語源・概念史図鑑— Etymology & Conceptual History —
ラテン語 resilire(再び跳ぶ)から、Holling 1973の生態学論文、Werner、Cyrulnik、UNDRR、IPCC、100RC、内閣官房まで——「跳ね返る力」が学問領域を越境した約2300年の系譜を辿る。
定義Definition
レジリエンス(resilience)とは、ラテン語 resilire(再帰の接頭辞 re- + salire「跳ぶ」)に語源を持つ。原義は「跳ね返る/再び跳ぶ」であり、17世紀の英語圏では Francis Bacon らの自然学的著作で「物体が外力を受けて変形しても元の状態へ戻る性質(弾性)」を意味する物理・材料用語として用いられた。20世紀後半に、C.S. Holling の生態学論文(1973)を起点として生態系・心理・社会・防災・都市・気候へと領域を越境し、現在では「衝撃を吸収しつつ機能・アイデンティティ・構造を保ち、より良く立ち直り、必要なら新しい形へ移行する重層的な力」として国際標準化されている。
本論Discussion
1. 語源 — ラテン語 resilire から英語 resilience へ
resilience の語幹 resilire は古典ラテン語の自動詞で、Cicero や Pliny の文献で「跳ね返る」「逃げ戻る」の意で使われた。派生名詞 resilientia は中世ラテン語で記録され、17世紀末に英語 resilience として定着する。
近代物理学では Thomas Young の弾性論(1807)の系譜で、外力を受けて変形した物体が原状に復帰する性質を表す技術用語として用いられた。つまり 「跳ねる × 元に戻る」という二重の運動性こそが、語源段階での resilience の核心である。
2. 1973年 — Holling の生態学論文が転換点
カナダ・米国の生態学者 Crawford Stanley ‘Buzz’ Holling(1930.12.06–2019.08.16)は、Annual Review of Ecology and Systematics 第4巻に 「Resilience and Stability of Ecological Systems」(pp.1–23, 1973)を発表する。原論文 PDF。
Holling はここで 「工学的レジリエンス」(engineering resilience — 平衡点へ戻る速さ)と「生態学的レジリエンス」(ecological resilience — 攪乱を吸収し別の安定領域へ移行せずに同じ構造・機能・アイデンティティを保つ大きさ)を区別した。これが現代レジリエンス論のすべての出発点である。
3. 心理学 — Werner のカウアイ島研究(1955-)
米国の発達心理学者 Emmy E. Werner(1929–2017)は、1955年にハワイ・カウアイ島で生まれた698人を約40年間追跡した縦断研究を実施。貧困・出産時合併症・家庭機能不全という重複リスクを抱えたハイリスク群のうち、約3分の1が「caring, competent, confident な成人」へと育つことを発見した。Vulnerable but Invincible(McGraw-Hill, 1982)にこの知見がまとめられ、レジリエンスは心理発達のキー概念となる。
4. 災害・都市 — 9/11 → 3/11 → 100RC
2001年9月11日の同時多発テロを契機に、米国の防災・国土安全保障の議論でレジリエンスが急速に拡散する。続く2011年3月11日の東日本大震災は、日本における国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)の制度化を加速し、2013年に「強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化基本法」が制定された。
2013年、ロックフェラー財団は 100 Resilient Cities(100RC)イニシアチブを開始。2014年12月に富山市、2016年5月に京都市が選定され、世界100都市の都市政策の共通言語となった。
5. 17-19世紀 — 物理学・材料工学における resilience
Francis Bacon は Sylva Sylvarum(1626)で resilience を「物体の反発・退避」の意で複数回用いた。これは現代の弾性概念の萌芽である。続く17世紀末から18世紀にかけて、Robert Hooke の弾性法則(1660)、Daniel Bernoulli の流体力学(1738)の発展とともに、resilience は数理化された材料特性の用語として定着していく。
Thomas Young(1773–1829)のヤング率(1807)は弾性係数の数理化を完成させ、resilience を「物体が弾性限度内で蓄えうる単位体積あたりのエネルギー」(modulus of resilience)として定義した。これは現代でも材料工学の標準教科書(例:Beer & Johnston Mechanics of Materials)に記載されている。
19世紀、Robert Mallet(1810–1881、アイルランド人地震学者)が Vulcanic Energy(1873)で、建造物の resilience を地震工学の主要パラメータとして導入。これは現代の制震・免震設計の原型である。
6. 20世紀前半 — 心理学的萌芽
レジリエンスの心理学的応用は、20世紀後半の Werner 研究(1955-)よりも早く、1940年代から萌芽がある。
1940年、Charles Spearman(心理測定学の祖)は Psychometric Tests で「mental elasticity(心の弾性)」を測定可能な構成概念として議論した。1950年代、Erik Erikson(1902–1994)の Childhood and Society(1950)は「ego strength」「ego resilience」を発達心理学の中核概念とした。Jeanne H. Block & Jack Block の Ego-Resilience Scale(1980)はこの系譜の代表的測定尺度である。
1962年、Lois Murphy & Alice Moriartyは Vulnerability, Coping, and Growth で、脆弱性(vulnerability)とコーピング(coping)と成長(growth)を一体として論じ、後の Werner 研究を予告する枠組みを提示した。
7. 国際定義の系譜年表(1973-2025)
| 年 | 主体 | 文書・出来事 | 重要点 |
|---|---|---|---|
| 1973 | C.S. Holling | Annual Review of Ecology and Systematics 4:1-23 | engineering vs ecological resilience の区別 |
| 1982 | Werner & Smith | Vulnerable but Invincible(McGraw-Hill) | カウアイ島縦断研究の集大成 |
| 1996 | Holling | Engineering vs Ecological Resilience(NAS) | 二概念区分の明確化 |
| 2002 | Gunderson & Holling | Panarchy(Island Press) | 適応サイクル・パナーキー理論 |
| 2004 | Walker et al. | Ecology and Society 9(2):5 | 三属性論(resilience/adaptability/transformability) |
| 2005 | UNISDR | 兵庫行動枠組(HFA) | 国際防災枠組初の resilience 言及 |
| 2013 | Rockefeller Foundation | 100 Resilient Cities 開始 | 都市レジリエンスの制度化 |
| 2013 | 日本 | 国土強靱化基本法 制定 | ナショナル・レジリエンスの法制化 |
| 2014 | ARUP | City Resilience Framework 公表 | 4次元×12目標×52指標×7質 |
| 2015 | UN | 仙台防災枠組2015-2030 | 4優先行動・7グローバルターゲット |
| 2015 | UN | パリ協定・SDGs採択 | レジリエンスを国際開発の中核に |
| 2015 | Rockefeller-Lancet | Planetary Health 概念提示 | 人類-地球の統合レジリエンス |
| 2019 | 京都市 | レジリエンス戦略策定 | 世界文化自由都市のレジリエンス都市化 |
| 2021-23 | IPCC AR6 | WGI/II/III + SYR 公表 | Climate-Resilient Development |
| 2024 | Cyrulnik | Les deux visages de la résilience | 政治的悪用への警告 |
| 2024 | Markus Gabriel | 倫理資本主義の時代(邦訳) | 道徳と経済のリカップリング |
| 2025-12-12 | 京都市 | 京都基本構想(2026-2050)議決 | 京都学藝衆構想・人間性恢復 |
8. 日本語訳の問題 — 「強靱化」「回復力」「弾力性」
日本語圏では resilience の訳語が分野で異なり、概念混同を生んでいる。
- 強靱化(内閣官房系)— 国土強靱化基本法(2013)以来の制度用語。「強くてしなやか」を意図するが、しばしば「硬く頑強」と誤読される。
- 回復力(心理学・福祉系)— 心理レジリエンス研究の標準訳。「立ち直る力」のニュアンスを保つ。
- 弾力性(経済学・物理系)— ヤング率の伝統を引き継ぐ。マクロ経済の elastic economy 訳としても使用。
- レジリエンス(カタカナ)— 21世紀以降、企業BCP・都市政策・SDGs文脈で標準化。多義性を保持できる利点がある。
本図鑑は 「レジリエンス」というカタカナ表記を採用することで、Holling 原典の二重性(工学的+生態学的)と現代国際定義(UNDRR / IPCC)の重層性を保つことを推奨する。
9. 主要書籍年表(日本語圏)
| 年 | 著者 | 書名 | 出版社 |
|---|---|---|---|
| 2002 | Heifetz, Linsky | Leadership on the Line(邦訳:最前線のリーダーシップ) | ハーバード・ビジネス・スクール出版 |
| 2008 | Walker & Salt | Resilience Thinking(邦訳:レジリエンス思考) | みすず書房(邦訳2020) |
| 2011 | Andrew Zolli | Resilience: Why Things Bounce Back(邦訳:レジリエンス) | ダイヤモンド社(邦訳2013) |
| 2012 | N.N. タレブ | Antifragile(邦訳:反脆弱性) | ダイヤモンド社(邦訳2017) |
| 2013 | 枝廣淳子・小田理一郎 | 「システム思考」をはじめてみよう | 大和書房 |
| 2015 | 枝廣淳子 | レジリエンスとは何か | 東洋経済新報社 |
| 2017 | 國分功一郎 | 中動態の世界 | 医学書院 |
| 2019 | 京都市 | 京都市レジリエンス戦略 | 京都市発行 |
| 2021 | 藤田裕之 | レジリエンス京都! | 京都新聞出版センター |
| 2024 | マルクス・ガブリエル | 倫理資本主義の時代 | ハヤカワ新書 |
| 2024 | Boris Cyrulnik | Les deux visages de la résilience | Odile Jacob |
10. 批判的論点 — 「概念のインフレ」問題
レジリエンスは1973年以降50年で 分野越境を加速させすぎ、概念が拡散しすぎているという批判が学術内部から繰り返されてきた。代表的批判:
- Brand & Jax (2007) Ecology and Society 12(1):23 — 「resilience は科学的に厳密な意味から境界対象(boundary object)化してしまった」
- Olsson et al. (2015) Science Advances — 「社会-生態系研究で resilience が政策バズワード化し、批判的視座を失った」
- Joseph (2013) Resilience: International Policies — 「resilience は新自由主義的統治テクノロジーとして機能している」
- Cyrulnik (2024) Les deux visages de la résilience — 「概念の政治的悪用への警告」
本図鑑は、これらの批判的論点を踏まえ、「レジリエンスは何を含み、何を含まないか」を分野別に明示することを編集方針とする。とくに新自由主義的「自助論」「自己責任論」への流用への警戒は、第18巻 Cyrulnik、第20巻 Gabriel と接続して論じる。
外部参考リンクExternal References
本巻の主張を裏付ける一次資料・公式文書・主要論文へのリンク集です。すべて新しいタブで開きます。
外部参考リンク(一次資料・公式)
- Holling, C.S. (1973) Resilience and Stability of Ecological Systems(PDF全文)原典
- Walker, Holling, Carpenter & Kinzig (2004) Ecology and Society 9(2):5拡張論文
- Werner (1989) High-risk children in young adulthood. PubMed心理学起点
- UNDRR Terminology — Resilience国際定義
- Resilience Alliance(学術団体)学術コミュニティ
- Rockefeller Foundation — 100 Resilient Cities アーカイブ都市政策
- Brand & Jax (2007) Resilience as boundary objectE&S
- Olsson et al. (2015) Sci AdvancesSCIENCE
- Walker & Salt (2006) Resilience ThinkingISLAND PRESS
- Gunderson & Holling (2002) PanarchyISLAND PRESS
- Andrew Zolli Resilience(公式)S&S
- N.N. Taleb AntifragilePenguin
- 枝廣淳子 公式サイト(イーズ)イーズ
- Joseph (2013) Resilience and New LiberalismT&F
- Google Scholar Holling 1973Scholar
FAQ ─ よくある質問Frequently Asked Questions
「レジリエンス」と「弾性」は同じ意味か?
Holling の論文は今でも引用されるか?
英語圏と日本語圏で意味が違うか?
レジリエンスは流行り言葉ではないか?
レジリエンスは精神論ではないか?
「強靱化」と「強くしなやか」はどう違うか?
Holling 1973 の被引用数は?
レジリエンスの直系日本語版はいつから始まったか?
レジリエンスとアンチフラジャイル(タレブ)はどちらが上位概念か?
「レジリエンスがある人」と「レジリエンスがない人」を分けてよいか?
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