TAKEUCHI TOSHIHARU ── 竹内敏晴と竹内レッスン
ことばは、
からだから劈(ひら)かれる。
幼少期の難聴で「ことばを失った」経験から、竹内敏晴は声が相手に届くとは、からだが相手に向かって開くことだと発見した。竹内レッスンは演技訓練ではない。話しかけ、触れ、立ち、歩く──からだの原点に戻る教育である。
ことばを失った少年が、ことばの身体を発見するまで
竹内敏晴は幼少期の病気で聴力を失い、少年期まで人と話すことが困難だった。聴力が回復したのちも「話しかけても届かない」感覚に苦しみ、その経験が生涯の問い──声が届くとはどういうことか──になった。答えは発声法ではなく、からだにあった。
ことばが劈かれるとき
主著の題名にある「劈く」は、閉じたものが裂けて開く意。竹内にとってことばはのどから出るのではなく、からだ全体が相手に向かって裂け開くときに生まれる。声が届かない人は、からだが閉じている。
「あなた」に届く声
竹内レッスンの核心は「話しかけ」である。目を閉じた相手の背後から声をかけ、相手が「自分に話しかけられた」と感じたら手を挙げる。声の大きさではなく、からだが相手に向いているかで届くかが決まる。多くの人が、最初は誰にも届かない。
演技訓練から人間教育へ
竹内は演出家として俳優を訓練する中で、演技の問題が生きることの問題と分けられないことを知った。竹内レッスンは1970年代以降、演劇を超えて教育・福祉・医療・保育の現場に広がり、「からだとことばの会」として全国に展開した。
力を抜くことと、開くこと
竹内は野口三千三の野口体操に深く学んだ。力を抜き重さに任せる野口の身体と、相手に向かって開く竹内の身体は、同じ「固めない身体」の二つの側面である。竹内レッスンには野口体操の動きが取り入れられている。
声が届かないのは、声が小さいからではない。からだが相手に向かっていないからだ。からだが開けば、ささやきでも届く。── 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』の要旨
略年譜
東京に生まれる
幼少期に病気で聴力を失い、ことばの獲得が遅れる。
聴力の回復と葛藤
聴力は回復するが「話しても届かない」感覚が続く。この経験が生涯の問いとなる。
演出家として
演劇の世界に入り、演出家として活動。俳優の声とからだの問題に直面する。
野口体操との出会い
野口三千三に学び、「力を抜く身体」を演劇訓練に導入。竹内レッスンの原型が形成される。
『ことばが劈かれるとき』刊行
思想の科学社より刊行。のちちくま文庫。自伝的体験と身体論を統合した代表作。
竹内レッスンの展開
「からだとことばの会」を主宰。演劇を超えて教育・福祉の現場へ広がる。
著作と実践の深化
『からだが語ることば』『教師のためのからだとことば考』『声が生まれる』など多数刊行。
逝去
84歳で没。竹内レッスンは各地の実践者によって継承されている。
竹内レッスンの4つの基本形
話しかけのレッスン
目を閉じて座る相手に背後から話しかけ、「自分に向けられた」と感じたら手を挙げてもらう。声の大きさと届く/届かないは無関係であることを体験する。からだが相手に向いたとき、初めて届く。
触れるレッスン
相手の背中や肩に手を当て、「触れる」と「触る」の違いを体験する。触れる手は相手を対象化せず、相手のからだと一つになる。愉気と重なる。
立つ・歩くレッスン
野口体操を取り入れ、力を抜いて立ち、重さに任せて歩く。固めた身体では声は出ない。立ち方が声を決める。
声のレッスン
発声法ではなく、からだが開いたときに自然に出る声を探す。呼吸を止めず、鳩尾を固めず、相手に向かう。声は技術ではなく状態である。
READ, THEN WEAR ── 概念を、読むのではなく履く
ことばが劈かれる身体は、足裏から開く。
声と体幹を同時に整える一本の歯。
竹内レッスンの足元。
「劈く」の身体論──閉じた身体はなぜ届かないか
閉じた身体──防衛としての固さ
竹内は、多くの現代人のからだが「閉じている」と観察した。肩が上がり、鳩尾が固まり、呼吸が浅く、視線が相手に届かない。それは傷つくことへの防衛として身につけた固さであり、幼少期からの積み重ねである。閉じた身体からは、届く声も、触れる手も出ない。
劈かれる──開くことは裂けること
竹内が「開く」ではなく「劈く」を選んだのは、閉じた身体が開くことは痛みを伴う裂け目だからである。話しかけのレッスンで初めて声が届いたとき、多くの人が涙を流す。それは技術の獲得ではなく、防衛の解除である。からだが裂け開いて、初めてことばが生まれる。
鳩尾と呼吸──声の物理的基盤
竹内は声の問題を「のど」ではなく「鳩尾」に見た。鳩尾が固まると横隔膜が動かず、呼吸が浅くなり、声は胸で止まる。鳩尾が緩み、呼吸が腹まで落ちたとき、声はからだ全体から出る。GETTAの「小脳-鳩尾ループ」「解像度の七層」が到達点とする鳩尾を、竹内は声の側から発見していた。
竹内レッスンと一本歯下駄──開く身体の二つの入口
固めた身体では立てない
竹内が「閉じた身体」と呼んだ固さ──上がった肩、固まった鳩尾、浅い呼吸──は、一本歯下駄の上では即座に転倒を招く。道具が、閉じた身体を許さない。
鳩尾が緩むと立てる
一本歯下駄で安定する瞬間、鳩尾が緩み呼吸が腹に落ちる。竹内が声のために求めた状態と、GETTAが立位のために求める状態は同じ鳩尾の解放である。
揺れながら話しかける
一本歯下駄の上で話しかけのレッスンを行うと、固めた瞬間に倒れ、開いた瞬間に届く。道具が「届く/届かない」の身体的条件を可視化する。
「劈く」と「醸す」
竹内の「劈く」は閉じた身体が裂け開く瞬間、GETTAの「醸す」は開いた身体が発酵していく過程。劈かれなければ醸されない。醸されれば再び閉じない。二つの動詞は、一つの身体変容の前半と後半である。
声とからだのレッスンを一本歯下駄と統合する
開いた身体を可視化する
一本歯下駄に乗った状態で、目を閉じた相手に話しかける。固めると倒れ、開くと届く。
- 話し手は一本歯下駄、聞き手は椅子で閉眼
- 「届いた」と感じたら手を挙げてもらう
- 届かなかったとき、話し手は自分の鳩尾と肩を観察
- 届いたときの身体状態を言語化
届く声の身体的条件が、揺れとして体感される。
立位の前に
一本歯下駄に乗る前、鳩尾に手を当て、呼吸が腹まで落ちることを確認する。
- 鳩尾に手を当て、固さを感じる
- 吐く息で鳩尾が緩むのを待つ
- 腹部360度の拡張を確認
- 緩んだ状態で一本歯下駄へ
鳩尾が固いまま乗ると、上半身が硬直し倒れやすい。
竹内の「触れる」で支える
初心者の補助は「支える」ではなく「触れる」。相手を対象化せず、手を当てて一つになる。
- 肩や腰に手を「置く」(掴まない)
- 相手の揺れに手を同調させる
- 安定したら手の圧を減らし、最後に離す
- 「支えられた」ではなく「一緒に立った」感覚を残す
愉気(野口晴哉)と触れるレッスン(竹内)は同じ手である。
呼吸と歩行の統合
一本歯下駄で歩きながら、母音を伸ばして声を出す。声が途切れる瞬間が、身体が固まる瞬間。
- 「あー」と声を出しながら10歩
- 声が揺れる・途切れる箇所を観察
- 鳩尾を緩めて再試行
- 声が安定する歩き方を探す
声は身体の固さの最も鋭敏な指標である。
劈かれることの痛み
竹内レッスンは深い感情を動かすことがある。指導者は安全な場を保つ責任を持つ。
- 涙や感情の表出を評価も否定もしない
- 無理に「開かせ」ない(劈かれるのは本人の時)
- 身体的安全(転倒防止)を最優先
- 専門的な心理的支援が必要な場合は連携
開くことは強制できない。条件を整え、待つ。
| 竹内レッスン | 核心 | 一本歯下駄での対応 |
|---|---|---|
| 話しかけ | からだが向くと届く | 揺れながら話しかける |
| 触れる | 対象化しない手 | 触れる補助 |
| 立つ・歩く | 重さに任せる | 一点支持での立位 |
| 声 | 鳩尾の解放 | 声を出しながら歩く |
引用文献・推奨資料
- 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』ちくま文庫 (1988)
- 竹内敏晴『からだが語ることば』評論社 (1982)
- 竹内敏晴『教師のためのからだとことば考』ちくま学芸文庫 (1999)
- 竹内敏晴『声が生まれる──聞く力・話す力』中公新書 (2007)
- 竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』講談社現代新書 (1990)
- 竹内敏晴『思想する「からだ」』晶文社 (2001)
- 野口三千三『原初生命体としての人間』岩波現代文庫 (2003)
- 鷲田清一『「聴く」ことの力──臨床哲学試論』ちくま学芸文庫 (2015)
図鑑を読みながら、身体で確かめる。
一本歯下駄GETTAは、この図鑑の知を身体で検証するための装置です。読んで終わりにせず、履いて揺れてください。
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EMBODIED PHILOSOPHY ── 履いた日から、概念は経験になる
からだとことばのレッスンを、足元に。
話しかける身体の一足。
最初の一足。


