身体技法とは|モースが拓いた身体の人類学
マルセル・モースが1934年の講演で定式化した、各社会がその成員に伝承する「身体の用い方」の体系。歩き方・泳ぎ方・休息の姿勢までもが文化的に形づくられる――この洞察は、ハビトゥス論・身体図式論・日本の身体文化論、そしてGETTAの「転移する文化資本」へとつながる。
モースの定義──身体は最初の道具である
モースは「身体技法」(Les techniques du corps)を、1934年に心理学会で講演し、1936年に『Journal de Psychologie』誌上で発表した。彼は身体技法を「人間が社会ごとに、伝統的なしかたで身体を用いる仕方」と定義する。
その核心は、身体が「人間の最初にして最も自然な道具(the first and most natural instrument)」であるという洞察にある。技術というと道具や機械を思い浮かべるが、それ以前に、身体そのものが社会的に組織された技術なのだ。モースは「身体の人類学」の父と称される。
具体例──歩き方・泳ぎ方・休息・睡眠
モースは多彩な実例を挙げた。歩き方は民族・時代で異なり、彼は第一次大戦中、イギリス兵とフランス兵の行進の差に気づいた。泳ぎ方も世代で変わり、かつて教えられた「水を飲んで吐く」泳法は廃れた。さらに走り方・しゃがみ方・休息の姿勢・出産や授乳・睡眠の作法まで、すべてが社会的に変異する。
ハビトゥスの源流──モースからブルデューへ
モースはこの講演で、ラテン語habitus(ハビトゥス)を鍵語として用いた。これは単なる「習慣(habitude)」ではなく、社会・教育・威光によって身体に刻まれた後天的な能力の総体を指す。アリストテレスのヘクシス(hexis)に遡るこの語を、のちにピエール・ブルデューが社会学の中心概念として展開し、文化資本論へと結実させた。身体技法は、ハビトゥス論の出発点である。
系譜──身体図式・現象学・身体の社会学
身体技法の洞察は二〇世紀の身体論を貫く水脈となった。メルロ=ポンティの身体図式は、習慣的身体が世界へと開かれる様を現象学的に深めた。社会学では身体の社会学(倉島哲ほか)が、人類学では川田順造の「モノ・身体・ことば」の比較研究が展開された。身体技法は分野を横断する結節点である。
日本における身体技法論
日本でも身体技法は豊かに論じられてきた。野村雅一は身ぶり・しぐさの人類学を、矢田部英正はたたずまい・坐の文化を、そしてナンバや型、能・武道の所作が、日本固有の身体技法として検討された。着物・正座・草履といった生活の道具が、独自の身体技法を育んできたのである。
全体的社会的事実とモースの方法
モースの思考の核には「全体的社会的事実(fait social total)」がある。贈与や身体技法のような現象は、経済・宗教・法・美・身体を一挙に貫いており、ばらばらの要素に分解できない。身体技法もまた、生理・心理・社会の三契機が分かちがたく結びついた全体として現れる。モースは、こうした全体性を捉える比較人類学を切り拓いた。
具体例の精査──行進・水泳・出産・睡眠
モースは具体例を積み重ねる。第一次大戦中、彼はイギリス軍とフランス軍で行進や鍬の使い方が異なり、互いに移植できないことに驚いた。水泳では、かつて教えられた「水を飲んで吐く」泳法が一世代で廃れた。さらに走り方、しゃがみ方、休息の姿勢、出産や授乳の体位、睡眠の作法(枕の有無、立って眠る民族)まで、すべてが社会的に変異する。身体技法は文化の数だけ存在するのである。
「ハビトゥス」の語誌──ヘクシスからブルデューへ
モースは「習慣(habitude)」では足りないとして、あえてラテン語habitusを選んだ。これはアリストテレスのヘクシス(hexis)=反復で身についた性向に遡る語である。社会・教育・威光が身体に刻む後天的な能力の総体を指すこの概念を、のちにピエール・ブルデューが界(champ)・文化資本と結びつけ、社会の再生産を説明する中心装置へと展開した。
身体の人類学の展開
身体技法の洞察は、身体の人類学・社会学を生んだ。メアリ・ダグラスは身体を社会の象徴体系として読み、メルロ=ポンティの現象学は習慣的身体の世界内存在を深めた。武術道場のフィールドワークのように、身体技法は今日も具体的な実践研究の主題であり続けている。
日本の身体技法論の系譜
日本では、野村雅一が身ぶり・しぐさの人類学を、矢田部英正がたたずまい・坐の文明を、倉島哲が身体技法と社会学的認識を、川田順造がモノ・身体・ことばの比較を展開した。ナンバや型、正座、能・武道の所作は、着物・草履・畳といった生活の道具系と不可分に育まれた、日本固有の身体技法である。
主要文献ガイド
原典はモース「身体技法」(『社会学と人類学Ⅱ』弘文堂所収)。『贈与論』と併読すると全体的社会的事実の方法が掴める。日本語では野村雅一『身ぶりとしぐさの人類学』、矢田部英正『たたずまいの美学』、倉島哲『身体技法と社会学的認識』が導入に適する。
GETTA思想体系との接続──転移する文化資本としての身体技法
GETTAの思想は、身体技法論の現代的継承である。一本歯下駄は、現代生活で痩せ細った足裏感覚と全身連鎖の身体技法を更新する装置として位置づけられる。そして「転移する文化資本」――わが子への愛が子どもたちへの愛へと広がるように、優れた身体技法は身体から身体へ、世代から世代へと伝承される。
モースの「威光模倣」は、まさに優れた指導者の身体が学習者の身体を組み変える過程である。GETTAは、この伝承を「鍛える(強制)」のではなく、環境への応答として身体が自ずと組み変わる中動態的な技法習得として再設計する。身体技法は、文化身体論の礎石である。
身体技法の分類(詳説)
ライフサイクルによる分類
モースは身体技法を人生の段階で整理した。誕生と産科(出産の体位、新生児の扱い)、幼少期(離乳、歩行の習得、しつけ)、青年期(運動・舞踊・性の技法)、成人期(睡眠・休息・労働・ケア)。各段階で社会は身体に固有の技法を刻む。
性別と分業
身体技法は性別によっても分化する。投げ方・座り方・歩き方の差異は生得的というより、社会が男女の身体に異なる技法を教え込んだ結果である面が大きい、とモースは示唆した。
効率と伝統
身体技法は、最大の効率を備えつつ伝統的に伝えられる。新しい技法は「威光ある模倣」を通じて広まり、やがて社会の標準となる。効率と伝統の二重性が、身体技法の変化と持続を説明する。
身体技法と現代(詳説)
スポーツ科学との接続
身体技法論は、フォームやコーチングを文化的構築として捉える視座を与える。「正しい走り方」もまた歴史的・文化的に形成された技法であり、ナンバの議論はこの相対性を可視化する。
身体技法の更新
現代生活は、椅子座・舗装路・既製の靴によって特定の身体技法を標準化し、足裏感覚や全身連鎖を痩せ細らせた。だが身体技法が後天的である以上、それは更新できる。ここに、痩せた技法を組み直す装置としての一本歯下駄の意義がある。
主要文献ガイド(詳説)
モース『社会学と人類学』
「身体技法」「贈与論」を収める論文集。身体技法論の原典であり、贈与論と併読すると全体的社会的事実の方法が掴める。
ブルデュー『実践感覚』『ディスタンクシオン』
モースのハビトゥスを社会学の中心概念へ展開。文化資本・界とともに社会の再生産を説明した。
野村雅一・矢田部英正・倉島哲
日本の身体技法論。野村『身ぶりとしぐさの人類学』、矢田部『たたずまいの美学』『坐の文明』、倉島『身体技法と社会学的認識』が導入に適する。
身体技法論の展開史
モースの1934年の講演は、二〇世紀の身体研究の源流となった。社会学ではブルデューがハビトゥス論へ、哲学ではフーコーが規律訓練(discipline)論へ、フェミニズムではアイリス・ヤングが「女性の身体経験」論へと展開した。
現象学ではメルロ=ポンティの身体図式が、習慣的身体の世界内存在を深めた。日本では、近代化のなかで失われた身体技法(正座・所作・ナンバ)への反省が、独自の身体文化論を生んだ。
誤解と正しい理解
誤解①「身体の使い方は自然で普遍的だ」──正しくない。歩き方も泳ぎ方も座り方も、社会・歴史によって変異する。「自然な」身体技法は存在しない。
誤解②「身体技法=意識的に身につけた技術」──多くは無意識的な習慣として、幼少期から威光ある模倣を通じて身体に刻まれる。意識的技能だけを指すのではない。
一次文献・学術ソース
本ページの記述は以下の一次文献・権威データベースで裏取りしている。
- Marcel Mauss «Les techniques du corps» (1934) 原文(UQAM, Les classiques)モースの原論文フランス語全文。
- Mauss, M. "Techniques of the Body" 英訳PDF(Monoskop)Ben Brewster英訳の全文PDF。
- コトバンク「モース(Marcel Mauss)」事典による人物・業績の解説。
- Respecifying Body Techniques(CiNii Research)モース『身体技法』の再読と武術道場の事例研究。
- en.wikipedia「Marcel Mauss」英語圏の標準的解説。
- コトバンク「贈与論」全体的社会的事実の方法を示す代表作の解説。
よくある質問
歩くことさえ、文化である。
「自然な」歩き方など、どこにもない。私たちの一歩は、社会と歴史が身体に書き込んだ技法だ。
ならば身体は、書き換えられる。一本歯下駄は、その更新の場である。痩せた身体技法を、足裏から鳩尾まで、もう一度ひらく。