野村雅一とは|身ぶりとしぐさの人類学
身ぶりやしぐさという、ことば以前の身体表現に着目し、それが社会の記憶といかに結びつくかを探究した文化人類学者。南欧の民俗文化研究を礎に「文化としての身体」を描いたその仕事は、GETTAの身体技法論を支える。
人物と経歴
1942年、広島県生まれ。1966年京都大学文学部(イタリア文学科)卒業、京都大学人文科学研究所助手などを経て、国立民族学博物館助教授・教授。総合研究大学院大学理事・副学長も務めた。身体の身ぶり・しぐさによる多様なコミュニケーションを中心に文化人類学を研究した。2017年逝去。
身ぶりとしぐさの人類学
ことば以前の表現
野村は、挨拶・指さし・うなずき・距離の取り方といった身ぶり・しぐさが、文化ごとに異なるコードをもつことを示した。これらはことば以前の、しかし精緻な身体的コミュニケーションである。
身体がしめす社会の記憶
身ぶりは個人の癖ではなく、社会が身体に刻んだ記憶である。野村は『身ぶりとしぐさの人類学――身体がしめす社会の記憶』で、身体表現の文化的厚みを描いた。
ボディランゲージを読む──身ぶり空間の文化
『ボディランゲージを読む――身ぶり空間の文化』(平凡社, 1984)で野村は、人と人の距離(プロクセミクス)や空間の使い方が文化ごとに異なることを論じた。南欧と日本の身体表現の比較は、身体技法が文化的に変異するというモースの洞察を、コミュニケーションの次元で具体化したものである。
主要著作ガイド
主著に『しぐさの世界――身体表現の民族学』(NHKブックス, 1983)、『ボディランゲージを読む――身ぶり空間の文化』(平凡社, 1984)、『身ぶりとしぐさの人類学――身体がしめす社会の記憶』(中央公論新社, 1996)がある。市川雅との編著『技術としての身体』もある。
誤解と正しい理解
誤解「身ぶりは万国共通」──正しくない。うなずきや指さし、距離の取り方は文化ごとに異なるコードをもつ。野村は、身ぶり・しぐさが文化的に構築された身体表現であることを示した。
GETTA思想体系との接続──文化としての身体
野村が描いた「文化としての身体」は、GETTAの文化身体論の核と重なる。身ぶり・しぐさが社会の記憶を身体にしめすように、歩き方・立ち方・足裏の使い方もまた、文化が刻んだ身体技法である。現代生活で痩せたその身体表現を、一本歯下駄は足元から更新する。野村の身体表現論は、川田順造の身体技法論とともに、日本の身体人類学の礎である。
身体表現の詳説
挨拶のコード
お辞儀・握手・抱擁――挨拶の身ぶりは文化ごとに異なるコードをもつ。
距離の文化
人と人の間合い(プロクセミクス)は、文化により大きく異なる。
南欧と日本
野村は南欧と日本の身体表現を比較し、文化の身体的厚みを描いた。
世代と身体
世代間で身ぶりは変化し、社会の変容を身体が映し出す。
市川雅との協働
舞踊評論家・市川雅との編著『技術としての身体』も身体表現論を深めた。
身体表現論の射程と関連
異文化コミュニケーション
身ぶりのコード理解は、異文化間の誤解を解く鍵となる。
メディアと身体
身体表現の研究は、対面とメディアの差異を考える視座を与える。
関連概念
本図鑑の 身体技法・間身体性・川田順造 とあわせて読みたい。
身ぶりの文化的多様性
野村は、挨拶・指さし・うなずき・人と人の距離の取り方といった身ぶりが、文化ごとに異なるコードをもつことを、南欧と日本の比較を通じて鮮やかに示した。万国共通に見える身体表現も、実は文化が身体に刻んだ約束事である。
この洞察は、異文化間のコミュニケーションにおける誤解の多くが、言葉ではなく身体表現のズレから生じることを教える。身ぶりの人類学は、グローバル化の時代の相互理解にとって実践的な意義をもつ。
文化としての身体という視座
野村が一貫して追究したのは、「文化としての身体」という視座である。身ぶりは個人の癖ではなく、社会が身体に刻んだ記憶であり、世代を超えて受け継がれる。身体は、文化を映し出す鏡であり、文化を担う媒体なのである。
この視座は、モースの身体技法論や川田順造の比較人類学とともに、日本における身体人類学の礎をなす。歩き方や立ち方もまた文化が刻んだ技法であるという認識は、現代の身体を問い直す思想的な足場を与える。
身ぶりの文化と身体の記憶
野村は、挨拶・指さし・うなずき・人と人の距離の取り方といった身ぶりが、文化ごとに異なるコードをもつことを、南欧と日本の比較を通じて鮮やかに示した。万国共通に見える身体表現も、実は文化が身体に刻んだ約束事である。お辞儀と握手と抱擁、近い間合いと遠い間合い――これらの差異は、異文化間のコミュニケーションにおける誤解の多くが、言葉ではなく身体表現のズレから生じることを教える。
野村が一貫して追究したのは、『文化としての身体』という視座である。身ぶりは個人の癖ではなく、社会が身体に刻んだ記憶であり、世代を超えて受け継がれる。身体は、文化を映し出す鏡であり、文化を担う媒体なのである。歩き方や立ち方もまた、文化が刻んだ身体技法にほかならない。
この視座は、モースの身体技法論や川田順造の比較人類学とともに、日本における身体人類学の礎をなす。グローバル化が進み、身体表現が均質化していくなかで、文化ごとの身体の多様性を記録し、その意味を問う野村の仕事は、相互理解と自己理解の両面で、いっそう重要性を増している。
一次文献・学術ソース
本ページの記述は以下の一次文献・権威データベースで裏取りしている。
- ja.wikipedia「野村雅一」経歴・業績・著作の概説。
- Weblio辞書「野村雅一」人物の解説。
- CiNii Research「野村雅一 身ぶり」関連文献の学術DB。
- NDLサーチ「野村雅一 身ぶりとしぐさの人類学」国立国会図書館の書誌。
- CiNii Research「野村雅一 しぐさ」野村に関する学術文献。
よくある質問
身ぶりは、社会が身体に刻んだ記憶である。
うなずき、指さし、距離の取り方。何気ない身ぶりは、文化ごとに異なるコードをもつ。それは個人の癖ではなく、社会が身体に刻んだ記憶だ。
歩き方も、立ち方も、文化が刻んだ身体技法である。一本歯下駄は、その身体を足元から呼び戻す。