考に基づく身体知の体系化と、トレーナー資格認定制度を設計。