マーサ・グラハムとは|コントラクション・181作・イサム・ノグチ協働・モダンダンスの母の完全図鑑|思想図鑑 No.14

GETTA THINKERS ENCYCLOPEDIA No.14 / 16 MODERN DANCE
Martha Graham · 1894-1991 · US
MOTHER OF MODERN DANCE / モダンダンスの母

マーサ・グラハム

Martha Graham

1894 5 11 ALLEGHENY ─── 1991 4 1 NEW YORK

身体は嘘をつかない──。
呼吸を、骨盤を、収縮と解放を、舞踊の根源にすえた女。
181作の振付。70年の現場。20世紀全体を踊らせた者。

Movement never lies. It is a barometer telling the state of the soul’s weather to all who can read it. 動きは決して嘘をつかない。それは魂の天候を読む者すべてに告げる気圧計である。

マーサ・グラハムとは何者か──三つの相

マーサ・グラハム(1894-1991)は、20世紀のダンス史を二分する境界線そのものである。彼女以前にあった舞踊──宮廷バレエの優雅、ダンカンの自然回帰、セント・デニスの東洋への憧れ──を吸収しつつ、それらすべてを乗り越えて、身体を「人間の魂の風景」を映し出す媒質に作り変えた。タイム誌は彼女を「世紀のダンサー(Dancer of the Century)」と呼び、ピカソが視覚芸術に対して、ストラヴィンスキーが音楽に対して、フランク・ロイド・ライトが建築に対して為したことを、グラハムは舞踊に対して為したと評される。生涯は概ね三相に分かれる。

PHASE I 1894-1925

デニショーン期──模倣と種子

神経学を専門とする父ジョージ・グラハムから「動きは嘘をつかない」という命題を受け継ぎ、17歳でロサンゼルスのメイソン・オペラハウスでルース・セント・デニスの『エジプタ』を観て決定的な衝撃を受ける。1916年、デニショーン舞踊学校に入学。8年以上をかけてセント・デニスとテッド・ショーンから東洋舞踊・デルサルトの緊張と弛緩・舞台演出のすべてを学ぶ。彼女が後年「私のデニショーン仕込みのオリエンタリズム」と呼ぶ、種子の時期である。

PHASE II 1926-1944

独立と独自言語期──醜さの革命

1926年4月18日、ニューヨーク48丁目劇場で独立公演。1927年の革命的コンサートを境に、彼女の舞踊は「醜い、生々しい、難解」と評される激烈なものへと変貌する。1930年『嘆き』(コダーイ)、1935年『フロンティア』(ノグチ初協働)、1936年『クロニクル』(ナチス五輪招待を拒否しての応答)、1938年ホワイトハウス初公演、1944年『アパラチアの春』(コープランド作曲、ピューリッツァー賞)。長い羊毛服の十年を経て、アメリカ的主題を確立。

PHASE III 1945-1991

ギリシア神話期と神格化──女性の視点から神話を奪還する

エリック・ホーキンスとの結婚(1948)と離別(1954)を挟みつつ、ギリシア悲劇を女性主人公の視点から再構成する大作群を矢継ぎ早に発表。『心の洞窟』(メデイア)、『夜の旅』(ヨカスタ)、『迷路への使い』(アリアドネ)、1958年『クリュタイムネストラ』(全幕大作)。1969年に75歳で舞台引退、以降は振付に専念。1976年大統領自由勲章。1984年89歳で『春の祭典』振付。1991年4月1日、96歳で逝去。

グラハムは「動きを発明した」のではない。彼女は身体に内在する真実──呼吸が緊張と弛緩を交互に生じさせるという最小の事実──を、舞踊として顕在化させたのである。それゆえ彼女のテクニックは、形式である以前に告白であり、振付である以前に祈りであった。

マーサ・グラハム年譜──96年と70年の現場

誕生から死、その後の遺産まで、グラハムの軌跡をたどる。生涯にわたる転機・決定的な作品・出会いと別れを精選した。

1894

5月11日、ペンシルベニア州アレゲニー市(現ピッツバーグ)に誕生

父ジョージ・グラハムは精神疾患を専門とする「アリエニスト(alienist)」、長老派教会の家系。父は身体の動きが内的精神状態を露わにすると考え、幼いマーサに「動きは決して嘘をつかない」と語り聞かせた。これが彼女の生涯のテーゼとなる。

1909

家族でカリフォルニア州サンタバーバラへ移住

海のリズムとアジア美術に幼くして触れる。後年の振付に響く東洋的感性の素地が形成される。

1911

17歳、ロサンゼルスのメイソン・オペラハウスでルース・セント・デニスの『エジプタ』を観る

「あの瞬間、私は踊るために生まれてきたのだと知った」。両親に踊りの修行を願い出るが、長老派教会の家庭は許さなかった。父の死を待たねばならなかった。

1916

22歳、ロサンゼルスのデニショーン舞踊学校に入学

ルース・セント・デニス、テッド・ショーンに師事。8年以上、生徒としてのちに教師として在籍。デルサルトの緊張と弛緩、東洋舞踊の象徴体系、舞台総合演出のすべてを吸収する。後の音楽監督ルイス・ホーストとも、ここで出会う。

1920

テッド・ショーンが彼女のために『ソチトル(Xochitl)』を振付

アステカの少女が王に襲われる役。グラハムの感情の激しさが初めて批評家の目に触れる。デニショーン期の代表作となった。

1923

デニショーン退団、ニューヨーク「グリニッチ・ヴィレッジ・フォーリーズ」へ参加

伊藤道郎振付『カーマの庭』にも出演。商業舞台での経験は二年で終え、1925年イーストマン音楽院(ロチェスター)へ移り教鞭をとりつつ実験を始める。

1926

4月18日、ニューヨーク48丁目劇場で独立公演デビュー

マーサ・グラハム・コンサート・グループによる18作品。同年、カーネギーホールの小スタジオで自身の学校とカンパニーを設立。批評家は「優美で叙情的」と評したが、彼女自身は満足しなかった。

1927

革命的コンサート──「醜い」と評された作品群の登場

アルテュール・オネゲルの前衛音楽による『反逆(Revolt)』を含むプログラム。アメリカ史上最初の社会的抗議の舞踊と言われる。批評家・観客に酷評されるも、グラハム自身はこの十年を「長い羊毛服の時代(my period of long woolens)」と呼び、自身の言語を鍛え上げる時期と位置づけた。

1929

マーサ・グラハム・グループ(女性のみ)を率いて活動本格化

10年以上、男性ダンサーを入れず女性のみのカンパニーで作品を生み出した。ニューヨーク・タイムズ紙のジョン・マーティンが彼女を「モダンダンスの第一級の振付家」と評する。

1930

1月、ドリス・ハンフリー、チャールズ・ワイドマン、ヘレン・タミリスらと「ダンス・レパートリー・シアター」結成

同年5月、コダーイの音楽による不朽のソロ『嘆き(Lamentation)』を初演。ベンチに座り、伸縮するチューブ状の布に包まれた身体が、悲嘆そのものの図像へと変貌する作品。「嘆きの動き、それ自体」を踊ったと評された。

1935

『フロンティア(Frontier)』初演──イサム・ノグチとの30年協働の始まり

ホースト作曲、ノグチ初の舞台美術。フェンスの杭と二本の張られたロープのみで西部開拓の広大さを暗示するノグチの舞台は、20世紀舞台美術の革命となった。グラハムは舞台装置の世界に踏み込んだ。

1936

ベルリン五輪での公演招待をナチス・ドイツから受けるも、明確に拒否

「現在のドイツでは踊れない」と答えた。同年、応答として『クロニクル(Chronicle)』を発表。スペイン内戦と大恐慌を背景に、ファシズムへの抵抗を舞踊として彫琢した作品。

1938

フランクリン・ローズヴェルト大統領のホワイトハウスで公演──舞踊家として初の快挙

大統領夫人エレノア・ローズヴェルトに招かれた。同年、エリック・ホーキンスがカンパニー初の男性ダンサーとして加入。彼はハーヴァード大学で古典学を修めており、グラハムをギリシア神話の世界へ導く触媒となった。

1944

10月30日、ワシントンD.C.議会図書館で『アパラチアの春』初演

アーロン・コープランド作曲(ピューリッツァー賞受賞)、ノグチ装置(シェーカー教徒の揺り椅子)。第二次大戦末期、開拓地の若い夫婦の婚礼の朝の物語。マース・カニングハム初出演。アメリカ・モダニズムの金字塔となる。当初題は『勝利の家』、開幕30日前にハート・クレーンの詩『橋』から「アパラチアの春」と命名。

1946

『心の洞窟(Cave of the Heart)』初演──メデイアの神話の再構築

サミュエル・バーバー作曲、ノグチが「変容のドレス(蜘蛛のドレス)」を造形。嫉妬に焼かれるメデイアを、グラハム自身が踊った。本作以降、グラハムはギリシア悲劇を女性主人公の視点から徹底的に再構成していく。

1947

『迷路への使い(Errand into the Maze)』『夜の旅(Night Journey)』初演

前者はアリアドネの視点からのテーセウス神話、ノグチによる骨盤型の門と紐の装置。後者はオイディプス神話をヨカスタ(母)の視点から、シューマン作曲、ノグチ装置による「白骨の婚礼の床」。コーラスは「夜の娘たち」と呼ばれ、無意識を担う。フロイトが見落とした女性の眼を、舞踊が奪い返した。

1948

エリック・ホーキンスと結婚(15歳年下)

激しく愛し合い、激しくぶつかった。1950年、初のヨーロッパ・ツアー(パリ)で膝を負傷。同ツアー中にホーキンスとの破綻が始まる。

1954

ホーキンスと離別。深いアルコール依存に苦しむ時期に入る

人生の最大の喪失期。しかし、それ以降のグラハムの作品は、自伝的悲劇を神話的形式に昇華する独特の深度を帯びる。

1955

マーサ・グラハム舞踊団、初の来日公演

日本のモダンダンス界(江口隆哉・宮操子らによるノイエ・タンツ系列)に直接的衝撃を与える。日本人弟子(ユリコ・キクチ、後のアキコ・カンダ)の道を開く転換点。

1958

『クリュタイムネストラ(Clytemnestra)』初演──全幕大作

エジプト出身の作曲家ハリム・エル=ダブの音楽。古代ギリシア最強の女王の物語を、夫アガメムノンに殺された自身の娘イピゲニアを軸に再構成。グラハム最大規模の作品。

1962

『パイドラ(Phaedra)』初演──連邦議員からの抗議事件

ノグチの「子宮」と呼ばれる装置(公式名「蝶のオブジェ」)の翼が開くと、アフロディーテが脚を観客に向けて開いて座る。米連邦議員二名がアメリカ文化使節としての海外公演にふさわしくないと抗議。グラハムは退かなかった。

1968

5月25日、最後の公演(『歎き』『イメージ』)

アグネス・ド・ミルの伝記によると、これが彼女の踊り手としての最後の舞台となった。74歳。以降は振付に専念。

1974

マーサ・グラハム舞踊団、二度目の来日

日本のモダンダンス第二・第三世代に対する決定的影響期。アキコ・カンダがグラハム正統技法を日本に持ち帰り、舞踊と宝塚音楽学校の架橋を担う時期と重なる。

1976

ジェラルド・フォード大統領より大統領自由勲章を授与

舞踊家・振付家として初の快挙。フォード大統領は彼女を「国家の宝(national treasure)」と宣言した。同時期、宝石デザイナーのハルストン、その後ダナ・キャラン、カルヴァン・クラインといった一流ファッションデザイナーが衣装を提供。

1984

89歳、『春の祭典(Rite of Spring)』振付

ストラヴィンスキーの音楽。ニジンスキーの初版を下敷きに、原初の儀礼の素朴な側面を前面に出した。シャーマンが生贄に縄を巻く場面は古代の儀礼の再現のようだった。同年、パリ・オペラ座引越公演(ヌレエフ招聘)で開幕シーズンを飾る。

1985

ロナルド・レーガン大統領より米国国家芸術勲章(National Medal of Arts)の最初の受章者の一人に

パリ市の鍵、日本の宝冠章、フィレンツェ「ピエラ・ベンチェニ賞」など、世界各国の最高栄誉を受ける。

1990

三度目の来日。同年『メープルリーフ・ラグ(Maple Leaf Rag)』初演

スコット・ジョプリンのラグタイム音楽、衣装はカルヴァン・クライン。グラハム作品では珍しいユーモラスな佳品。

1991

4月1日、ニューヨークにて逝去(96歳)。最後の振付『ニーチェの言うところに』を未完で残す

同年、自伝『血の記憶(Blood Memory)』がダブルデイから刊行。日本では翌1992年、筒井宏一訳で新書館「クラシックス・オン・ダンス」叢書として刊行された。

2011

生誕117年、Googleがロゴ・アニメーションでグラハムを称揚

ライアン・ウッドワードによる軌跡的アニメーション。同年、日本ではアキコ・カンダが逝去。グラハム正統の系譜が日本で一つの環を閉じた。

2025-26

マーサ・グラハム舞踊団、創立100周年記念ツアー

芸術監督ジャネット・アイルバーのもと、『夜の旅』『クロニクル』『アパラチアの春』『嘆き』『天使たちの転回』をはじめ、新たな委嘱作とともに世界各地を巡回。グラハムの遺産は、生誕から130年を経てなお現役である。

三つの柱──身体は嘘をつかない/血の記憶/神の運動家

マーサ・グラハムの思想は、書物ではなく身体に書かれた。彼女自身が「私は技法を作ろうとしたことなど一度もない」と語ったように、グラハム・テクニックも、グラハム哲学も、踊りながら発見されたものだった。その核心を三本の柱として整理する。

第一の柱──「動きは決して嘘をつかない」

父ジョージ・グラハムは精神疾患を扱う医師(アリエニスト)であった。彼は身体の些細な動き──手の震え、視線の逸らし、姿勢の崩れ──のなかに、患者の隠れた精神状態が現れると信じていた。父はマーサに繰り返し言った。「いいか、これは生涯忘れるな。お前は嘘をついてはいけない」。後にグラハムは振り返る。「あの瞬間の鮮烈さを、私は決して忘れていない」。

『血の記憶』第4頁の有名な命題──Movement never lies. It is a barometer telling the state of the soul’s weather to all who can read it.──は、父から娘への、医学から舞踊への、半世紀を超えた贈与である。グラハムにとって、舞踊は「美しい動きの陳列」ではなく、魂の天候そのものを露出させる媒質であった。

これがグラハムの第一原理である。動きは内的真実の徴候である。ゆえに振付家は、動きを発明するのではなく、内的真実を呼び起こす条件を整えるのだ。

第二の柱──「血の記憶(Blood Memory)」

グラハムの第二の核は、晩年自伝の表題ともなった「血の記憶」である。これは個人の記憶を超えて、世代を、民族を、神話を貫いて流れる身体的記憶を指す。クリュタイムネストラがアガメムノンを討つとき、メデイアがわが子を殺すとき、ヨカスタが我が息子と契ったと知るとき──そこに現れる激情は、いまここのダンサーの肉体に「血の記憶」として息づいている、とグラハムは確信した。

これがグラハムにギリシア悲劇への執着をもたらした。彼女のギリシア神話作品群──『心の洞窟』『夜の旅』『迷路への使い』『クリュタイムネストラ』──はすべて、男性ヒーロー中心の伝統的読解を逆転させ、女性主人公の血の記憶を中心軸に据える。研究者ロニー・アンコーナはこれを「古代の女性中心受容(woman-centered reception of antiquity)」と呼んだ。フロイトのエディプス・コンプレックスが見落とした女性の眼を、舞踊が奪い返したのである。

第三の柱──「神の運動家(Athlete of God)」

グラハムは語った──We learn by practice. Whether it means to learn to dance by practicing dancing or to learn to live by practicing living, the principles are the same. One becomes in some area an athlete of God.(私たちは練習によって学ぶ。踊ることを練習して踊りを学ぶのも、生きることを練習して生を学ぶのも、原理は同じである。人はある領域において、神の運動家となるのだ)。

この「神の運動家」概念は、彼女のテクニック・クラスの厳密性、毎日の床稽古、70年に及ぶ現場継続の根拠であった。1960年初演の作品『神の運動家たち(Acrobats of God)』はこの命題を直接振付化したものである。練習は反復ではなく、神聖な実践である。練習によって、ダンサーは自分の意志を超えた何かの媒質となる。これがグラハムにとってのダンサーの倫理であり、現場で生涯にわたって貫かれた。

三つの柱は別々のものではない。父から受け継いだ「動きは嘘をつかない」が証言の倫理を、「血の記憶」が物語の深度を、「神の運動家」が日々の修練の聖性を担う。三者が三角形を成すところに、マーサ・グラハムという現象が立ち上がる。

グラハム・テクニック──呼吸を様式化する

グラハム・テクニックは、現代モダンダンス史上、唯一バレエに匹敵する規模と体系性を獲得した技法である。米国ダンス批評家アルマ・ギジェルモプリエトは「グラハムは、自身の振付から発展させた動きから、真に普遍的なダンス技法を生み出した最初のモダンダンスの創設者である」と評した。

中核原理──コントラクション・アンド・リリース(Contraction and Release)

コントラクション(contraction/収縮)──息を吐き出す動作。骨盤と腰椎が弧状に丸まり、胸郭が閉じ、脊柱が後方に湾曲する。打楽器的、鋭く、衝撃的。

リリース(release/解放)──息を吸い込む動作。骨盤を起点に腰椎が伸び、脊柱が縦に長く伸長する。

グラハムはデルサルトの「緊張と弛緩」原理を、自身の身体研究から再解釈した。デニショーン時代に学んだ理論を、ニューヨーク独立後の床稽古のなかで、彼女自身が呼吸の生理から「衝動制御の方法」として再定義したのである。バレエの優美な滑らかさとは正反対の、収縮起点の鋭角的・打楽器的・直接的な動きが生まれた。初期の批評家はこれを「醜い」と評したが、グラハム自身は「私は美しさを踊るのではない。湧き起こる感情を踊るのだ」と応じた。

スパイラル(Spiral)──螺旋の力学

体幹を捻りながら螺旋状のエネルギーを発生させる動き。コントラクションと組み合わさることで、身体は単なる二次元的な収縮ではなく、三次元的な渦動を生む。胴体の捻転、骨盤の前後上下の連動、頭頂と尾骨の対角的伸長。グラハムにおける「神話的時間」──過去と現在が同時に存立する時間──を表現するための語彙である。

フォーリングとリカヴァリー(Falls and Recovery)

立位から床へと崩れ、再び立ち上がる動き。床は単なる舞台面ではなく、身体が帰る大地そのものとして扱われる。落下は重力への屈服ではなく、重力との共謀である。リカヴァリーは反発ではなく、地から地への伝達である。グラハム独特の「四点稽古(four corners)」と呼ばれる床稽古は、この落下と再起の反復によって、ダンサーの身体に「重力との対話」を刻み込む。

パーカッシヴ・ムーヴメント(Percussive Movement)

突発的・衝撃的な動き。準備動作なしに発火する。バレエの予備動作(プレパラシオン)を否定し、感情の衝動が即座に身体表面に到達する経路を作る。クリュタイムネストラの怒り、メデイアの憎悪、ヨカスタの絶望──こうした激情は、滑らかな線では表現できない。打楽器が必要だった。

床稽古の革命──Floor Work as Foundation

グラハムはバレエとは異なり、床に座る・寝る・転がる稽古を技法の基盤に据えた。彼女自身は「私は床から始めた。自分自身を見つけるため、身体に何ができるかを知るため、感情的・劇的・身体的に満足できるものを探すために」と語っている。日本のヨーガとの類縁関係を指摘する研究もある(藩麗・頭川昭子「マーサ・グラハムのフロアー・テクニックとインド・ヨーガとの関連」『身体運動文化研究』7巻1号、2000年)。

グラハム・テクニックの本質は「動きの発明」ではない。呼吸という最も根源的な身体現象を、舞踊として様式化したこと──ここに革命があった。だからこそグラハム技法は、生理学的に正しく、感情的に強烈で、文化を越えて普遍化することができた。

マーサ・グラハム主要概念30

技法の基本動作から、グラハム哲学の核心命題、世界観の根幹まで──マーサ・グラハムを読み解くための30の鍵概念を凝縮した。

CONCEPT 01

コントラクションContraction

息を吐く瞬間、骨盤を起点に脊柱が弧状に湾曲する動き。グラハム技法の発火点。打楽器的・鋭利・直接的。バレエの優美さの対極にある「内的衝動の表面化」。

CONCEPT 02

リリースRelease

息を吸う瞬間、骨盤から脊柱が縦に伸長する動き。コントラクションと交替し、呼吸の生理を舞踊の言語へと変換する基本リズム。

CONCEPT 03

スパイラルSpiral

体幹を捻りながら螺旋状のエネルギーを発生させる動き。コントラクションを三次元化し、神話的時間を身体化する語彙。

CONCEPT 04

フォーリング・アンド・リカヴァリーFalls and Recovery

立位から床へ、床から立位へ。落下は屈服ではなく重力との共謀。床稽古「四点」をはじめ、グラハム独自の床術の体系。

CONCEPT 05

パーカッシヴ・ムーヴメントPercussive Movement

予備動作なしに発火する突発的な動き。バレエのプレパラシオンを否定し、感情の衝動が即座に身体表面に到達する経路。

CONCEPT 06

骨盤起点の動きPelvic Initiation

あらゆる動きの起点を骨盤に置く。バレエが頭頂や腕の線を起点にするのに対し、グラハムは身体の重心──骨盤──を運動の生成点と定めた。

CONCEPT 07

ヴァギナの叫び“Vagina’s Cry”

グラハム自身がコントラクションを呼んだ語。骨盤底からの収縮を、女性身体の発話として語った。『夜の旅』におけるヨカスタの収縮で頂点に達する。

CONCEPT 08

血の記憶Blood Memory

個人を超えて世代・民族・神話を貫いて流れる身体的記憶。グラハム晩年の自伝の表題でもある中心概念。ギリシア悲劇に向かう彼女の根拠。

CONCEPT 09

動きは嘘をつかないMovement Never Lies

父ジョージ・グラハムからの遺産。動きは内的状態の徴候であり、舞踊家は内的真実を呼び起こす媒質である。グラハム第一原理。

CONCEPT 10

神の運動家Athlete of God

日々の練習が舞踊家を「神の運動家」たらしめる、というグラハムの倫理。1960年作品『神の運動家たち』として直接振付化された命題。

CONCEPT 11

魂の風景Landscape of the Soul

グラハムの語る「ダンスの本質は人間の表現──魂の風景である」(『血の記憶』)。装飾的な美ではなく、内的風景の地形そのもの。

CONCEPT 12

魂の隠された言語Hidden Language of the Soul

“Dance is the hidden language of the soul.” 言葉に翻訳できない魂の動きを、身体だけが語ることができる。ダンスを「最初の芸術」と呼ぶ根拠。

CONCEPT 13

生命力の翻訳Vitality Translation

アグネス・ド・ミルへの言葉「あなたを通じて行動へと姿を変える、活力・生命力・エネルギー・胎動がある」。芸術家の存在論的責任。

CONCEPT 14

回路を開いておくKeep the Channel Open

芸術家の唯一の責務。自分の表現を他人と比較する必要はない。ただ、回路を開き、湧いてくる衝動に気づき続けること。グラハム創作論の真髄。

CONCEPT 15

神聖なる不満Divine Dissatisfaction

「奇妙で神聖な不満、祝福された不安が、私たちを行進させ続け、誰よりも生きていると感じさせる」。芸術家を貫く永続的な不充足。

CONCEPT 16

私は盗人である“I Am a Thief”

「私は盗人だ──そして恥じない。プラトン、ピカソ、ベルトラム・ロス、最良のものから私は盗む」。創作の倫理を反転させた宣言。

CONCEPT 17

芸術家は時代に先んじないNo Artist Is Ahead of His Time

「芸術家は時代に先んじていない。彼が時代なのだ。他の者が遅れているだけだ」。グラハム流の時代論。

CONCEPT 18

女性中心のギリシア神話再構築Woman-Centered Reception of Antiquity

男性ヒーロー中心の神話読解を反転。メデイアがイアソンを、ヨカスタがオイディプスを、クリュタイムネストラがアガメムノンを、アリアドネがテーセウスを、それぞれの中心とする。

CONCEPT 19

羊毛服の十年My Period of Long Woolens

1927年〜1937年頃、酷評を受けつつ独自言語を鍛えた時期のグラハム自身の呼称。ジャージ素材の質素なドレスで踊り続けた。

CONCEPT 20

ピカソに比される者Picasso of Dance

ピカソが視覚芸術に、ストラヴィンスキーが音楽に、フランク・ロイド・ライトが建築に対して為したことを、グラハムは舞踊に対して為した。

CONCEPT 21

世紀のダンサーDancer of the Century

タイム誌が彼女に贈った称号。ピープル誌は「世紀の女性アイコン」の一人と評した。20世紀全体を踊らせた者。

CONCEPT 22

国家の宝National Treasure

1976年、フォード大統領が大統領自由勲章授与時に彼女を「国家の宝」と宣言した。日本でも宝冠章を受勲。

CONCEPT 23

舞踊の心理深度Psychological Depth in Dance

フロイト・ユングの無意識論、ケンブリッジ学派のギリシア神話研究を吸収し、舞踊に心理学的深度を導入。彼女以前のダンスにはなかった次元。

CONCEPT 24

舞台美術の革命Revolution of Stage Design

ノグチとの30年協働により、書き割り(painted backdrop)を否定し、彫刻的・空間的・触知可能な装置を導入。舞踊と立体芸術の融合。

CONCEPT 25

アメリカン・モダニズムAmerican Modernism

『フロンティア』『アメリカン・ドキュメント』『アパラチアの春』。アメリカ的主題を、ヨーロッパの優美なバレエ伝統と並ぶ「もう一つの普遍」として確立。

CONCEPT 26

ファシズムへの抵抗Resistance to Fascism

1936年、ベルリン五輪のナチス招待を「現在のドイツでは踊れない」と拒否。同年『クロニクル』で応答。1937年『深い歌(Deep Song)』はスペイン内戦への応答。

CONCEPT 27

人種の壁を越えてFirst Integrated Dance Company

マーサ・グラハム舞踊団は、定期的にアジア系・アフリカ系のダンサーを起用した米国最初のダンス・カンパニー。文化的境界を越えた身体の普遍性を実践した。

CONCEPT 28

181作の振付181 Choreographic Works

生涯振付数。ソロから全幕大作まで。バレエのレパートリーに匹敵する規模と多様性。マーサ・グラハム舞踊団は今もそのレパートリーを継承している。

CONCEPT 29

75歳まで踊り続けた者Dancing Until 75

1968年、74歳で最後の公演。その後も振付を続け、89歳で『春の祭典』を振付。96歳の死まで創作を止めなかった。70年現場の典型。

CONCEPT 30

私はダンサーであるI Am a Dancer

グラハムが繰り返した自己定義。職業ではなく存在の様式として、彼女は生涯を「ダンサー」として生きた。技法の発明者ではなく、生の様式の発明者であった。

代表作16選──181作のなかの結晶

マーサ・グラハムは生涯181作の振付を残した。バレエの全レパートリーに匹敵する規模である。ここでは時代と主題を貫いて代表する16作を、年代順に精選した。各作品の音楽家・装置美術家との協働、そして主題的革新を併記する。

1929

ヘレシー(異端)

Heretic

古いブルターニュの民謡を伴奏に、白いドレスの孤独な女性が、黒い衣の集団から拒絶される。グラハム独自の言語が形を取り始めた最初期の重要作。共同体と異端の構図を最小限の動きで彫琢する。

音楽:古いブルターニュ民謡(ホースト編曲)/グラハム・グループ女性のみ

1930

嘆き

Lamentation

グラハムの代名詞となるソロ作品。ベンチに座った女性が、伸縮するチューブ状の紫色の布に包まれ、その布の張力と身体の捻転だけで「嘆き」そのものの図像を作り出す。「悲しんでいる人を踊るのではない、悲しみそれ自体を踊るのだ」と評された。後に9.11テロを受けて「ラメンテーション・ヴァリエーションズ」プロジェクトの種子となる。

音楽:ゾルタン・コダーイ/衣装:マーサ・グラハム/初演:マキシン・エリオット劇場

1931

原始の神秘

Primitive Mysteries

アメリカ南西部の聖地ペナテンテ派の儀礼に着想。グラハムを含む女性12名のアンサンブル。グッゲンハイム・フェローシップの成果として制作された大作で、グラハム前期の頂点。儀礼的・反復的・厳格な構造。

音楽:ルイス・ホースト/全三章「祝福の歌」「十字架の歌」「奉献の歌」

1935

フロンティア

Frontier

アメリカ西部の開拓者の女性のソロ。フェンスの杭と二本の張られたロープというノグチの初の舞台美術が、舞台に「広大なる西部」を顕現させた。グラハムの装飾排除の美学とノグチのミニマリズムが合流した革命的作品。「私はまっすぐに立ち、何があってもまっすぐに立ち続ける決意だった」。

音楽:ルイス・ホースト/装置:イサム・ノグチ(ノグチとの30年協働の起点)

1936

クロニクル(編年史)

Chronicle

スペイン内戦と大恐慌、ファシズムの台頭への応答。同年のベルリン五輪招待を拒否したグラハムが、舞踊として記した抵抗の記録。「悲嘆」「祝祭の前夜」「過去の警告」「祈り」「太鼓」の五章。集団意志の暴力性と、個の連帯の可能性を対置する。

音楽:ウォリングフォード・リーガー/装置:ノグチ/衣装:マーサ・グラハム

1937

深い歌

Deep Song

スペイン内戦への深く響くソロ。「人間の人間に対する非道さに引き裂かれた世界への、グラハムの恐怖の身体化」と評される。長いベンチを地形のように使い、孤独な女性が戦争の傷を抱える。

音楽:ヘンリー・カウェル/一人の女性の凝縮された証言

1938

アメリカン・ドキュメント

American Document

エリック・ホーキンスがカンパニー初の男性として加わった作品。アメリカ独立宣言、聖書、ジョナサン・エドワーズの説教、奴隷の歌などを引用しながら、アメリカという「文書」を身体で読み解く。ベットルックハウスでの初演。

音楽:レイ・グリーン/グラハムが「演じる舞踊」と呼んだ新形式の確立

1944

アパラチアの春

Appalachian Spring

アメリカ・モダンダンスの金字塔。アーロン・コープランドのピューリッツァー賞受賞曲、ノグチによるシェーカー教徒の家屋と揺り椅子の彫刻的装置。19世紀アパラチア地方の若い夫婦の婚礼の朝。希望と不安、フロンティアの孤独と共同体の祝福が交錯する。マース・カニングハム初出演(説教師役)。当初題は『勝利の家』、最終題はハート・クレーンの詩集『橋』から命名。

音楽:アーロン・コープランド/装置:イサム・ノグチ/衣装:イーディス・グィン/初演:議会図書館(ワシントンD.C.)

1946

心の洞窟

Cave of the Heart

メデイア神話の舞踊化。グラハム自身がメデイアを踊った。ノグチによる「変容のドレス(蜘蛛のドレス)」──炎の戦車と呼ばれる金属性のドレス──をメデイアが纏うと、彼女は嫉妬と復讐の権化となる。グラハムは「これは父である太陽神のもとへ私を運ぶ炎の戦車だ」と語った。20世紀舞台美術の最高傑作の一つ。

音楽:サミュエル・バーバー/装置・衣装:イサム・ノグチ/初演:マッカーター劇場

1947

迷路への使い

Errand into the Maze

テーセウス神話を、ヒロイン・アリアドネの視点から再構成したデュエット。アリアドネは「恐怖の獣(ミノタウロス)」と三度対峙し、ついにこれを克服する。ノグチの装置は、骨盤の骨のようにV字に立つ門と、空間を蛇行する一本の長い縄。

音楽:ジャン・カルロ・メノッティ/装置:イサム・ノグチ/初演:ジーグフェルド劇場

1947

夜の旅

Night Journey

ソフォクレス『オイディプス王』を、ヨカスタ(母であり妻)の視点から再構成。グラハムがヨカスタ、ホーキンスがオイディプス。冒頭、ヨカスタが臍の緒を暗示する長い紐を手に現れ、首をくくる仕草をすると過去にフラッシュバック。コーラスは「夜の娘たち」と呼ばれ、無意識の闇に棲む。フロイトのエディプス理論を、女性の眼から奪い返した記念碑的作品。

音楽:ウィリアム・シューマン/装置:イサム・ノグチ(白骨の婚礼の床)/初演:ボストン・ケンブリッジ・ハーヴァード大学

1948

天使たちの転回

Diversion of Angels

愛の三相──情熱の白い愛、官能の赤い愛、清らかな黄色い愛──を抽象的に描いた抒情作。「愛のさまざまな様相をめぐる、歓ばしく抒情的で抽象的な、本質的なエッセイ」。グラハム作品では珍しい、明るい光に満ちた佳品。

音楽:ノーマン・デロ・ジョイオ/衣装:マーサ・グラハム/初演:ニュー・ロンドン

1958

クリュタイムネストラ

Clytemnestra

グラハム最大の全幕作品(90分)。アガメムノンの妻、彼女の娘イピゲニアを生贄に捧げた夫を待ち伏せして殺す女王。古代ギリシア悲劇最強の女性主人公を、グラハムが踊った。エジプト出身の作曲家ハリム・エル=ダブによる音楽は、地中海・中東世界を媒介する。グラハムのギリシア神話シリーズの頂点。

音楽:ハリム・エル=ダブ/装置:イサム・ノグチ/初演:エイドルフィ劇場

1958

争われる庭

Embattled Garden

エデンの園を再解釈した、現代的かつ赤裸々な悲喜劇。アダム、イヴ、リリス、蛇の四角関係。誘惑の永遠性を探求。ノグチによる象徴的なリンゴの装置は、踊り手たちが内側で動ける「初歩的な風景」として機能する。

音楽:カルロス・スリナチ/装置:イサム・ノグチ

1960

神の運動家たち

Acrobats of God

グラハムが繰り返し語った「ダンサーは神の運動家である」という命題を、自虐的ユーモアを交えて舞踊化した自己反映的作品。芸術家の修練と幻想、舞踊家の挫折と栄光を、舞台稽古の風景として描く。グラハム後期の重要作。

音楽:カルロス・スリナチ/装置:イサム・ノグチ

1990

メープルリーフ・ラグ

Maple Leaf Rag

96歳での逝去前年、最晩年の振付。スコット・ジョプリンのラグタイム音楽、衣装はカルヴァン・クライン。ホースト時代を懐かしむユーモラスで愛情に満ちた佳品。「いつもラグタイムを聴くと笑える」とグラハムは言った。深刻なグラハム作品群のなかでの異色作にして、彼女の人間的次元を伝える。

音楽:スコット・ジョプリン/装置:アメリカ民俗芸術/衣装:カルヴァン・クライン

これらは181作のうちの16作にすぎない。しかし、ここに「醜さの革命」「アメリカン・モダニズム」「女性中心のギリシア神話」「ノグチとの彫刻的協働」というグラハムの全主軸が凝縮されている。マーサ・グラハム舞踊団のレパートリーは現在も継承されており、世界各地で上演されている。

イサム・ノグチ──彫刻と舞踊の30年

マーサ・グラハムとイサム・ノグチ(1904-1988)の協働は、20世紀舞台美術史上、他に例を見ない深度と継続性を持つ。1935年『フロンティア』から始まり、ノグチがグラハム作品のために設計した舞台装置・舞台彫刻は35点以上。「私たちは語られざる言語を共有していた」とグラハムは振り返った。「私はマーサの延長であり、彼女は私の延長だった」とノグチは答えた。

第一期──ミニマリズムの始まり(1935〜1944)

『フロンティア』(1935)でノグチは、フェンスの杭と二本の張られたロープのみで西部開拓地の広大さを暗示した。グラハムは1930年代に主流であった書き割り(painted backdrop)を否定し、ダンサーの感情がそのまま見えるようなミニマリスティックな美学を求めていた。ノグチはまさにそれを実現した。「グラハムの仕事において、いつも先に来るのは彼女である。私のもとへアイデア、テーマ、神話を持ってくる。彼女は要望があれば伝える──その後、形態は私の投影である」(ノグチ、回想より)。

第二期──ギリシア神話と彫刻的装置(1946〜1958)

『心の洞窟』(1946)でメデイアの「変容のドレス(蜘蛛のドレス)」、『夜の旅』(1947)でヨカスタとオイディプスの「白骨の婚礼の床」、『迷路への使い』(1947)で骨盤型のV字の門と一本の縄、『クリュタイムネストラ』(1958)で全幕分の彫刻的舞台。ノグチはグラハムの装置を「俳優の延長」として設計した。グラハム自身が「彼の彫刻を、私自身の解剖学の延長として使った」と語った。装置は単なる背景ではなく、もう一人のダンサーであった。

第三期──エロスと挑発(1958〜1962)

『争われる庭』(1958)の象徴的なリンゴと枯木、『パイドラ』(1962)の「子宮(蝶のオブジェ)」──翼が開くと、アフロディーテが脚を観客に向けて開いて座る装置。米連邦議員から抗議を受けた事件は、ノグチとグラハムが追求した「身体と性の真実の表象」が、いかに当時の社会通念を揺さぶったかを示している。「セックスと暴力こそマーサが見せようとしたもの。私はあの作品が大好きだった」(ノグチ)。

ノグチとグラハムの30年は、舞踊と彫刻の融合の極点である。ノグチは語った──「マーサと一緒に仕事をして、私はもの(objects)の感情的因子を学んだ」。これは彫刻家の側からの、深い告白である。マーサとの協働を通じて、ノグチもまた変容した。

影響の地形図──源泉と継承

マーサ・グラハムが何から何を吸収し、何へと何を伝えたか──彼女を歴史の地形のなかで位置づける。源泉と継承を、それぞれ12人ずつ精選した。

源泉──グラハムが受け継いだもの

  • ジョージ・グラハム(父・精神医)── 「動きは決して嘘をつかない」という生涯のテーゼの起源
  • ルース・セント・デニス(1879-1968)── 17歳の時メイソン・オペラハウスでの『エジプタ』。決定的な触発
  • テッド・ショーン(1891-1972)── デニショーンでの直接の師。『ソチトル』を彼女のために振付
  • フランソワ・デルサルト(1811-1871)── 「緊張と弛緩」原理。デニショーン経由でグラハムへ
  • ルイス・ホースト(1884-1964)── 音楽監督・恋人・批評家。1926-1948年、グラハム独立期の伴走者
  • マリー・ヴィグマン(1886-1973)── ドイツ表現舞踊の母。ホーストを通じてグラハムに紹介された
  • ワシリー・カンディンスキー── 抽象表現主義。ホーストがグラハムに紹介。形式革新の触媒
  • ジークムント・フロイト(1856-1939)── 無意識論。グラハムのギリシア神話作品の心理学的深度
  • カール・ユング(1875-1961)── 元型論・集合的無意識。「血の記憶」概念の理論的背景
  • ジェイン・ハリソン(1850-1928)── ケンブリッジ学派のギリシア神話・儀礼研究
  • エリック・ホーキンス(1909-1994)── 夫・恋人・グラハム第一の男性ダンサー。ハーヴァード古典学出身、彼女をギリシア神話へ導く
  • 能楽── ホーキンス経由・ノグチ経由で。儀礼性・型・余白の美学

継承──グラハムが伝えたもの

  • マース・カニングハム(1919-2009)── 1939年カンパニー加入、1945年離脱。グラハムへの反動からポストモダンを開拓
  • ポール・テイラー(1930-2018)── グラハム舞踊団出身。20世紀後半最大の振付家の一人
  • トワイラ・サープ(1941-)── グラハム舞踊団出身。ポップカルチャーと現代舞踊の架橋
  • アンナ・ソコロフ(1910-2000)── 政治的・社会的舞踊の継承者
  • パール・ラング(1922-2009)── グラハム作品の継承と再演の担い手
  • ロバート・コーハン(1925-2021)── 英国ロンドン現代舞踊学校創立。グラハム・テクニックの欧州伝播
  • ドナルド・マッケイル(1930-2018)── アフリカ系アメリカ人ダンサー・振付家。グラハム門下
  • イスラエル・バトシバ・ダンス・カンパニー── 1965年バテシバ・ド・ロチルドが設立、グラハムが初代芸術監督
  • ベティ・フォード── 後の米国ファーストレディは、若き日にグラハムに師事
  • ベット・デイヴィス/カーク・ダグラス/グレゴリー・ペック/マドンナ/ライザ・ミネリ── 俳優たちにも身体表現を教えた
  • マーゴ・フォンテイン/ルドルフ・ヌレエフ/ミハイル・バリシニコフ── バレエ世界の頂点が、客演としてグラハム作品を踊った
  • ピナ・バウシュ/オハッド・ナハリン(GAGA)── 直接的継承ではないが、感情と身体の直接性を求める後発の系譜

日本における受容──三度の来日と弟子たち

マーサ・グラハムは生涯三度(1955年・1974年・1990年)来日した。日本のモダンダンス界はグラハム以前の段階で、ドイツ表現舞踊(ノイエ・タンツ)の系譜を江口隆哉・宮操子夫妻が1933年に持ち帰っていた。グラハムの来日は、この第一世代の延長線上に、第二世代以降の決定的な変容をもたらした。日系人・日本人の弟子も多く輩出し、なかでもアキコ・カンダはグラハム正統技法を日本に持ち帰り、宝塚音楽学校との架橋を担った。

1933 PROLOGUE

江口隆哉・宮操子夫妻──ノイエ・タンツの系譜

1933年にドイツから帰国し、マリー・ヴィグマンに連なるノイエ・タンツ(新舞踊)の舞台を日本に紹介。それまでの日本にない新鮮さと革新性で観客に衝撃を与え、バレエとの基本的な違いの認識を確立した。グラハム来日以前の日本モダンダンスの土壌はここに準備された。

1955 FIRST TOUR

マーサ・グラハム舞踊団 初来日公演

第二次世界大戦後の日米文化交流の一環。アメリカ国務省の文化使節としての側面も持つ。日本のモダンダンス界に直接的な技法的衝撃を与えた。次世代──ユリコ・キクチ、後のアキコ・カンダ──が渡米してグラハム門下に加わる道を開いた転換点である。

1956〜1962 DISCIPLE

アキコ・カンダ(神田正子)── グラハム愛弟子の一人

1935年埼玉県大宮市生まれ。7歳から石井小浪に師事。日本女子大学在学中の1956年、ニューヨークのマーサ・グラハム舞踊学校に入学。9ヶ月でカンパニー・メンバーに昇格。1962年帰国。グラハムの「愛弟子の一人」と呼ばれ、我が国モダンダンス界の第一人者の地位を確立。30年以上にわたり宝塚音楽学校・宝塚歌劇団の振付・講師も務めた。「ダンスは生きている証」と語り、2011年9月23日逝去。

1944〜 JAPANESE-AMERICAN

ユリコ・キクチ(菊池有里子, 1920-2022)

日系アメリカ人ダンサー。第二次大戦中の日系人強制収容所からマンザナーで踊りを学んだ。戦後、グラハム・カンパニーに加入。グラハム作品の主要役を多数踊り、1976年WNET『アパラチアの春』映画版でも主役を務めた。グラハム後継者の一人として、長年にわたり指導者・振付家として活躍。日本人としてグラハム正統に最も深く触れた一人。

1960s〜 JAPANESE

浅川高子・折原美樹

グラハム舞踊団日本人ダンサーの系譜。グラハム後期のレパートリー再演に貢献。日本に帰国後も、グラハム・テクニックの伝授者として後進を育成。日本のモダンダンス界における「グラハムの直系」の物語を担う。

EARLY MEMBER

アイレス・ギルモア──ノグチの異父妹

イサム・ノグチの異父妹。グラハム舞踊団初期メンバーの一人として活動。ノグチがグラハムと出会う以前から、ギルモアはグラハム門下にいた。ノグチとグラハムを結びつける媒介者となった。

1974 SECOND TOUR

二度目の来日公演

グラハム舞踊団二度目の来日。アキコ・カンダの帰国(1962)後、グラハム正統技法が日本国内で展開されつつあった時期。日本のモダンダンス第二・第三世代に対する決定的影響期となった。グラハム自身は80歳間近、振付に専念しつつカンパニーを率いる立場にあった。

1990 THIRD TOUR

最後の来日公演

96歳の死の前年、最後の来日。同年、グラハム最晩年の作品『メープルリーフ・ラグ』が初演されるなど、創作意欲は衰えず。日本にとってグラハムの肉体に直接触れる最後の機会となった。

1992 TRANSLATION

『血の記憶』日本語訳刊行

マーサ・グレアム著・筒井宏一訳『血の記憶──マーサ・グレアム自伝』新書館「クラシックス・オン・ダンス」叢書として1992年刊行(原著1991)。グラハム自身の声を日本語で読める唯一の自伝資料。学術的にはオリジナル版の編集者の介入が大きいことが指摘されているが、グラハムの全体像をたどる第一の書物。

2023 ARCHIVE

新国立劇場「ダンス・アーカイヴ in JAPAN」

2023年、新国立劇場のダンス・アーカイヴ事業で、芙二三枝子・折田克子・アキコ・カンダの三人の代表作が再演された。アキコ・カンダ作品『マーサへ』──グラハムへの献辞作品──も含まれる。日本独自のモダンダンスの「原点を確認し、今と未来を展望する」企画として、グラハムの遺産が日本でもアーカイヴ化される動きが続いている。

RESEARCH

日本における学術研究

藩麗・頭川昭子「マーサ・グラハムのフロアー・テクニックとインド・ヨーガとの関連」『身体運動文化研究』7巻1号(2000)、小川原春恵「マーサ・グラハムとグラハム・テクニックについて」『東京女子体育大学紀要』第15号(1980)、和田春恵「『クリュタイメネストラ』とグラハム・テクニック」『藤村学園女子体育大学紀要』第16号(1981)、白須尋子「コンテンポラリーダンス論」『東京学芸大学紀要』第5部門・48号(1996)など、舞踊学・体育学・身体論からの研究が継続的に行われている。

LEGACY

日本身体文化への影響

グラハムの「コントラクションは骨盤と胸郭の連動」という捉え方は、日本の伝統的な「腰・腹・丹田」の身体観と部分的に共鳴する。能楽の構え、武道の腰の位置、舞踊の腰の据わり──いずれも、骨盤を起点とする身体運動の系譜にある。グラハムの提示した「呼吸の様式化」は、日本身体文化の伝統と無関係ではなく、むしろ普遍的な身体真実の二つの表現と見ることができる。

マーサ・グラハム十二の言葉

グラハムは多くの言葉を残したが、彼女自身が「動きは嘘をつかない、しかし言葉は──」と冗談めかして言うように、その言葉も身体を経由した言葉であった。代表的な十二の言葉を、彼女の声のままで残す。

動きは決して嘘をつかない。それは、読み取れる者すべてに告げる、魂の天候の気圧計である。

─ Blood Memory, p.4

活力、生命力、エネルギー、胎動──それがあなたを通して行動へと姿を変える。あなたは時のなかで唯一無二の存在であり、その表現も唯一無二である。もしそれを阻めば、それは他のどの媒体にも存在せず、失われてしまう。世界はそれを持たないことになる。

─ アグネス・ド・ミルへの手紙

私たちは練習によって学ぶ。踊ることを練習して踊りを学ぶのも、生きることを練習して生を学ぶのも、原理は同じである。人はある領域において、神の運動家となる。

─ Acrobats of God

ダンスは魂の隠された言語である。私にとって、身体は言葉が言えないことを言う。ダンスこそが最初の芸術であったと、私は信じる。

─ Blood Memory

私は盗人である──そして恥じない。プラトン、ピカソ、ベルトラム・ロス、最良のものから私は盗む。

─ Notebooks

芸術家に満足はない。いつ何時も満足など存在しない。ただ、奇妙で神聖な不満、祝福された不安があるのみ。それが私たちを行進させ続け、誰よりも生きていると感じさせる。

─ Agnes de Mille, Martha

芸術家は時代に先んじているのではない。彼が時代なのだ。他の者たちが、時代に遅れているだけだ。

─ Martha Graham

私は技法を作ろうとしたことなど一度もない。ただ床から始めた──自分自身を見つけるため、身体に何ができるかを知るため、感情的・劇的・身体的に満足できるものを探すために。

─ Blood Memory

偉大なダンサーは、技法ゆえに偉大なのではない。情熱ゆえに偉大なのだ。

─ Martha Graham

過去を見つめるのは、揺り椅子に身を埋めるようなものだ。とてもくつろげる。前後に揺れていられる。しかし、決して前へは進まない。

─ Blood Memory

ダンスの本質は、人間の表現である──その魂の風景である。私のすべてのダンスが、私の何かを露わにし、人間がなりうる何か素晴らしいものを露わにすることを願う。

─ Blood Memory

あなたは東洋人でもビルマ人でも何であってもいい。しかし、身体の機能と身体への気づきが、ダンスとなり、あなたはダンサーとなる──ただの人間ではなく。

─ Blood Memory

マーサ・グラハムへの五段階の読書ルート

マーサ・グラハムを深く知るための五段階のステップ。入門から専門研究まで、舞踊・哲学・心理学を貫く読書ルートを提示する。

1

入門──映像と自伝で全体像を掴む

まずマーサ・グラハム舞踊団の公式サイト(marthagraham.org)で『嘆き』『フロンティア』『アパラチアの春』の映像を観る。次にマーサ・グレアム著・筒井宏一訳『血の記憶──マーサ・グレアム自伝』(新書館、1992)を読む。「動きは嘘をつかない」を最初の補助線として読み始める。

2

基礎研究──英語圏の標準的伝記

Russell Freedman, Martha Graham: A Dancer’s Life(Clarion Books, 1998)が最も読みやすい入門書。Agnes de Mille, Martha: The Life and Work of Martha Graham(Random House, 1991)はグラハムの弟子による詳細な伝記で、第一級の証言を多数収録。Marian Horosko, Martha Graham: The Evolution of Her Dance Theory and Training(Univ. Press of Florida, 2002)は技法の発展を追える。

3

技法と身体──実践的探究へ

Ernestine Stodelle, Deep Song: The Dance Story of Martha Graham(Schirmer Books, 1984)は技法と作品を踊り手の視点から解読。藩麗・頭川昭子「マーサ・グラハムのフロアー・テクニックとインド・ヨーガとの関連」(『身体運動文化研究』7巻1号、2000年)はグラハム床稽古を東洋の身体技法と接続する稀有な研究。これに小川原春恵「マーサ・グラハムとグラハム・テクニックについて」(『東京女子体育大学紀要』第15号、1980年)を併読。

4

深層研究──ジェンダー・古典・心理

Sally Banes, Dancing Women: Female Bodies on Stage(Routledge, 1998)はグラハムをフェミニズム舞踊史のなかに位置づける。Mark Franko, Martha Graham in Love and War(Oxford UP, 2012)はホーキンスとの関係と政治的文脈を追究。Ronnie Ancona, Martha Graham’s Greek Myth-Based Dances and Her Collaboration with Isamu Noguchi(Bloomsbury, 2025)は古典学者によるギリシア神話の女性中心受容の最新研究。

5

専門研究──批判的視座と最新の論争

Victoria Phillips, “Martha Graham’s Gilded Cage: Blood Memory—An Autobiography (1991)”(Dance Research Journal, 2013)は『血の記憶』の編集問題を批判的に検証する重要論文。Henrietta Bannerman, Martha Graham’s House of the Pelvic Truth(McFarland, 2018)は技法と思想の交差を解剖。Victoria Thoms, Martha Graham: Gender & the Haunting of a Dance Pioneer(Intellect Books, 2013)はゴースティング理論を用いた斬新な分析。

さらに読むための資源

日本語・英語の主要資料を精選。学術論文、百科事典、公式アーカイブ、グラハム継承組織への信頼できる入口を一覧する。

百科事典・基礎情報(日英)

公式・アーカイブ機関

原典テキスト(英語)

  • Graham, Martha. Blood Memory: An Autobiography. New York: Doubleday, 1991(自伝)
  • Graham, Martha. The Notebooks of Martha Graham. New York: Harcourt Brace Jovanovich, 1973(創作ノート)
  • Graham, Martha. Martha Graham: Sixteen Dances in Photographs(Barbara Morgan写真集), 1941
  • Graham, Martha. “This Modern Dance.” Dancing Times (London), December 1932
  • Graham, Martha. “A Modern Dancer’s Primer for Action” in Frederick Rand Rogers, ed., Dance: A Basic Educational Technique. New York: Macmillan, 1941

主要伝記・研究書(英語)

  • de Mille, Agnes. Martha: The Life and Work of Martha Graham. New York: Random House, 1991(弟子による包括的伝記)
  • Stodelle, Ernestine. Deep Song: The Dance Story of Martha Graham. New York: Schirmer Books, 1984
  • Freedman, Russell. Martha Graham: A Dancer’s Life. New York: Clarion Books, 1998
  • Horosko, Marian. Martha Graham: The Evolution of Her Dance Theory and Training. Gainesville: University Press of Florida, 2002
  • McDonagh, Don. Martha Graham: A Biography. Praeger, 1973
  • Franko, Mark. Martha Graham in Love and War: The Life in the Work. Oxford University Press, 2012
  • Bannerman, Henrietta. Martha Graham’s House of the Pelvic Truth: The Figuration of Sexual Identities and Female Empowerment. McFarland, 2018
  • Phillips, Victoria. Martha Graham’s Cold War: The Dance of American Diplomacy. Oxford University Press, 2020
  • Thoms, Victoria. Martha Graham: Gender & the Haunting of a Dance Pioneer. Intellect Books, 2013
  • Ancona, Ronnie. Martha Graham’s Greek Myth-Based Dances and Her Collaboration with Isamu Noguchi. Bloomsbury, 2025
  • Banes, Sally. Dancing Women: Female Bodies on Stage. Routledge, 1998

日本語書籍・翻訳

  • マーサ・グレアム著・筒井宏一訳『血の記憶──マーサ・グレアム自伝』新書館「クラシックス・オン・ダンス」、1992年(原著1991)
  • 江口隆哉『舞踊創作の技法』万有社、1965年──ノイエ・タンツ系列の日本モダンダンスの基本書
  • 『現代舞踊』一般社団法人現代舞踊協会編、年刊──日本のモダンダンス史を辿る基本誌

学術論文

  • Phillips, Victoria. “Martha Graham’s Gilded Cage: Blood Memory—An Autobiography (1991).” Dance Research Journal, 2013(PDF版:commons.gc.cuny.eduProject MUSE
  • Ancona, Ronnie. “‘Cave of the Heart,’ The Medea of Martha Graham and Isamu Noguchi.” New Voices in Classical Reception Studies, Open University(PDF
  • 藩麗・頭川昭子「マーサ・グラハムのフロアー・テクニックとインド・ヨーガとの関連」『身体運動文化研究』7巻1号、2000年
  • 小川原春恵「マーサ・グラハムとグラハム・テクニックについて」『東京女子体育大学紀要』第15号、1980年
  • 和田春恵「『クリュタイメネストラ』とグラハム・テクニック」『藤村学園女子体育大学紀要』第16号、1981年
  • 白須尋子「コンテンポラリーダンス論」『東京学芸大学紀要』第5部門、48号、1996年
  • LaMothe, Kimerer L. “Why Dance? We Are Our Bodies Becoming.” Dance, Movement and Spiritualities, 2014
  • Bannerman, Henrietta. “An Overview of the Development of Martha Graham’s Movement System (1926-1991).” Dance Research, 1999

よくある質問

マーサ・グラハムについて頻繁に寄せられる問いに答える。

マーサ・グラハムは誰か?

アメリカン・モダンダンスの母と呼ばれる20世紀最大の振付家・舞踏家(1894-1991)。コントラクションとリリースを核とするグラハム・テクニックを創出し、生涯181作の振付を残した。タイム誌は「世紀のダンサー(Dancer of the Century)」と称し、舞踊史上ピカソ・ストラヴィンスキー・フランク・ロイド・ライトに比される。

「コントラクション・アンド・リリース」とは?

グラハム技法の中核原理。呼吸の生理を様式化したもので、息を吐く瞬間に骨盤と胸が弧状に収縮し(contraction)、息を吸うときに脊柱が伸長して解放される(release)。デルサルトの「緊張と弛緩」原理を、グラハム自身が再解釈・再構築した。バレエの優美な滑らかさとは正反対の、収縮起点の鋭角的・打楽器的・直接的な動きが生まれた。

代表作は?

『嘆き(Lamentation)』(1930)、『フロンティア(Frontier)』(1935)、『クロニクル(Chronicle)』(1936)、『アパラチアの春(Appalachian Spring)』(1944/コープランド作曲・ノグチ装置・ピューリッツァー賞)、『心の洞窟(Cave of the Heart)』(1946/メデイア神話)、『迷路への使い(Errand into the Maze)』(1947)、『夜の旅(Night Journey)』(1947/ヨカスタ視点のオイディプス)、『クリュタイムネストラ(Clytemnestra)』(1958/全幕大作)、『天使たちの転回(Diversion of Angels)』(1948)、『神の運動家たち(Acrobats of God)』(1960)、『春の祭典(Rite of Spring)』(1984/89歳の振付)、『メープルリーフ・ラグ(Maple Leaf Rag)』(1990)など。

グラハムはどのように舞踊家になったのか?

17歳の時(1911年)、ロサンゼルスのメイソン・オペラハウスでルース・セント・デニスの『エジプタ』を観て決定的な衝撃を受けたのが出発点。長老派教会の家庭は彼女の踊り手志望を許さず、父ジョージの死後の1916年(22歳)、デニショーン舞踊学校に入学。8年以上をかけてセント・デニスとテッド・ショーンに師事。1923年デニショーンを離れ、1926年4月18日にニューヨーク48丁目劇場で独立公演デビュー。同年、自身のカンパニーと学校を設立した。

日本との関係は?

1955年・1974年・1990年の三度来日。日系人・日本人の弟子として、ユリコ・キクチ、アキコ・カンダ、浅川高子、折原美樹、アイレス・ギルモア(イサム・ノグチの異父妹)が在籍。自伝『血の記憶』は筒井宏一訳で新書館(1992)から刊行。日本のモダンダンス第一世代(江口隆哉・宮操子)の延長線上で、第二世代以降に決定的な影響を与えた。アキコ・カンダは「グラハムの愛弟子の一人」と呼ばれ、宝塚音楽学校で30年以上にわたり振付・講師を務めた。

イサム・ノグチとはどんな関係だったのか?

1935年の『フロンティア』から30年以上にわたり、ノグチはグラハムの作品のために35以上の舞台美術を設計した。『心の洞窟』のメデイアの蜘蛛のドレス、『夜の旅』の白骨の婚礼の床、『迷路への使い』の骨盤型の門、『クリュタイムネストラ』の彫刻群など、二人の協働は20世紀舞台美術史上の極点とみなされる。グラハムは「私たちは語られざる言語を共有していた」と語り、ノグチは「私はマーサの延長であり、彼女は私の延長だった」と応じた。グラハムはノグチの彫刻を「自身の解剖学の延長」として使った。

「動きは決して嘘をつかない」とは?

グラハム第一原理。父ジョージ・グラハム(精神疾患を扱う医師)が幼い彼女に語ったとされる命題で、後にグラハム自身が舞踊論として再解釈した。動きは内的な精神状態の徴候であり、舞踊家は内的真実を呼び起こす媒質である。形式主義的な振付ではなく、内面の真実を露わにする身体としての舞踊──このグラハム哲学の核心が、この命題に凝縮されている。『血の記憶』第4頁の有名な定式:Movement never lies. It is a barometer telling the state of the soul’s weather to all who can read it.

「血の記憶(Blood Memory)」とは?

個人の記憶を超えて、世代を、民族を、神話を貫いて流れる身体的記憶を指すグラハムの中心概念。彼女のギリシア神話作品群──『心の洞窟』『夜の旅』『迷路への使い』『クリュタイムネストラ』──は、男性ヒーロー中心の伝統的読解を逆転させ、女性主人公の血の記憶を中心軸に据える。研究者ロニー・アンコーナはこれを「古代の女性中心受容」と呼んだ。フロイトのエディプス・コンプレックスが見落とした女性の眼を、舞踊が奪い返した。1991年の自伝の表題ともなった概念。

なぜ1936年のベルリン五輪を拒否したのか?

ナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは、モダンダンスを好まなかったが、最終的にヒトラーと共にグラハムをアメリカ代表として招待した。グラハムは「現在のドイツでは踊れない」と明確に拒否した。米国はその年、芸術競技に参加しなかった。同年、グラハムは応答として『クロニクル(Chronicle)』を発表。スペイン内戦と大恐慌、ファシズムの台頭への舞踊的応答であった。

グラハム舞踊団は今も活動しているのか?

活動している。1926年創立、米国最古のダンス・カンパニー。1991年のグラハム逝去後、紆余曲折を経て、2005年にジャネット・アイルバーが芸術監督に就任して以降、安定した活力を取り戻した。マーサ・グラハム舞踊学校はマンハッタンのウエストベス・スタジオに置かれ、現在もグラハム作品のレパートリー上演と新作委嘱の双方を行っている。2025-26年は創立100周年記念ツアーが世界各地で行われた。

グラハム自身の身体は、どんなだったのか?

小柄で強靭。1894年生まれの彼女は、1968年5月25日(74歳)まで踊り続けた。最後の公演を74歳で迎え、その後は振付に専念。1984年には89歳で『春の祭典』の振付を行った。1991年4月1日、96歳で逝去するまで現役だった。長年のアルコール依存に苦しんだ時期もあったが、それも創作のエネルギーへと変換していった。「いつもラグタイムを聴くと笑える」と最晩年にも語ったユーモアの人でもあった。

グラハム以後のダンスへの影響は?

マース・カニングハム(カンパニー出身、1945年離脱、ジョン・ケージと組みポストモダンダンスを開拓)、ポール・テイラー、トワイラ・サープなど、20世紀後半最大の振付家がグラハム門下から出ている。ベット・デイヴィス、カーク・ダグラス、マドンナ、ライザ・ミネリ、グレゴリー・ペックといった俳優にも身体表現を教えた。マーゴ・フォンテイン、ルドルフ・ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフといったバレエ世界の頂点も、グラハム作品を踊った。1965年バトシバ・ダンス・カンパニー(イスラエル)の初代芸術監督。技法は世界各地のダンス教育に組み込まれ、現在も生きている。

Mother of American Modern Dance / アメリカン・モダンダンスの母

“Movement never lies.”

本ページは公開資料・学術文献・公式サイトに依拠した教育的・図鑑的解説である。

DEEP DIVE

マーサ・グラハムの独自理論を網羅クリック展開

15項目の核心概念を、各カードクリックで詳細展開できます。
一次資料(原著・主要論文)への参照リンク完備。

01 コントラクションとリリース(Contraction and Release) ▼ クリックで展開

グラハム技法の根幹。骨盤を中心に、息を吐きながら身体を内へ収縮(contraction)させ、息を吸いながら開放(release)する一連の動き。古典バレエの上昇志向(垂直性)を否定し、地と接続する重力的・呼吸的な舞踊言語を創出。感情と身体性を直結させる「内側からの動き」の哲学。

📖 一次資料:
・Martha Graham Technique公式DVD
・『Blood Memory』Martha Graham 1991
02 床(Floor)の発見 ▼ クリックで展開

グラハム以前のダンスは「床から離れる」ことを目指した。グラハムは床を主要舞台空間として活用し、座る・横たわる・転がる・這うといった動きを舞踊化。重力との対話、身体の重さと根づきを表現する革命的転回。

03 身体記憶(Blood Memory) ▼ クリックで展開

肉体に蓄積される祖先からの記憶・経験。1991年の自伝タイトル。「私はあなたが踊らなかったすべての踊りを覚えている」。生命の連続性・身体的伝承・文化的記憶という主題は、グラハム晩年の核心。

📖 一次資料:
・『Blood Memory: An Autobiography』1991
04 ギリシア神話の心理学的再解釈 ▼ クリックで展開

グラハムは1940年代後半からギリシア神話を心理学的・女性主義的視点で再構築する大型作品群を制作。『心の洞窟(Cave of the Heart)』1946(メデイア)、『夜の旅(Night Journey)』1947(イオカステ)、『クリュタイムネストラ(Clytemnestra)』1958(夜会の女王)。ユング心理学の影響大。

05 『嘆き(Lamentation)』1930 ▼ クリックで展開

グラハム独立後の代表的初期作。一片の紫色のジャージ布で覆われた一人の人物が、地を踏みしめ、引き伸ばし、捻り、絞り出す悲嘆の身体彫塑。「悲しみの身体的形」を見出した記念碑的作品。3分間の純粋舞踊。

06 『フロンティア(Frontier)』1935 ▼ クリックで展開

グラハム初期の代表作。アメリカ西部開拓者の女性。イサム・ノグチが初めてグラハム作品の美術を担当(柵と二本のロープのみのミニマルセット)。アーロン・コープランド作曲。アメリカ的精神の凝縮。30年協働のスタートライン。

07 『アパラチアの春(Appalachian Spring)』1944 ▼ クリックで展開

グラハム最も愛される代表作。ペンシルベニア州の若い農民夫婦の結婚式。コープランド作曲(同曲でピューリッツァー音楽賞受賞)、ノグチ美術。アメリカ大陸の精神的風景の決定版。1958年映画版あり。

08 『心の洞窟(Cave of the Heart)』1946 ▼ クリックで展開

ギリシア悲劇『メデイア』の再解釈。サミュエル・バーバー作曲、ノグチ美術(蛇のような金属彫刻)。嫉妬と復讐の女性像を、外的物語ではなく内的心理として身体化。グラハム自身がメデイアを踊った。

09 『夜の旅(Night Journey)』1947 ▼ クリックで展開

オイディプス神話を母イオカステの視点で再解釈。母であり妻でもあった女性の苦悩を、彼女の死の瞬間から走馬灯のように回想する構造。ウィリアム・シューマン作曲、ノグチ美術。心理舞踊の最高峰。

10 『クリュタイムネストラ(Clytemnestra)』1958 ▼ クリックで展開

グラハム最大の野心作。アガメムノン王を殺した王妃の物語をフルレングス(90分超)で描いた史上初のフルレングス・モダンダンス作品。古代ギリシアの宇宙論をグラハム流に大成。グラハム自身が題名役。

11 『心の頂上(Diversion of Angels)』1948 ▼ クリックで展開

三組の男女が三色(黄・赤・白)で「初恋・成熟した愛・神聖な愛」を表現する純粋舞踊。グラハム作品中最も技法的に洗練された結婚記念作品。技法のショーケースとして今も世界で踊り継がれる。

12 デニショーン舞踊学校での修行 ▼ クリックで展開

1916-23年、グラハムはルース・セント・デニス&テッド・ショーンの「デニショーン舞踊学校」で訓練を受けた。ここで世界の身体技法(バレエ・東洋舞踊・スペイン舞踊・自然舞踊・幾何学的動き)の総合教育を受け、後のグラハム技法の素地を作った。

13 ベニントン・サマー・スクール(1934-) ▼ クリックで展開

ヴァーモント州ベニントン大学で開催された夏期舞踊学校。グラハム・ハンフリー・ワイドマン・ホルムらが教師。アメリカン・モダンダンスの中核となる作品(『フロンティア』含む)が生まれた。「アメリカン・モダンダンスの揺籠」と呼ばれる。

14 マーサ・グラハム舞踊学校(1926-) ▼ クリックで展開

1926年ニューヨークに設立、現存する世界最古のモダンダンス学校。ここでグラハム技法が体系化・伝承される。世界中から学生が集まり、エリック・ホーキンス、マース・カニンガム、ポール・テイラー、ロバート・ウィルソン、ミハイル・バリシニコフら次世代を輩出。

15 イサム・ノグチとの30年協働 ▼ クリックで展開

1935年から1966年まで30年以上、20作品以上で協働。ノグチがグラハムのために制作した彫刻的舞台美術は、東洋的なミニマル抽象と心理学的象徴の融合。日米の身体性と空間性が出会う20世紀芸術史の重要なノード。

📖 一次資料:
・『Isamu Noguchi: A Sculptor’s World』1968
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マーサ・グラハム 一次資料・国際的研究リソース集

Wikipedia・Britannica・公式財団・大学アーカイブ・Internet Archive・CiNii・J-STAGE・PhilPapers・WorldCat等の国内外の権威リソース21件を集約。

🔗 Wikipedia: Martha Graham (英語)🔗 Wikipedia: マーサ・グラハム (日本語)🔗 Britannica: Martha Graham🔗 Martha Graham Dance Company (公式)🔗 Martha Graham School (公式)🔗 Library of Congress: Martha Graham Collection🔗 New York Public Library Dance Division: Graham🔗 Internet Archive: A Dancer’s World (1957 film)🔗 Internet Archive: Martha Graham Speaks🔗 Britannica: Modern Dance🔗 MoMA Collection: Isamu Noguchi🔗 Smithsonian: Martha Graham🔗 PBS American Masters: Martha Graham🔗 MetMuseum: Noguchi-Graham Collaborations🔗 Dance Magazine Archives: Graham🔗 CiNii Research: マーサ・グラハム🔗 J-STAGE: グラハム研究🔗 WorldCat: Martha Graham Bibliography🔗 Open Library: Martha Graham Books🔗 Google Scholar: Martha Graham🔗 Encyclopedia.com: Martha Graham
SHARED EDITORIAL PHILOSOPHY

本シリーズが共有する一つの問い

〈身体〉が、文化が、学びが、遊びが、近代の枠組みのなかでどのように分節され、どこで歪められ、いかに再び動詞化されうるのか。
GETTA Thinkers Encyclopedia は、この一つの問いを16の星座から照らす編集方針で構成されています。

EDITOR / AUTHOR
宮﨑 要輔(みやざき ようすけ)
合同会社GETTAプランニング 代表
文化身体論研究者
PUBLISHER
合同会社GETTAプランニング
和歌山県和歌山市本町
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天才を動詞にする実装哲学
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