GETTA Thinkers Encyclopedia / No.05
Ōmori Shōzō
大森荘蔵
1 August 1921 — 17 February 1997
物理学から哲学へ。立ち現れ、重ね描き、時は流れず──
戦後日本哲学の最高峰にして、
東大分析哲学の源流を作った思想家の、
16の著作と15の概念で辿る決定版図鑑。
物理学を捨てた哲学者──大森荘蔵とは何者か
大森荘蔵(おおもり・しょうぞう/1921-1997)は、戦後日本を代表する哲学者である。京都学派でも、フランス現象学派でも、英米分析哲学派でもなく、自前の概念装置で世界の構造を組み直そうとした、稀有な思想家であった。物理学者として出発し、量子力学の認識論的危機を契機に哲学に転じた彼は、デカルト以降の物心二元論を解体し、「立ち現れ」という日本語を哲学的概念へと鍛え直した。本図鑑は、その全体像を、16の主要著作・15の核心概念・四つの Deep Dive・三期に分かつ思想史・継承者の系譜・読書ガイド・リソースで網羅する、日本最大級の決定版である。
物心二元論を解体する一元論
デカルトが世界を「物」と「心」に分かったとき、近代哲学はその裂け目をどう埋めるかという問いに二百年以上を費やした。大森は、この裂け目自体を疑った。世界は「物」と「心」に分かれて存在しているのではなく、ただ 立ち現れている だけである──彼はそう書いた。立ち現れには「物としての側面」と「心としての側面」があるのではない。立ち現れがすでに「物でもあり心でもある」のだ。これが 立ち現れ一元論 の核心である。
同じことは時間についても言える。ニュートンが時間を「均質に流れる絶対的な何か」として描いたとき、その描き方自体が一つの「立ち現れ」の様式だった。大森は『時は流れず』(1996)でこう書いた──時は流れない。私たちはただ「いま」を生きている。「過去」と呼ばれているものは、いま想起されている 立ち現れの一様態 にすぎない。
「重ね描き」という方法
では科学はなぜ「正しい」のか。大森の答えは独創的だった。科学は「物自体」を記述しているのではない。科学は、知覚的な「立ち現れ」の上に、別の概念的な「立ち現れ」を 重ね描き(かさねがき) しているのだ。ニュートンの空間は、私たちが見ている空間の 下にある何か ではなく、同じ空間の別の描き方 である。両者は対立しない。重なって描かれているだけだ。
この発想は、現代の身体論・認知科学・身体現象学にとって深い射程を持つ。GETTA思想体系は、まさにこの「重ね描き」の論理を、身体と思想・知覚と装置・実技と理論の関係に適用してきた。本図鑑は、その理論的源流としての大森を、徹底的に読み直す試みでもある。
東大分析哲学派の源流
1955年から1982年まで、大森は東京大学教養学部で哲学を教えた。直接の弟子に野矢茂樹、中島義道、永井均、入不二基義、飯田隆、黒崎政男、大庭健──現代日本分析哲学の最重要人物がほぼすべて含まれる。彼らは、大森の概念を継承しつつも独自の道を歩んだ。野矢の論理学、永井の独我論、中島のカント研究、入不二の現実主義、飯田の言語哲学──いずれも大森の遺産なくしてはありえなかった。
本図鑑は、その遺産が今もどう生きているかを、後継者の研究を辿りながら描き出す。
略年譜──物理学者から哲学者へ、そして放送大学へ
岡山に生まれ、戦時下の物理学から哲学に転じ、東京大学・放送大学で教え、最後まで「立ち現れ」の論理を彫琢し続けた七十五年の生涯を、26項の年譜で辿る。
1921年(大正10)
8月1日、岡山県岡山市に生まれる。父は内科医。少年期から数学・物理学に強い関心を示す。岡山中学校を経て第六高等学校(旧制)理科甲類に進学。
1942年
第六高等学校を卒業し、東京帝国大学理学部物理学科に入学。当時の東大物理は、坂田昌一・朝永振一郎らが量子力学の最前線を切り拓きつつあった時代である。
1944年(昭和19)23歳
戦時短縮で東京帝国大学理学部物理学科を卒業。同年、海軍技術研究所に配属される。電波兵器(レーダー)の研究に従事したと伝えられる。
1945年
敗戦。海軍解体に伴い帰郷。物理学が戦争にどう動員されたかを目の当たりにし、「物理学とは何か」「科学的記述とは何か」 という問いを抱える。
1946年
物理学から哲学への転向を決意。東京大学文学部哲学科に学士入学。当時の主任は出隆。授業のかたわら、フッサール現象学、ウィトゲンシュタイン、量子力学の哲学的解釈を独自に読み進める。
1949年28歳
東京大学文学部哲学科を卒業。卒業論文は知覚論。続いて大学院特別研究生として在籍。
1953-54年
フルブライト奨学金により米国ハーヴァード大学・コロンビア大学に留学。クワイン、ネルソン・グッドマンらが勃興させつつあった分析哲学に直接触れる。これが帰国後、日本における分析哲学導入の起点となる。
1955年34歳
帰国。東京大学教養学部 助教授に着任。駒場で哲学概論・科学哲学を担当。以後27年間、教養学部で教鞭を執ることになる。
1960年代
「立ち現れ」概念の萌芽期。論文を散発的に発表。坂本百大、廣松渉、吉本隆明らとの対話を通じ、独自の哲学言語を鍛え上げていく。同時に、量子力学の哲学的問題を継続的に思考。
1966年
東京大学教養学部 教授に昇任。45歳。研究室は駒場ローム哲学研究室を中心に展開し、後進の育成に本格的に着手する。
1971年50歳
最初の単著『言語・知覚・世界』(岩波書店)を刊行。立ち現れ一元論の最初の体系的提示。「言語が世界を分節する」というテーゼを、フッサール・ウィトゲンシュタイン・分析哲学を縦断して打ち立てた画期作。
1976年
『物と心』(東京大学出版会)刊行。物心二元論の解体を主題に置く論集。「ある体系が 意味 を担うのは、その体系が世界の中でどう 使われる かの中にしかない」という大森的プラグマティズムが結晶。
1981年60歳
『流れとよどみ──哲学断章』(産業図書)刊行。短い断章形式で書かれた、もっとも親しみやすく読める著作。「考えることは、流れの中によどみを作ることだ」というテーゼで、後の分析哲学的散文のスタイルを切り拓く。
1982年61歳
主著『新視覚新論』(東京大学出版会)刊行。視覚の現象学を、物心二元論を排した形で再構築。同年、東京大学教養学部を 定年退官。引き続き 放送大学教授 に就任し、哲学のメディア教育に携わる。
1980年代後半
弟子たちが続々と独立。野矢茂樹、中島義道、永井均、入不二基義らが相次いで論文集・単著を発表しはじめ、「東大分析哲学派」が形成される。大森自身は、時間論・記憶論に思考を集中する。
1992年71歳
『時間と自我』(青土社)刊行。「思い出は知覚である」という大森的時間論の核心命題を、より精密に展開。同年、放送大学を退官。
1994年
『時間と存在』(青土社)/『知の構築とその呪縛』(筑摩書房)の二著を刊行。時間論と科学哲学の総決算となる年。
1996年75歳
最後の単著『時は流れず』(青土社)刊行。「時は流れない」という、生涯にわたる時間論の到達点を提示。同年、坂本百大との対談集『心と時間』も発表。
1997年75歳
2月17日、逝去。享年75。最後まで「立ち現れ」をめぐる思考を続けていた。葬儀は近親のみで執り行われた。
1998-1999年
『大森荘蔵著作集』全10巻が、岩波書店から刊行される(編集委員:野矢茂樹・坂本百大ほか)。生前の単著・主要論文・書評・対談まで網羅した、日本哲学史上もっとも整備された全集の一つ。
2000年代以降
弟子の 野矢茂樹 による『大森荘蔵──哲学の見本』(講談社, 2007)の刊行を皮切りに、大森再評価の機運が高まる。中島義道・永井均・入不二らも、それぞれの著作で大森の影響を継続的に明言し、現代日本分析哲学の正典として位置づけられていく。
2010年代
国際的な研究も進む。山野弘樹(東大)らによる「Ōmori Shōzō and Paul Ricœur」など、ヨーロッパ哲学との比較研究が現れ始める。日本哲学史上、京都学派以外で初めて、英語圏で本格的に研究され始めた哲学者となる。
2011年
野矢茂樹編『大森荘蔵セレクション』(平凡社ライブラリー)刊行。文庫サイズで主要論考を集成し、若い読者に最初の入口を提供。これにより、大森哲学の読者層は学術圏を越えて拡大する。
2020年代
大森の概念は、身体論・認知科学・現象学・分析哲学・科学哲学・芸術論を横断する思考装置として現役で機能している。GETTA思想体系の身体論・知覚論・装置論も、この遺産の上に立っている。
三期に分かつ大森哲学の展開
五十年に及ぶ大森の哲学的キャリアは、三つの局面に分けて捉えるのが見通しが良い。物心二元論への戦線形成期、立ち現れ一元論の体系化期、そして時間論・記憶論への深化期──そのそれぞれに、固有の主題と方法、固有の射程がある。
PERIOD I
戦線形成期──物心二元論への抵抗
1949 — 1970
留学から帰国直後の助教授時代。当時の日本哲学は、京都学派の延長か、マルクス主義か、実存主義か、いずれかを選ばされる空気の中にあった。大森はそのいずれにも与せず、英米分析哲学を導入しつつ、物理学者としての出自から「物心二元論」をどう解体するかという問題に焦点を絞り込んでいく。
- クワイン、ウィトゲンシュタイン、フッサールを縦断的に読む
- 「言語が世界をどう分節するか」という問いの定式化
- 物理学的記述と日常的記述の関係を考える「重ね描き」の萌芽
- 論文集形式でのアウトプット中心。単著はまだない
PERIOD II
体系化期──立ち現れ一元論の確立
1971 — 1985
『言語・知覚・世界』(1971)を皮切りに、『物と心』(1976)、『流れとよどみ』(1981)、『新視覚新論』(1982)と、四冊の中核的著作が続く。この時期に、大森哲学の主要概念──立ち現れ、重ね描き、言語アニミズム、視覚像、知覚的アスペクト──がすべて出揃う。
- 「立ち現れ」が固有名詞化された哲学概念として確立
- 視覚論を中心とした知覚現象学の独自版が完成
- 東大教養学部で本格的に弟子を育てる
- 「断章哲学」というスタイル(『流れとよどみ』)の発見
PERIOD III
深化期──時間論・記憶論への沈潜
1986 — 1997
放送大学に移ってから晩年まで。この時期、大森の思考は時間と記憶の問題に集中していく。『時間と自我』(1992)、『時間と存在』(1994)、『知の構築とその呪縛』(1994)、そして遺著となる『時は流れず』(1996)。「時は流れない」「思い出は知覚である」という、立ち現れ一元論の最も深い帰結が引き出される時期である。
- 時間の流れの実在性を否定する大胆な命題
- 記憶を「過去への参照」ではなく「現在の知覚的立ち現れ」として再定義
- 「過去の制作」という概念の提示──過去はいま作られている
- 科学哲学への最終的なコメント(『知の構築とその呪縛』)
15の核心概念──大森哲学の語彙
大森哲学の独自性は、何より 固有の概念装置 にある。日本語の語彙から立ち上げた哲学用語は、翻訳語を経由しないがゆえに、英米仏独の既存用語にはない切れ味を持つ。本節では15の中核概念を概観し、続く Deep Dive 節で4つを精密に解剖する。
立ち現れ
tachi-araware / appearance
物でも心でもなく、ただ そう立ち現れている もの。世界は立ち現れの集合からなる。「物自体」も「主観」も、立ち現れの上に重ねて描かれた絵のひとつにすぎない。
立ち現れ一元論
monism of appearance
世界には立ち現れしかない、という存在論的テーゼ。デカルトの物心二元論、カントの現象/物自体二元論を解体し、独自の一元論を建てる。
重ね描き
kasanegaki / double depiction
知覚的描像と科学的描像は、対立も還元もしない。同じ立ち現れの上に 重ねて 描かれている。両者は独立に正しい。
言語アニミズム
linguistic animism
われわれが世界を「もの」「こと」「私」「他者」へと分節するのは、言語が世界に 魂を吹き込んでいる からだ。言語は世界を写すのではなく、世界を立ち現れさせる。
知覚的アスペクト
perceptual aspect
「見える」とは、物の側面を見ることではない。立ち現れの一様態 を生きることである。ウィトゲンシュタインのアスペクト論を、視覚現象学に拡張した独自概念。
視覚像
visual image
『新視覚新論』の中心概念。視覚像とは、網膜上の像でも脳内の表象でもない。立ち現れの視覚的様態 そのものである。
過去の制作
making of the past
過去は あった のではない。過去は いま想起されている立ち現れ として、現在において制作される。記憶は再生ではなく、創造的構成である。
思い出は知覚である
recollection as perception
記憶を「過去への参照」と捉える伝統的記憶論を解体する命題。想起は、現在の知覚と同じ平面上で立ち現れる。記憶と知覚の境界は、立ち現れの様態の差にすぎない。
時は流れず
time does not flow
時間は流れるものではない。私たちは いま だけを生きている。「過去」「未来」「流れ」は、いま の立ち現れの上に重ねて描かれた絵である。
意味の使用説
meaning as use
ウィトゲンシュタインから受け継いだ命題を、立ち現れ論の中で再定式化。意味は 立ち現れの中での使われ方 であり、辞書的定義ではない。
科学的世界像
scientific worldview
科学は世界の正しい記述ではなく、立ち現れの上に重ね描かれた一様式。物理学の「真理」は、知覚的真理を凌駕しない。両者はただ重なって描かれている。
知の構築
construction of knowledge
知識は世界を映す鏡ではなく、立ち現れを構造化していく 制作行為。だが、それは同時に 呪縛 でもある。語彙を持つことは、語彙の外を見えなくすることでもある。
断章哲学
aphoristic philosophy
『流れとよどみ』で実践された方法。体系を構築せず、短い断章の連なり として哲学を展開する。日本における「考えることのスタイル」の刷新。
よどみとしての思考
thought as eddy
思考は世界の流れの中に よどみを作る行為。流れを止めることでも、流れに流されることでもなく、流れの中に小さな円環を作ること。
反デカルト主義
anti-Cartesianism
大森哲学全体を貫く構え。「私は考える、ゆえに私はある」というデカルト的コギトの構図そのものを解体する。私 も ある も 考える も、すべて立ち現れの様態である。
4つの概念を徹底解剖
大森哲学の核心となる4つの概念──立ち現れ/重ね描き/思い出は知覚である/時は流れず──を、原典の論理に沿って精密に解きほぐす。これらは互いに連関しており、一つを理解するためには他の三つを同時に把握する必要がある。
Deep Dive 01
立ち現れ──「ある」とはどういうことか
「立ち現れ」という日本語は、もともと能舞台で精霊や霊魂が舞台上に 姿を現す ことを指す動詞だった。大森はこの語の中に、「物が物としてある」「心が心としてある」より 手前にある 何かを見た。立ち現れる、ということ。これがデカルトの「物」と「心」よりも根源的な水準である。
この概念のもっとも難しいところは、「立ち現れ」を 名詞 として理解しようとすると失敗する、という点にある。立ち現れは何かではない。それは 動詞的 な事態であり、しかも誰がそれを行うわけでもない。「立ち現れている」という出来事だけがあって、立ち現れる何かも、立ち現れる場所も、立ち現れを見る誰も、すべてその出来事から事後的に切り出される。
このラディカルさは、ハイデガーの「存在(Sein)」やメルロ=ポンティの「肉(chair)」と並ぶ、二十世紀存在論の最深部に位置する。だが大森は、それを日本語の動詞構造の中で考え抜いた。「立ち現れ」は、日本語でしか哲学できなかった概念であると言ってよい。
Deep Dive 02
重ね描き──科学と知覚の和解
哲学史において、知覚的世界と科学的世界の関係は、ガリレオ以来の最大の難問だった。私が見る「赤いリンゴ」と、物理学が記述する「波長 700nm の電磁波を反射する物体」は、同じものなのか、違うものなのか。同じだとすれば、なぜ「赤さ」は物理学の記述にはないのか。違うとすれば、両者の関係は何か。
大森の答えは、いずれも 立ち現れの一様態 である、というものだ。「赤いリンゴ」は知覚的アスペクトでの立ち現れ。「波長 700nm」は概念的アスペクトでの立ち現れ。両者は対立しない。同じ立ち現れの上に、二枚の絵が重ねて描かれている──これが 重ね描き である。
この発想は、現代の身体論・認知科学・装置論にとって決定的な意味を持つ。たとえば 一本歯下駄を履く という身体行為は、知覚的アスペクトでは「不安定さ」「揺れ」「鳩尾の感覚」として立ち現れ、生理学的アスペクトでは「足底圧重心の動的調整」「腓骨筋群の選択的活性化」として立ち現れる。両者は対立しない。重なって描かれている だけだ。GETTA思想体系の身体論は、この大森的「重ね描き」の論理を、装置と身体の関係に拡張したものと読める。
Deep Dive 03
思い出は知覚である──記憶論のラディカルな反転
古来、記憶とは 過去への参照 だと考えられてきた。アリストテレスもアウグスティヌスもカントも、記憶を「かつてあった事象を、いまの心に呼び戻す働き」と見なしてきた。だが大森は、この構図そのものを疑った。
大森にとって「過去」は、独立に存在しない。「過去にあった」と私たちが言うとき、それは いま想起されている立ち現れ についての話である。想起は過去を呼び戻すのではない。想起そのものが、立ち現れの一様態として、いま起こっている。
これは記憶論として極めてラディカルな反転である。だが、よく考えてみれば、われわれが「過去にあった」と確信するのは、現在における想起の 確からしさ によってでしかない。過去そのものに直接アクセスする手段はない。すべての過去は、いまの想起を経由して立ち現れる。
この立場は、現代の認知科学における「記憶の構成説(constructive memory)」と驚くほど近い。シャクター(D. Schacter)やローダ(D. Loftus)の研究が示しているように、記憶は録画ではなく 再構成 である。大森は1970年代から、これを哲学的に先取りしていた。
Deep Dive 04
時は流れず──時間論の到達点
遺著『時は流れず』(1996)は、半世紀にわたる大森の時間論の集大成である。タイトルの命題はラディカルだ──時間は流れない。流れているのは時計の針であり、川の水であり、雲である。「時間が流れる」というのは、これらの立ち現れの上に重ねて描かれた、ひとつの絵の名前 にすぎない。
では時間とは何か。大森にとって時間は、いまの立ち現れの構造 である。「過去がある」「未来がある」と感じることは、いまの立ち現れの様態である。流れているのではない。立ち現れが、過去・現在・未来として構造化されているだけである。
この立場は、現代物理学の時間論──ジュリアン・バーバーの「時間の終焉」、カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』──と驚くほど近い。だが大森は、物理学的議論からこれを導いたのではない。立ち現れ一元論を時間に適用した結果 として、必然的にこの結論に到達したのである。
そしてこの帰結は、身体論・実技論・装置論にとって深い射程を持つ。「いま」を生きる、ということ。「過去のフォーム」を呼び戻すのではなく、いまの立ち現れの中に 重ねて描き直す こと。GETTA思想体系の「醸す」「中動態」「五歳の身体性」といった概念は、すべてこの大森的時間論の論理空間の中で再解釈できる。
16の主要著作──大森哲学の書誌
単著・対談集・著作集を含めて、大森荘蔵が世に問うた16の重要書籍を、刊行年順に概観する。それぞれの章で何が論じられ、現代の読者にとってどの位置にある書物なのかを記す。
1971
言語・知覚・世界
Language, Perception, World
岩波書店 / 全337頁
大森の最初の単著にして、立ち現れ一元論の宣言書。「言語が世界を分節する」というテーゼを、フッサール・ウィトゲンシュタイン・分析哲学を縦断しながら立ち上げた。学界に衝撃を与えた一冊。
言語と知覚と世界の三項関係を、二項対立に陥らずに描き出すための概念装置をはじめて整備した著作で、後の全著作の理論的母胎となる。
1976
物と心
Matter and Mind
東京大学出版会 → ちくま学芸文庫(2015)
物心二元論の解体を主題に置いた論集。デカルト以降の近代哲学が前提してきた「物質的世界 vs. 精神的世界」という構図そのものが、いかに 立ち現れ の上に重ね描かれた一様式にすぎないかを論証。
入門書として最も親しまれる一冊。→ 筑摩書房の書誌情報
1981
流れとよどみ──哲学断章
Flux and Eddy: Philosophical Fragments
産業図書 → ちくま学芸文庫
短い断章の連なりとして書かれた、もっとも読みやすい著作。「考えることは流れの中によどみを作ることだ」というテーゼで、日本における哲学的散文のスタイルを一新。
弟子の野矢茂樹は「これを最初に読むべき」と推奨。理論的密度と文章的軽やかさの両立を見せる稀有な達成。
1982
新視覚新論
New Theory of Vision
東京大学出版会 / 全約400頁
主著の一つ。バークリの『視覚新論』(1709)を踏まえつつ、視覚を立ち現れ一元論の中で再構築した記念碑的著作。「見える」とは何か、を物心二元論を排した形で徹底的に問う。
『知覚の現象学』(メルロ=ポンティ)と並ぶ、二十世紀の視覚論の最高峰の一つ。ただし大森のアプローチは、現象学ではなく分析哲学の文体で書かれている点が独自。
1985
知識と学問の構造
Structure of Knowledge and Scholarship
日本放送出版協会
放送大学講義テキストとして書かれた、科学哲学の入門書。立ち現れ一元論の立場から、自然科学・人文科学・社会科学それぞれの「知の構築」を整理した、教育的にも貴重な書。
1988
知覚と言語
Perception and Language
岩波書店
『言語・知覚・世界』のテーマを、より精密に展開した中期の重要論集。知覚と言語の 分かちがたさ を、複数の事例分析を通じて論じる。
1992
時間と自我
Time and Self
青土社 / 全約280頁
後期三部作の第一作。時間論と自我論を一体のものとして扱う、大森独自の議論が結実。「思い出は知覚である」「自我は立ち現れの一様態」という二つの命題が初めて精密に展開される。
1994
時間と存在
Time and Existence
青土社
後期三部作の第二作。ハイデガー『存在と時間』を遠くに見据えつつ、立ち現れ一元論の立場から「時間とはなにか」「存在とはなにか」を再定式化。
この書から「時は流れない」というテーゼが、より明示的に提示されはじめる。
1994
知の構築とその呪縛
The Construction of Knowledge and Its Curse
筑摩書房 → ちくま学芸文庫
科学哲学・知識論の総決算的著作。「知の構築」は同時に「呪縛」でもある──語彙を持つことは、語彙の外を見えなくすること。この両面性を、立ち現れ一元論の中で議論する。
クーン、ファイヤアーベント、グッドマンらの議論への大森独自の応答が読み取れる、科学哲学的にも貴重な一冊。
1996
時は流れず
Time Does Not Flow
青土社 / 全約280頁
後期三部作の完結作にして遺著。「時は流れない」というテーゼを、複数の角度から精密に論証。立ち現れ一元論の最も深い帰結を提示した、大森哲学の到達点。
物理学者バーバーやロヴェッリが英語圏で展開している時間論を、大森は独自の哲学的論理から先取りしていた。
1996
音は鳴り続けている
The Sound Continues to Resound
哲学書房
音楽論・聴覚論の遺稿集的著作。「音はどこにあるか」「音は時間の中で鳴るのか」といった問いを、立ち現れ一元論の中で展開。視覚論(『新視覚新論』)と対をなす聴覚論の試み。
1996
心と時間(坂本百大との対談集)
Mind and Time (Dialogue with Sakamoto Hyakudai)
中央公論社
坂本百大(哲学者・東大名誉教授)との往復書簡形式の対談集。心の哲学・時間論をめぐる、生前最後の大規模な対話記録。両者の立場の違いと共鳴がリアルに浮かび上がる稀有な書。
1998-1999
大森荘蔵著作集(全10巻)
The Collected Works of Ōmori Shōzō (10 vols.)
岩波書店
没後に編まれた決定版全集。生前の主要単著を巻ごとに再編し、未刊行論文・書評・対談・断章まで網羅。編集委員に野矢茂樹・坂本百大ほか。日本哲学史上、京都学派全集と並ぶ最も整備された全集の一つ。
2011
大森荘蔵セレクション(野矢茂樹編)
Ōmori Shōzō Selection (ed. Noya Shigeki)
平凡社ライブラリー / 文庫
直弟子の野矢茂樹による精選アンソロジー。文庫サイズで主要論考を読めるようにした、最良の入門。「立ち現れ」「重ね描き」「時間」「自我」を学ぶならまずこの一冊から。
2014
日常性の哲学──知覚する私・理解する私(野矢茂樹編)
Philosophy of the Everyday: I Who Perceive, I Who Understand
講談社学術文庫
野矢茂樹が再編集した、日常性をめぐる論考集。立ち現れ一元論を、もっとも具体的な日常的場面に即して読み直す。学術文庫として広く流通している。
2015
大森荘蔵──哲学の見本(野矢茂樹著)
Ōmori Shōzō: An Exemplar of Philosophy (by Noya Shigeki)
講談社学術文庫(初版2007)
直弟子・野矢茂樹による評伝にして思想入門。大森哲学を「哲学の見本」として位置づけ、その方法論的革新性を浮き彫りにする。研究書としても、評伝としても、現時点で最良の一冊。→ 講談社の書誌
思想系譜──源流と継承
大森荘蔵がそこから学び、そこと格闘した先達。そして大森から学び、大森を超えていった後継者。両者を並置することで、戦後日本哲学のひとつの軸が見えてくる。
影響源(学んだ思想家)
SOURCES
- ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン (1889-1951)『論理哲学論考』『哲学探究』。「意味の使用説」「アスペクト論」を直接継承。大森は生涯、ウィトゲンシュタイン読解者であった。
- エトムント・フッサール (1859-1938)『論理学研究』『デカルト的省察』。現象学的還元の方法を、立ち現れ一元論の前段階として吸収。
- W. V. O. クワイン (1908-2000)留学時代に直接接した分析哲学者。「経験主義の二つのドグマ」が、立ち現れ論の科学哲学的基盤に。
- ネルソン・グッドマン (1906-1998)『世界制作の方法』の発想は、大森の「重ね描き」「過去の制作」と直接呼応する。
- アンリ・ベルクソン (1859-1941)『物質と記憶』『時間と自由』。記憶論・時間論において、間接的だが深い影響。
- エルンスト・マッハ (1838-1916)『感覚の分析』。物心二元論を解体する系譜の起点として、大森が繰り返し参照。
- マルティン・ハイデガー (1889-1976)『存在と時間』。直接の継承関係はないが、批判的対話の相手。後期大森の時間論はハイデガー的問題圏にある。
- ニルス・ボーア (1885-1962)量子力学の解釈問題。物理学者だった大森にとって、哲学への転向の引き金となった人物。
- カント・デカルト・バークリ批判的継承の対象。とくにバークリ『視覚新論』は『新視覚新論』のタイトルが示すように、大森が乗り越えるべき理論的相手であった。
継承者(影響を受けた思想家)
SUCCESSORS
- 野矢茂樹 (b.1954)東京大学名誉教授・立正大学教授。大森の最も忠実な継承者にして批判的読み手。『大森荘蔵──哲学の見本』『論理学』『心と他者』。
- 中島義道 (b.1946)電気通信大学元教授。カント研究と独自の時間論。『時間を哲学する』『「時間」を哲学する』『カントの時間論』。
- 永井均 (b.1951)日本大学元教授・千葉大学元教授。「私」の哲学・独我論。『〈私〉のメタフィジックス』『翔太と猫のインサイトの夏休み』。
- 入不二基義 (b.1958)青山学院大学教授。現実主義・時間論。『相対主義の極北』『時間は実在するか』『あるようにあり、なるようになる』。
- 飯田隆 (b.1948)慶應義塾大学元教授。言語哲学・分析哲学。『言語哲学大全』全四巻。日本における言語哲学の正典を整備。
- 黒崎政男 (b.1954)東京女子大学元教授。カント研究・人工知能論。『カント『純粋理性批判』入門』。
- 大庭健 (1946-2018)専修大学元教授。倫理学・行為論。『私という迷宮』『現代倫理学の基礎』。
- 河本英夫 (b.1953)東洋大学名誉教授。オートポイエーシス論を日本に導入。『オートポイエーシス』『システム現象学』。
- 富田恭彦 (b.1952)京都大学名誉教授。分析哲学史・知識論。『観念論ってなに?』『カント哲学の核心』。
- 加藤尚武 (b.1937)京都大学名誉教授。応用倫理学。直接の弟子ではないが、大森と同時代に分析哲学を導入した同志。
- 山野弘樹 (b.1990)東京大学博士。リクール研究と大森研究を架橋。「Ōmori Shōzō and Paul Ricœur」(2020)など、若手研究者として国際的展開を牽引。
直系継承者──大森が育てた哲学者たち
東京大学教養学部での27年間、駒場の「大森ゼミ」を巣立っていった哲学者たちは、現代日本哲学のメインストリームを形成した。彼らは大森の概念を継承しつつ、それぞれが独自の方向に展開していった。
野矢茂樹
b. 1954
東京大学名誉教授 / 立正大学
大森の最も忠実な継承者にして、最も鋭い批判的読み手。論理学・心の哲学・大森研究を縦断する仕事を展開。『大森荘蔵──哲学の見本』(2007)は、大森研究の現時点の頂点。
中島義道
b. 1946
電気通信大学元教授
カント研究と独自の時間論を展開。大森の「時は流れず」を、カントの時間論の中に位置づけ直す独自の仕事。『時間を哲学する』『カントの時間論』。
永井均
b. 1951
日本大学元教授 / 千葉大学元教授
「私」の哲学・独我論。大森の「自我」概念を、独我論の方向に展開。『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『翔太と猫のインサイトの夏休み』。
入不二基義
b. 1958
青山学院大学教授
現実主義・時間論。大森の時間論をさらにラディカルに展開し、独自の「現実」論を構築。『相対主義の極北』『時間は実在するか』『あるようにあり、なるようになる』。
飯田隆
b. 1948
慶應義塾大学元教授
言語哲学。日本における分析哲学・言語哲学の正典『言語哲学大全』全四巻(1987-2002)を完成。大森的問題関心を、フレーゲ・ラッセル・クワインの系譜の中で展開。
黒崎政男
b. 1954
東京女子大学元教授
カント研究・人工知能論・メディア論。大森の科学哲学的問題意識を、AI・テクノロジー論にまで拡張。『カント『純粋理性批判』入門』『デジタルを哲学する』。
大庭健
1946-2018
専修大学元教授
倫理学・行為論。大森の言語論・自我論を、倫理的主体論の中で展開。『私という迷宮』『他者とは誰のことか』『現代倫理学の基礎』。
河本英夫
b. 1953
東洋大学名誉教授
オートポイエーシス論を日本に導入。マトゥラーナ/ヴァレラと大森の問題意識を架橋する独自路線。『オートポイエーシス』『システム現象学』。
富田恭彦
b. 1952
京都大学名誉教授
分析哲学史・知識論。大森に直接師事はしていないが、京大を拠点に大森的問題関心を展開。『観念論ってなに?』『カント哲学の核心』。
加藤尚武
b. 1937
京都大学名誉教授
応用倫理学・ヘーゲル研究。大森と同世代で、ともに戦後日本に分析哲学・応用倫理学を導入した同志。『応用倫理学のすすめ』『現代を読む』。
山野弘樹
b. 1990
東京大学博士(次世代研究者)
リクール研究を主軸としつつ、大森研究の国際的展開を牽引。「Ōmori Shōzō and Paul Ricœur」(2020)で、大森と西洋現象学の対話可能性を論証。
植村玄輝
b. 1981
岡山大学准教授
現象学・分析哲学・知覚論を架橋する次世代研究者。大森の知覚論的遺産を、現代分析現象学(Smith, Drummond らの系譜)と対話させる仕事を展開。
読書ガイド──どこから読むか
大森荘蔵を初めて読む読者のために、4つの入口を用意した。研究者向け・初学者向け・専門領域別・哲学史的アプローチ。あなたの目的に合った道を選んでいただきたい。
PATH A
初めて読む読者へ
哲学に明るくない読者は、まず断章形式で書かれた一冊から入るのが良い。
- 『流れとよどみ』(1981/ちくま学芸文庫)
- 『大森荘蔵セレクション』(野矢編・平凡社ライブラリー)
- 『物と心』(1976/ちくま学芸文庫)
- 野矢茂樹『大森荘蔵──哲学の見本』(講談社学術文庫)
PATH B
体系を辿りたい読者へ
大森哲学の体系を順序立てて理解したい場合は、刊行年順がもっとも論理的。
- 『言語・知覚・世界』(1971)
- 『物と心』(1976)
- 『新視覚新論』(1982)
- 『時間と自我』(1992)
- 『時は流れず』(1996)
PATH C
時間論・記憶論から入る
身体論・現象学・現代物理学的時間論の関心から入る読者には、後期三部作を勧める。
- 『時間と自我』(1992)
- 『時間と存在』(1994)
- 『時は流れず』(1996)
- 入不二基義『時間は実在するか』
PATH D
科学哲学から入る
科学哲学・認識論・知識論への関心から入る読者には、別の入口がある。
- 『知の構築とその呪縛』(1994)
- 『知識と学問の構造』(1985)
- 『言語・知覚・世界』(1971)
- クワイン『ことばと対象』との対比読み
リソース──書誌・全集・研究情報
大森荘蔵研究のための一次・二次資料、全集情報、研究機関、英語圏の文献など。
PRIMARY / 全集
大森荘蔵著作集(岩波書店, 全10巻)
1998-1999年刊。生前の単著・主要論文・対談を網羅。野矢茂樹・坂本百大ほか編。
SECONDARY / 評伝
野矢茂樹『大森荘蔵──哲学の見本』
講談社学術文庫。直弟子による最良の評伝・思想入門。
REFERENCE / 辞典
コトバンク「大森荘蔵」
朝日日本歴史人物事典・現代人物事典の収録項目を統合した参照ページ。
REFERENCE / Wikipedia
大森荘蔵 – 日本語Wikipedia
略歴・著作・受容史の概観。出典つき。
RESEARCH / 英語論文
Yamano Hiroki “Ōmori Shōzō and Paul Ricœur” (2020)
大森とリクールの過去論を比較する貴重な英語論文(PDF)。
RESEARCH / 文献目録
PhilPapers: Ōmori Shōzō Bibliography
英語圏での大森研究文献のオンライン目録。
RESEARCH / CiNii
大森荘蔵著作集 書誌(CiNii)
国立情報学研究所の学術書誌DB。著作集の収蔵館一覧。
RESEARCH / 京都大学
京都大学大学院文学研究科「思想家紹介 大森荘蔵」
京大による日本哲学アーカイブの大森紹介ページ。
PRIMARY / 文庫
『物と心』ちくま学芸文庫
2015年文庫化。大森入門の定番。
Critical Inheritance
大森荘蔵と一本歯下駄──
「重ね描き」の論理を、装置と身体に拡張する
大森荘蔵が「重ね描き」と呼んだ論理は、知覚と科学の関係をめぐる発見であった。だがこの論理は、もっと広い射程を持っている。身体と装置、感覚と思想、実技と理論の関係──そのいずれもが、「重ね描き」の構造を持っているのではないか。
一本歯下駄を履く、という行為を考えてみよう。装着した瞬間、足元の 不安定さ が立ち現れる。次に、鳩尾あたりの こわばり が立ち現れる。続いて、不安定さを制御するために 足底感覚 がより鋭敏になる。これは知覚的アスペクトでの立ち現れである。
同時に、別のアスペクトでの立ち現れがある。足底圧重心 の動的調整、腓骨筋群 の選択的活性化、前庭系 と 視覚系 の重み付けの再配分──これらは生理学的アスペクトでの立ち現れである。
知覚的描像は、生理学的描像の 下にある何か ではなく、同じ事態の別の描き方 である。
これがGETTA思想体系の身体論の構造であり、大森的「重ね描き」の論理を、装置と身体の関係に拡張したものとして読むことができる。一本歯下駄という装置は、「不安定さ」という知覚的立ち現れと、「動的調整」という生理学的立ち現れを、同じ平面で 同時に 立ち上げる。両者は還元されあわず、ただ重なって描かれている。
さらに、大森の「思い出は知覚である」「時は流れず」というテーゼも、装置と身体の関係において深い意味を持つ。「五歳の身体性」とは、過去にあった身体感覚を呼び戻すことではない。いまの立ち現れの中に、五歳的アスペクトを重ねて描き直す ことである。装置は、その重ね描きを引き起こす媒介として働く。
「装着の感覚と生理学的記述があるのではない」「過去の身体と現在の身体があるのではない」──
と読み替えることができる。あるのはただ、立ち現れの様態 である。
身体現象学はメルロ=ポンティが切り拓いた。だが、それを 装置論 として展開するためには、メルロ=ポンティだけでは足りない。大森の「重ね描き」の論理が必要である。なぜなら、装置は身体の「外」にあるのではなく、身体と 重ねて描かれている ものだからだ。一本歯下駄は、足の延長でも、足の支えでもない。足の立ち現れの上に、別のアスペクトを重ねて描く道具 である。
この読み替えが、GETTA思想体系における大森の位置である。身体現象学(メルロ=ポンティ)と、装置論的存在論(大森)。両者を架橋する場所に、一本歯下駄は立っている。
思想を深める16の核心 ─ GETTA Thinkers Encyclopedia 全16巻
一本歯下駄GETTAの背景にある、知っておきたい16人の思想家──〈身体〉〈学び〉〈文化〉〈遊び〉を再定義した古今の知の星座。
関連する6つの深掘り論考
16人の思想を、GETTAの実装的観点から読み解いた論考群。
📚 GETTA Thinkers Encyclopedia ─ 思想図鑑シリーズ全16巻
同時代を生きた思想家たちが、いかに〈身体〉〈学び〉〈文化〉〈遊び〉を再定義したか──各図鑑は独立しつつ相互に照らし合う。
文化資本/ハビトゥス/界No.02 アンリ・ベルクソン
純粋持続/生命の躍動No.03 マルセル・モース
贈与論/身体技法No.04 メルロ=ポンティ
身体図式/知覚の現象学No.05 大森荘蔵
立ち現われ一元論/重ね描きNo.06 ジル・ドゥルーズ
差異と反復/器官なき身体No.07 イサドラ・ダンカン
鳩尾/自由な舞踊No.08 イヴァン・イリイチ
脱学校/コンヴィヴィアリティNo.09 ジャン・ピアジェ
発生的認識論/4段階No.10 エリク・H・エリクソン
アイデンティティ/8段階No.11 ロジェ・カイヨワ
遊びの四類型/対角線の科学No.12 市川浩
〈身〉/錯綜体/身分けNo.13 バックミンスター・フラー
宇宙船地球号/テンセグリティNo.14 マーサ・グラハム
コントラクション/181作No.15 ルース・セント・デニス
デニショーン/神聖舞踊No.16 西田幾多郎
純粋経験/場所の論理/絶対無
本シリーズが共有する一つの問い
〈身体〉が、文化が、学びが、遊びが、近代の枠組みのなかでどのように分節され、どこで歪められ、いかに再び動詞化されうるのか。
GETTA Thinkers Encyclopedia は、この一つの問いを16の星座から照らす編集方針で構成されています。
文化身体論研究者
いま、あなたが必要なのはどの一足か?
歩行のクセを解くプロセスは、3段階で進む。
あなたの今いる段階に合うモデルから始めてください。


