日本のソーシャルデザインを、時代からたどる。
源流となった思想から、いま動く現場まで——192件の実践を五つの時代に分け、一本の時間線の上に並べました。それぞれの時代が、社会を創造的に解く力をどう準備し、受け渡してきたのか。バーや事例から、その時代の一覧へ直接ひらけます。
名づけられる前の源流
ソーシャルデザインという言葉が生まれる前から、日本には社会を創造的に編み直す営みがあった。柳宗悦の民藝は「用の美」によって無名の職人の手仕事に価値を見出し、渋沢栄一は道徳経済合一を、賀川豊彦は協同組合を、宮沢賢治は農民芸術を構想した。白川郷の「結」のような相互扶助、一村一品運動の内発的発展——近代が効率と中央集権へ向かう傍らで、暮らしの足元から立ち上がる別の論理が、静かに準備されていた。
足元の再発見
高度成長とバブルの時代に、その反作用として「足元」が再発見される。べてるの家は精神障害の当事者性を、葉っぱビジネスは過疎の高齢者の活躍を、黒壁や読谷やちむんの里は地場の文化を、経済の主役へと転じた。中央のモデルを移植するのでなく、その土地が既に持つものを資源と見立て直す——後のまちづくりに通じる視点が、各地で同時に芽吹いた時期である。
SOCIAL DESIGN, EMBODIED ── 身体から始まる社会デザイン
日本のソーシャルデザインDBが動かしたのは制度ではなく、人の身体だった。
社会デザインの最小単位は、共に立つ身体である。
一本の歯は、身体から始まる社会デザインの実験装置。
この年、阪神・淡路大震災に延べ百万人の市民が動いた。「ボランティア元年」。善意が制度を求め、三年後にNPO法が生まれる。日本のソーシャルデザインが、個人の志から社会の仕組みへと折り返した分水嶺。
市民セクターの誕生
1995年の阪神・淡路大震災は「ボランティア元年」と呼ばれ、延べ百万人を超す市民が動いた。その熱量は1998年のNPO法として制度化され、市民が契約や雇用を担う主体になる。海士町の再生、studio-Lの萌芽、社会起業の最初の波——「善意」が「事業」と「制度」の土台を得て、ソーシャルデザインは個人の志から、社会に回り続ける仕組みへと変わり始めた。
領域としての確立
最も多くの実践が生まれた爆発期。地域おこし協力隊(2009)が都市と地方をつなぐ人の流れを作り、リノベーションまちづくり、シビックテック、社会起業、芸術祭が同時多発的に広がった。「ソーシャルデザイン」という語が定着し、greenz.jpやソトコトが担い手を可視化する。studio-Lが「つくらないデザイン」を全国で実装し、課題解決が一つの職能・産業として確立した十年。
人口は減り続ける。それでも、関わりは増やせる。定住でも観光でもない「関係人口」、欠落でなく「異彩」。問いは、量の確保から関係の質へと移った。
関係のフロンティア
量から質、そして関係へ。関係人口は定住でも観光でもない第三の関わりを、コミュニティナースは暮らしに出向くケアを、ヘラルボニーは障害を「欠落」でなく「異彩」として提示した。神山まるごと高専やN高は学びの形そのものを問い直し、インクルージョンは「個人を変える」のでなく「社会の側を変える」ことを掲げる。人口減少を前提に、「誰と、どう関わり続けるか」が問われる現在地である。
TRANSFERABLE CULTURAL CAPITAL ── 転移する文化資本の実践
身体から始まる社会デザインの、最小単位。
一足を置いた場所から、共同体の身体文化が転移する。
家庭に、教室に、地域に。


