九鬼周造
九鬼周造とは──60秒でつかむ全体像
九鬼周造(くき・しゅうぞう、1888–1941)は、「いき」と「偶然」という、西洋哲学が正面から扱わなかった二つの主題を哲学の中心に据えた日本の哲学者である。東京に生まれ、東京帝国大学でラファエル・フォン・ケーベルに学び、1921年から約8年間ヨーロッパに留学。ハイデルベルクでリッケルトに、フライブルク・マールブルクでフッサールとハイデガーに学び、パリではベルクソンと交わり、まだ無名の学生だったサルトルを会話教師として雇った。
帰国後は西田幾多郎らの推挽で京都帝国大学に着任。『「いき」の構造』(1930)で江戸の美意識「いき」を媚態・意気地・諦めの三契機として分析し、『偶然性の問題』(1935)で偶然性を定言的・仮説的・離接的の三様態に分節して原始偶然にまで遡った。二つの主著は別々の本ではない。「二度と繰り返さない、いま、ここの一回性を、どう生きるか」という一つの問いの、美学の側からの答えと、存在論の側からの答えである。
基本情報KUKI SHUZO ─ KEY FACTS
| 名前 | 九鬼周造(くき・しゅうぞう)/ Kuki Shūzō |
|---|---|
| 生没年 | 1888年(明治21年)2月15日 – 1941年(昭和16年)5月6日(満53歳没) |
| 出身 | 東京。父は男爵・九鬼隆一(文部官僚、のち帝国博物館総長) |
| 学統 | 東京帝国大学文科大学哲学科(ラファエル・フォン・ケーベルに師事)→ ハイデルベルク(リッケルト)→ パリ(ベルクソンと交流)→ フライブルク(フッサール)→ マールブルク(ハイデガー) |
| 所属 | 京都帝国大学文学部(1929年着任、のち教授) |
| 主著 | 『「いき」の構造』(1930)/『偶然性の問題』(1935)/『人間と実存』(1939)/『文藝論』(1941) |
| キーワード | いき/媚態・意気地・諦め/偶然性/邂逅/原始偶然/実存/おのずから・みずから/縞の美学/回帰的時間 |
| 墓所 | 京都・鹿ケ谷 法然院 |
※ 本図鑑の引用は『「いき」の構造』ほか刊行原典に拠ります。学術利用の際は必ず原典(岩波文庫版・『九鬼周造全集』岩波書店)をご確認ください。
目次全十章+付録三部
第一章 九鬼周造とは何者かWHY KUKI, WHY NOW
哲学史の教科書で、九鬼周造はしばしば一行で済まされる。「京都学派の周辺で『いき』を論じた哲学者」。だがその一行の内側には、二十世紀の哲学が交差した、信じがたい密度の生涯が畳み込まれている。
考えてみてほしい。フッサールの家でハイデガーと出会い、マールブルクでその講義に列し、パリではベルクソンと語り、若き日のサルトルからフランス語を習った日本人──そんな人物は、哲学史上、九鬼周造ただ一人である。ヨーロッパ現象学と実存哲学の生成現場に立ち会った当事者が、持ち帰った問いは、しかしヨーロッパの問いではなかった。彼が八年の留学の果てに書いたのは、江戸の遊里に磨かれた美意識「いき」の分析だった。
これは退行ではない。九鬼は、ヨーロッパで手に入れた最高精度の分析装置──現象学と解釈学──を、ヨーロッパ哲学が一度も対象にしなかったものへ向けた。言葉にならないとされてきた民族的美意識を、概念の言葉で完全に記述しきる。『「いき」の構造』(1930)はその実験であり、世界の哲学史のなかでも類例の少ない達成である。
そしてもう一冊。『偶然性の問題』(1935)で九鬼は、西洋形而上学が二千年にわたり必然性の陰に押し込めてきた「偶然」を、存在論の中心に引きずり出した。なぜ私は、他の誰でもなく私なのか。なぜこの時代に、この場所に生まれたのか。理由はない。理由がないというそのことを、九鬼は誤魔化さずに考え抜いた。
二冊は無関係に見えて、一つの問いで貫かれている。二度と繰り返さない「いま、ここ」の一回性を、人はどう引き受け、どう生きるのか。「いき」の三契機の最後に置かれた「諦め」──運命への明らめ──は、『偶然性の問題』が偶然の果てに見出す「邂逅の引き受け」と、同じ一点を指している。美学と存在論が、九鬼のなかで一つの生き方の哲学に合流する。
本図鑑は、この合流点までの全行程を歩く。生涯、二冊の主著の全構造、時間論と押韻論、「おのずから」と「みずから」、西洋哲学との交差、後世への影響。そして第九章では、九鬼が言語の側から記述したこの構造を、宮崎要輔の文化身体論が身体の側からどう実装するか──その収束点を詳述する。
第二章 生涯1888–1941 ─ LIFE & TIMELINE
出生の陰影──男爵家と岡倉天心
九鬼周造は1888年(明治21年)2月15日、東京に生まれた。父・九鬼隆一は摂津三田藩の出身で、文部官僚として美術行政を主導し、のちに男爵・帝国博物館総長となった明治国家のエリートである。だが周造の家庭には、最初から深い陰影が差していた。母・波津をめぐる岡倉天心(覚三)との関係である。父の部下であり日本美術史の巨人であった天心と母との関係は家庭を引き裂き、両親はのちに別居・離縁に至る。周造は母とともに育ち、天心の面影を複雑な敬愛とともに抱き続けたと伝えられる。
この出生の事情は、伝記的な逸話にとどまらない。正統な「家」の秩序からずれた場所で、美と粋の世界に触れながら育ったという原体験は、後年、遊里の美意識「いき」を、恥じることなく哲学の主題に据える感受性の土壌になったと、多くの九鬼研究が指摘してきた。九鬼の哲学は、彼の生の偶然──選べなかった出生の条件──を、思索によって引き受け直す営みでもあった。
ヨーロッパ八年──現象学の生成現場へ
東京帝国大学文科大学哲学科でラファエル・フォン・ケーベルに学び、大学院を経て、九鬼は1921年(大正10年)、ヨーロッパへ発つ。以後約八年に及ぶ留学は、単なる遊学ではない。二十世紀哲学が生まれつつある現場を、順番に、当事者として通過していく行程だった。
ハイデルベルクでは新カント派のリッケルトに価値哲学を学び、パリではベルクソンと交わってフランス哲学の水脈に触れた。フライブルクでフッサールのもとで現象学を修めるなか、フッサール家の集いで一人の若い私講師と出会う──マルティン・ハイデガーである。九鬼はマールブルクに移ってその講義と演習に列し、『存在と時間』(1927)の衝撃を最初期に受け止めた日本人の一人となった。そして1928年前後のパリでは、まだ無名の学生だったジャン=ポール・サルトルをフランス語の会話教師として雇い、フランス哲学の最新動向を聞き取っている。同年にはポンティニーの旬日会などで、東洋の時間論と日本芸術についてフランス語で講演した。
京都──「いき」と「偶然」の結晶
1929年に帰国した九鬼は、西田幾多郎らの推挽により京都帝国大学文学部に着任する(講師として着任、のち教授)。翌1930年、留学中から温めていた構想を『「いき」の構造』として世に問い、1935年には学位論文にもとづく『偶然性の問題』を刊行。講義「実存哲学」を通じて、Existenz に「実存」の訳語を当てて定着させた最初期の一人ともされる。晩年は時間論・押韻論・日本的性格論へと思索を広げ、祇園の芸妓であった女性と結ばれるなど、その生き方自体が「いき」の哲学と地続きだった。1941年5月6日、腹膜炎のため53歳で死去。墓は京都・鹿ケ谷の法然院にあり、哲学の道からほど近いその場所に、今も多くの読者が訪れる。
年表
第三章 『「いき」の構造』完全解説THE STRUCTURE OF IKI ─ 1930
3-1 方法──「いき」は翻訳できるか
『「いき」の構造』は、一つの挑発的な問いから始まる。「いき」という語は、ヨーロッパ語に翻訳できるか。九鬼はエスプリ(esprit)、シック(chic)、コケットリー(coquetterie)、ラフィネ(raffiné)といった候補を一つずつ検討し、いずれも「いき」の意味の一部しか掬えないことを示す。「いき」に正確に対応する語は、存在しない。
ここから九鬼は方法論的な決断を下す。「いき」を、あらかじめ用意した抽象概念の枠に流し込むのではなく、この語を生きてきた民族の具体的な存在体験そのものから、意味を汲み上げること。九鬼はこれを、概念的分析に先立つ「民族的存在の会得」と呼んだ。ハイデガーの解釈学とフッサールの現象学──留学で身につけた二十世紀最先端の方法が、ここで江戸の遊里の美意識に向けられる。誰も試みたことのない照準だった。
3-2 三契機──媚態・意気地・諦め
分析の結果、九鬼は「いき」の内包的構造を三つの契機として取り出す。通俗的な要約でよく使われる言い回しを借りれば、「いき」とは「垢抜して(諦め)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)」である。三つは並列ではない。媚態という質料を、意気地と諦めという二つの形相が限定する──そういう立体構造をなしている。
3-3 媚態──可能性を可能性のまま保つ技術
三契機のうち、九鬼がもっとも精密に定義したのが媚態である。九鬼はこう書く。
媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。
── 九鬼周造『「いき」の構造』鍵は「可能的関係」という一語にある。媚態は、関係の実現を目指しながら、実現してしまえば消える。距離がゼロになった瞬間、二元性は解消し、緊張は失われる。だから媚態の本領は、可能性を可能性のまま維持し続けること──近づきながら、決して到達しきらないこと──にある。九鬼はこの微妙な力学を「二元的可能性」と呼び、後述する縞模様の美学にまで一貫させる。到達しない平行線こそ、媚態の幾何学なのである。
3-4 意気地──靡かない張り
媚態だけでは「いき」にならない。相手に溶けきってしまう媚態は、野暮であり、甘さに堕ちる。そこに稜線を刻むのが意気地である。「宵越しの銭は持たぬ」「武士は食わねど高楊枝」──江戸っ児の痩せ我慢と反骨。九鬼はその背景に、武士道の理想主義を見た。異性に対して媚態を差し向けながら、同時に、決して靡ききらない。求めながら、屈しない。この矛盾した緊張の持続が、「いき」に凛とした張りを与える。
3-5 諦め──運命を知った者の垢抜け
そして三つ目の契機、諦め。九鬼の言う諦めは、投げやりな断念ではない。運命というものを知ってしまった者の、執着からの静かな離脱である。遊里の恋がどこへも行き着かないことを知り尽くしたうえで、なお恋の緊張だけを純粋に生きる。背景には仏教の無常観がある。この諦めが媚態から粘着と重さを抜き取り、「垢抜け」──あっさりとした軽みを生む。九鬼の哲学全体を貫く音叉がここにある。諦めとは、偶然を運命として引き受ける態度の、美学的な名前なのだ(第四章で存在論の側から再訪する)。
3-6 存在完成──三契機の統合
三契機の関係を、九鬼自身が一文に凝縮した箇所がある。
要するに、「いき」という存在様態において、「媚態」は、武士道の理想主義に基づく「意気地」と、仏教の非現実性を背景とする「諦め」によって、存在完成にまで限定されるのである。
── 九鬼周造『「いき」の構造』「存在完成」という強い言葉に注意したい。「いき」は単なる趣味やスタイルではなく、一つの存在様態(あり方)の完成形として語られている。色気という生の衝動が、理想主義(意気地)と宗教的達観(諦め)という二つの精神文化によって限定されるとき、そこに民族の生き方の結晶が現れる──『「いき」の構造』の核心テーゼである。武士道と仏教という、遊里とは最も遠いはずの二つの伝統が、遊里の美意識の骨格をなしているという逆説。この発見の鮮やかさが、本書を九十年後の今も古典たらしめている。
3-7 趣味の直方体──「いき」の座標系
九鬼の分析は「いき」単体で終わらない。上品と下品、派手と地味、渋味と甘味、そして意気と野暮。江戸の趣味語彙の対概念を集め、それらを直方体の頂点に配置した立体の見取り図を描いてみせた。上品/下品・派手/地味の対が人間一般の在り方に関わるのに対し、意気/野暮・渋味/甘味の対は異性との関係を含む在り方に関わる──「いき」は、この趣味の座標系のなかの一点として、隣接概念との距離と対立によって位置を定められる。美意識を孤立した印象語ではなく、体系のなかの座標として扱う。この幾何学的発想もまた、当時の哲学として異例だった。
※ 概念再構成図。原著の図版の忠実な複製ではなく、対概念の配置関係を本図鑑が視覚化したもの。頂点間の稜は、渋味→意気→甘味のような趣味の推移経路として読める。
3-8 表現論──「いき」は身体に現れる
本書後半で九鬼は、「いき」が具体的にどう表現されるかを二層に分けて記述する。第一層は自然的表現──身体そのものに現れる「いき」である。流し目。姿勢をわずかに崩すこと。薄化粧。湯上りの姿。素足。うなじを見せる抜き衣紋。いずれも、完全にきちんとしていない「崩し」が、しかし乱れではなく緊張として成立している状態だ。第二層は芸術的表現──模様・色彩・建築・音曲に沈殿した「いき」である。模様では縞、とりわけ縦縞。色彩では鼠色系・褐色系・青色系の抑えた三系統。
ここで見落としてはならないことがある。九鬼は「いき」を、まず身体の現れとして記述したのだ。概念の哲学者が、視線の角度、重心の置き方、素足という皮膚感覚から美意識を読み取っていく。九十年後に文化身体論が身体の側から思想を立ち上げるとき、九鬼はその最も早い先駆者の一人として立ち現れる(第九章)。
3-9 縞の美学──交わらない平行線
芸術的表現の分析のなかで、九鬼の筆がもっとも冴えるのが縞論である。なぜ「いき」の模様は縞なのか。平行線は、永遠に交わらないからである。二本の線が、限りなく並走しながら、決して一つにならない──それは媚態の「二元的可能性」の、純粋な視覚化にほかならない。到達すれば消える関係を、到達しないまま保ち続ける幾何学。九鬼はさらに、横縞よりも縦縞が「いき」であることを、視線の流れと重力の方向から論じてみせた。
模様の好みという、哲学がもっとも扱いそうにない主題が、存在論的な構造(二元性の維持)から必然的に導出される。趣味には構造がある。美意識は論証できる。『「いき」の構造』が示したこの確信は、のちのデザイン論・日本文化論に長い影を落とすことになる。本図鑑のヒーローに流れる縞のアニメーションは、この九鬼の縞論への、ささやかな応答である。
到達すれば、消える。
だから平行のまま、張りつめる。
媚態は可能性のままでしか生きられない。意気地は靡かないことでしか立たない。諦めは手放すことでしか軽くならない。「いき」とは、成就を拒むことで完成する、緊張の存在様態である。──では、その緊張を存在論の言葉で言い直すと、どうなるか。九鬼の答えが「偶然性」だった。
第四章 『偶然性の問題』完全解説THE PROBLEM OF CONTINGENCY ─ 1935
4-1 問題設定──なぜ哲学は偶然を嫌ったのか
西洋形而上学は、その出発点から必然性を愛してきた。あらゆる出来事には十分な理由がある(充足理由律)。真の認識とは、必然的な連関の認識である。この伝統のなかで、偶然は「まだ理由が見つかっていないもの」「認識の不足が生む仮象」として、二千年にわたり哲学の裏口に追いやられてきた。
九鬼はこの伝統に正面から異を唱える。偶然は必然の欠如態ではない。偶然は、必然が決して回収できない、存在の積極的な様相である。なぜ私は、他の誰でもなく私なのか。なぜ世界は、他のようでもありえたのに、現にこのようなのか。この「他でもありえた」という震えは、理由の網をどれだけ細かくしても消えない。『偶然性の問題』は、この震えを主題として引き受けた、世界の哲学史でも数少ない書物である。
方法は徹底して体系的だ。九鬼は伝統論理学の判断の三分類(定言・仮説・離接)に対応させて、必然性の三様態と偶然性の三様態を鏡合わせに立て、偶然の全領野を測量していく。
4-2 三様態の見取り図
| 層 | 必然性 | 偶然性 | 偶然の例 |
|---|---|---|---|
| 定言的 概念─徴表 | 概念に本質的な徴表が属すること。三つ葉のクローバーが三つ葉であること。 | 概念の同一性から外れる例外・個物が現にあること。 | 四つ葉のクローバーが見つかる。 |
| 仮説的 理由─帰結 | 原因から結果が導かれること。それぞれの因果系列の内部の必然。 | 互いに独立な二つの因果系列が、一点で交わること=邂逅。 | たまたま同じ時刻に同じ角を曲がり、人と出会う。 |
| 離接的 全体─部分 | 可能性の全体(AかBかCか)のうち、どれかが成り立つこと。 | どれでもありえた選言肢のなかで、現にこれであること。 | 私が他の時代・他の場所でなく、いま・ここに生まれたこと。 |
三様態は同心円のように深まっていく。定言的偶然は「例外がある」という表層の驚きにすぎない。仮説的偶然で、偶然は出会いという出来事の構造になる。そして離接的偶然に至って、偶然は私という存在そのものの様相になる。順に見ていこう。
4-3 定言的偶然──四つ葉のクローバー
クローバーの葉は三枚である──これが概念の必然。だが野原には、ときに四つ葉が混じる。概念の定める同一性からこぼれ落ちる個物・例外者の存在。これが定言的偶然である。ここで重要なのは、九鬼が例外を「概念の失敗」としてではなく、個物が概念に汲み尽くされないことの徴として読むことだ。現実の一つひとつのものは、いつでも概念より豊かである。四つ葉を見つけたときの小さな喜びは、世界が定義の網より大きいことへの、身体の側の気づきなのである。
4-4 仮説的偶然──邂逅、二系列の交叉
『偶然性の問題』の心臓部がここにある。それぞれの因果系列の内部では、すべてが必然的に進行している。私が今日この道を歩いたことには理由がある。あなたがあの角を曲がったことにも理由がある。だが、二つの系列が「いま、ここ」で交わったことには、どちらの系列の内部にも理由がない。この交叉を九鬼は「邂逅」と呼んだ。
屋根瓦が落ちる系列と、人がその下を通る系列。それぞれは物理法則と生活の必然に従っている。だが「落ちた瓦がその人に当たる」という交点だけは、どの法則からも導出できない。恋も、事故も、決定的な出会いも、すべてこの構造をもつ。偶然とは、必然と必然の継ぎ目に開く裂け目である──九鬼の分析は、出会いというありふれた言葉に、これ以上ない精密な定義を与えた。
4-5 離接的偶然と原始偶然──なぜ私は、いま、ここに
そして最深層。私は、江戸時代に生まれることもできた。別の国に、別の親のもとに生まれることもできた。無数の選言肢(AかBかCか……)のなかで、現にこの私として、この時代の、この場所にいる。この「現にこれである」ことの理由は、どこにもない。離接的偶然とは、私の存在そのものの様相である。
九鬼はさらに遡る。個々の偶然の理由を問い、その理由の理由を問い続けていくと、最後には「そもそも世界が、他のようでもありえたのに、現にこのように在る」という、それ以上遡れない偶然に突き当たる。九鬼はこれを原始偶然と名づけた。世界の存在それ自体が、根源において一つの巨大な偶然である──形而上学の伝統が神の必然で埋めてきた場所に、九鬼は偶然を置いたのだ。
4-6 偶然の倫理──邂逅を運命として引き受ける
では、理由のない世界で、人はどう生きるのか。『偶然性の問題』の到達点は、認識論ではなく生き方の次元にある。偶然は排除できない。ならば、偶然を偶然として直視したうえで、それを自分の運命として引き受けること。二度と繰り返さない邂逅の一回性を、「たまたま」と流すのではなく、「これが私の生だ」と抱え込むこと。
ここで第三章の最後の契機が回帰する。「いき」の諦め──運命への知見にもとづく執着からの離脱──とは、まさにこの態度の美学的表現だった。恋の成就に固執しない遊里の垢抜けと、原始偶然の前で世界を引き受ける形而上学的決意は、九鬼のなかで同じ一つの構えである。美学の書と存在論の書は、こうして「いま、ここの一回性を生きる」という一点で合流する。これが九鬼周造という哲学の全体構造だ。
理由はない。
だからこそ、これは私の生である。
四つ葉は概念からこぼれ、邂逅は法則の継ぎ目に開き、私の存在は無数の選言肢のなかの理由なき一つとして在る。九鬼は偶然を消去しなかった。偶然のまま、運命に変えた。──この時間の哲学が次に向かうのは、「繰り返し」という主題である。
第五章 時間論と押韻論TIME & RHYME ─ 回帰する時間、韻を踏む偶然
5-1 パリ講演──東洋的時間とは何か
1928年、九鬼はポンティニーの旬日会などの場で、フランスの知識人たちを前に二つの講演を行った。主題は東洋における時間の観念と、日本芸術における無限の表現。ここで九鬼が提示したのが、回帰的時間の構想である。直線として未来へ進歩していく近代西洋の時間に対し、東洋の時間は円環をなして回帰する。輪廻の思想が示すように、同じものが繰り返し戻ってくる時間。
興味深いのは、九鬼がこの回帰的時間を、単なる東洋趣味として紹介したのではないことだ。ニーチェの永遠回帰──同じ生が無限に繰り返されるとしても、なおこの生を肯定できるか──という西洋哲学最大の思考実験と突き合わせながら、繰り返しの中でこそ一回性が輝くという逆説を掘り下げていく。円環の上では、どの一点も「またいつか」ではない。同じ形で回帰するからこそ、いまこの一周のこの瞬間は、いままさに生き切るしかない。回帰的時間は、諦めと決意を同時に含む時間なのである。パリでベルクソンと交わった九鬼が、流れる純粋持続とも直線的進歩とも異なる第三の時間像を、東洋の伝統から取り出してみせた講演だった。
5-2 押韻論──偶然の音を、必然の形式へ
晩年の『文藝論』(1941)に収められた日本詩の押韻をめぐる研究は、一見、主著から離れた文学趣味に見える。だが構造を見れば、これは『偶然性の問題』の詩学的応用にほかならない。押韻とは何か。異なる言葉の末尾の音が、たまたま一致すること──つまり、意味の系列と音の系列という独立した二系列の邂逅である。
詩人は、この音の偶然の一致を、詩型という必然の形式に組み上げる。偶然を素材として、必然の美を織る。九鬼が日本語詩における押韻の可能性を執拗に検討したのは、偶然を運命に変える営みの、言語における最小モデルがそこにあったからだ。恋の邂逅を運命として引き受けることと、音の邂逅を詩として定着させることは、九鬼のなかで同型である。哲学者の余技ではない。偶然の哲学が、韻律という手触りのある次元まで降りてきた到達点である。
第六章 「日本的性格」ONOZUKARA / MIZUKARA ─ 1937
6-1 おのずからと、みずから
1937年の「日本的性格」で、九鬼は日本語のもっとも深い場所に降りていく。「おのずから」(自然に、ひとりでに)と「みずから」(自分から、意志して)──日本語はこの二つを、同じ「自」の字で書く。九鬼はここに、日本的な存在了解の核心を見た。
日本の道徳の理想には「おのずから」なる自然ということが大きい意味を有っている。(……)「みずから」の意志的行為が、そのまま「おのずから」の自然と一つになるところに、道徳の理想が見られている。
── 九鬼周造「日本的性格」(表現は原典に拠り要約を含む)西洋近代の枠組みでは、自然(必然)と自由(意志)は対立する。自由とは自然の因果を断ち切る力である。だが日本語の「自」は、両者を対立させない。意志の行為が熟しきったとき、それは「ひとりでに、そうなった」ものとして現れる。努力の果ての名人の所作が、無理なく、おのずから流れ出るように見える──あの現象を、九鬼は自然と自由の融合相即と呼んだ。
6-2 能動でも受動でもなく──中動態への通路
ここで気づくべきことがある。「おのずから/みずから」の融合相即とは、する(能動)とされる(受動)の二分法が成立する手前の出来事の記述である。文法の言葉で言えば、これは中動態の領域だ。種を蒔くのは「みずから」だが、芽が出るのは「おのずから」である。稽古を積むのは「みずから」だが、技が身につくのは「おのずから」である。行為の主体でありながら、生成の場所でもある──この様態を、日本語は「自」の一字で生き延びさせてきた。
九鬼が「いき」で記述した存在完成も、実は同じ文法の上にある。「いき」は、意図して演じれば野暮に堕ちる。かといって、放っておいて生じるものでもない。意気地という「みずから」の張りが、諦めという「おのずから」の明け渡しと一つになったとき、いきは、成る。この構造は、世阿弥の物学(ものまね)における中動態と正確に響き合い、第九章で見るとおり、一本歯下駄の上で身体に起きることの記述と収束する。
OFFICIAL LINEブログには書ききれない一次情報を、公式LINEで直接お届け。実践トレーニング / 体験会・講習会の先行案内 / 身体と神経の研究アップデート友だち追加(無料)第七章 西洋哲学との交差点ENCOUNTERS ─ ケーベルからサルトルまで
九鬼の生涯そのものが、一つの巨大な「邂逅」の連鎖である。二十世紀哲学を作った当事者たちと、これほど濃密に、これほど早く交差した日本人はいない。誰から何を受け取り、何を渡したのか──交差点を一つずつ確かめる。
| 人物 | 場所・時期 | 交差の内実 |
|---|---|---|
| ケーベル | 東京 1900年代末〜 | 東京帝大の恩師。西洋古典の教養と、哲学を生き方として引き受ける姿勢を授けた。九鬼の教養主義の源流。 |
| リッケルト | ハイデルベルク 1920年代前半 | 新カント派の価値哲学。個性的なもの・一回的なものを扱う歴史科学の論理は、のちの偶然性論の伏流となる。 |
| ベルクソン | パリ | 面会し交流。流れとしての時間(純粋持続)と直観の哲学に触れ、自らの回帰的時間論を彫琢する対話相手となった。 |
| フッサール | フライブルク | 現象学の方法──事象そのものへ──を修得。『「いき」の構造』の「意味体験から出発する」方法の背骨となる。 |
| ハイデガー | フライブルク/ マールブルク | フッサール家の集いで出会い、講義・演習に列する。『存在と時間』の解釈学・実存論を最初期に受容し、日本へ持ち帰った。 |
| サルトル | パリ 1928年前後 | 無名の学生だったサルトルを会話教師として雇い、フランス哲学の最新動向を聞き取る。日仏哲学交流史に残る挿話。 |
ハイデガーが追想した九鬼
この交差は一方通行ではなかった。九鬼の死後、ハイデガーは対話篇「言葉についての対話」(『言葉への途上』所収、1959)のなかで、日本からの訪問者と語り合いながら、亡き九鬼を追想している。ヨーロッパの言語で「いき」を語ることは可能なのか──九鬼が生涯抱えたこの問いを、こんどはハイデガーの側が、言葉の本質への問いとして引き受け直したのである。二十世紀最大の哲学者に、死後もなお思索の相手として呼び出された日本人。九鬼の交差の深さを、これほど示す事実はない。
「実存」という訳語
忘れてはならない遺産がもう一つある。九鬼は帰国後の講義「実存哲学」などを通じて、Existenz に「実存」の訳語を当てて定着させた最初期の一人とされる。現実存在──本質に先立って、現に、ここに在ること。この一語がなければ、戦後日本の実存主義受容も、その後の哲学的語彙も、別の形になっていただろう。九鬼は思想の輸入者ではなく、日本語そのものを哲学の言語へ鍛え直した鍛冶職人だった。「いき」「おのずから」「邂逅」──彼が磨いた語は、いまも日本語で思考するすべての人の道具である。
第八章 系譜と影響LINEAGE ─ 京都学派の周縁から現代へ
京都学派の「周縁」という位置
九鬼を京都に招いたのは西田幾多郎らである。だが九鬼は、西田哲学の体系(純粋経験・場所の論理)を継承する直系ではなかった。京都学派の中心が絶対無の形而上学へ向かうかたわらで、九鬼は「いき」と「偶然」という、誰も並べたことのない主題を独りで耕した。この学派の周縁・傍系という位置こそが、九鬼の自由の条件だった。中心の重力から半歩ずれた場所でだけ、遊里の美意識と充足理由律を同じ机に載せる仕事は可能になる。
同時代では、和辻哲郎の『風土』が、やはり解釈学の方法で日本的なるものの記述に挑んでいた。九鬼と和辻は、ヨーロッパ最先端の方法を日本文化の自己理解へ転用するという同じ賭けを、別の主題で戦った並走者である。
戦後の再発見──『不在の歌』から現代へ
戦後しばらく、九鬼は「粋の哲学者」という一枚の札に還元されがちだった。転機は『九鬼周造全集』(岩波書店、1980–82)の刊行である。偶然性論・時間論・押韻論を含む全体像が読めるようになり、坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』をはじめとする本格的な読解が続いた。安田武・多田道太郎による『「いき」の構造』の精読、田中久文らによる偶然性論研究。『「いき」の構造』は複数の英訳を得て、いまや Iki は海外の日本研究・デザイン論で参照される概念となっている。
現代における九鬼の影響は三方向に及ぶ。第一に日本文化論・美学──「いき」は、曖昧な情緒語だった日本的美意識を構造分析できることを示した最初の実例として、あらゆる後続研究の参照点であり続けている。第二に偶然論の哲学──確率と統計が支配する時代に、「確率に回収されない偶然の一回性」を考える手がかりとして、九鬼の三様態論は再読され続けている。そして第三に、本図鑑が次章で詳述する身体論──九鬼が視線・姿勢・素足から美意識を読み取った身体記述の先駆性は、文化身体論の系譜のなかで、いま新しい光を当てられている。
第九章 文化身体論との収束「いき」を身体の側から実装する
九鬼は「いき」を、流し目・姿勢・素足という身体の現れから読み取った。つまり九鬼の哲学は、最初から身体記述を含んでいた。宮崎要輔の文化身体論と一本歯下駄GETTAの実践は、九鬼が言語の側から記述した構造を、九十年後に身体の側から立ち上げ直す試みとして、九鬼と正面から接続する。
あらかじめ立場を明示しておく。文化身体論において、異なる領域の思索が同じ結論に到達することは「重複」ではなく本質の証拠である。1930年の京都で書かれた美学と、現代のトレーニング現場で足裏から取り出された身体知が、互いを知らずに同じ構造を指すとき、その構造は実在すると考える。以下、六つの収束点を確かめる。
六つの収束を貫いて見えてくるのは、こういうことだ。九鬼周造は、「概念で考える哲学者」である以前に、視線・姿勢・素足・縞の手触りから思考を立ち上げた、身体の哲学者だった。『「いき」の構造』を書物として読むことは、その半分にすぎない。残りの半分は、倒れうる不安定の上に立ち、偶然のゆらぎを足裏で受け、崩しの中に軸を通してみること──つまり、身体で追試することによってしか開かれない。第九章の結論は、そのまま次章「読み方」への助走である。
1930年の京都で言葉になった構造は、
いま、足裏の上で追試できる。
諦めは不安定の引き受けとして。邂逅は確率共鳴として。媚態の平行線はバランスとして。おのずからは中動態として。九鬼が遊里の美意識から取り出した存在の文法を、一本歯下駄は一歩ごとに身体へ書き戻す。読むことと、立つこと。二つの追試が同じ結論に収束するとき、それは本質の証拠である。
第十章 九鬼周造の読み方HOW TO READ KUKI
最初の一冊は『「いき」の構造』
入口は迷わず『「いき」の構造』(岩波文庫)でよい。本文は決して長くなく、扱われるのは流し目や縞模様という手触りのある事柄である。ただし読み方に一つだけコツがある。「いき」を懐かしい日本趣味として読まないこと。本書は骨董品の解説ではなく、可能性・二元性・存在完成といった概念の刃で美意識を解剖する、現役の哲学書である。第三章で示した三契機の立体構造(媚態を意気地と諦めが限定する)を頭に置いて読むと、細部の記述が一気に体系として立ち上がる。
二冊目は『偶然性の問題』──三様態の地図を持って
続けて『偶然性の問題』(岩波文庫)へ。論理学の用語が並ぶ序盤で挫折する読者が多いが、第四章の対応表──定言的(概念と例外)・仮説的(系列の交叉=邂逅)・離接的(現にこれであること)──を地図として持てば、迷わない。そして終盤、原始偶然と「偶然を運命として引き受ける」くだりに至ったとき、二冊が同じ一つの問いの表裏だったことが分かる。副読本としては坂部恵『不在の歌』、安田武・多田道太郎の『「いき」の構造』精読、田中久文の偶然性論研究が定評ある導きになる。全体像へ進むなら『九鬼周造全集』(岩波書店)が待っている。
第三の読み方──身体で追試する
そして本図鑑が付け加えたい第三の読み方が、身体による追試である。第九章で確かめたとおり、諦め・邂逅・媚態の平行線・おのずからは、いずれも不安定の上に立つ身体が現に経験する構造と収束する。頁を閉じたあと、素足で立ってみること。倒れうる可能性を可能性のまま保つとき、足裏に走る緊張──それが、九鬼が「いき」と呼んだものの、いちばん近くにある実物である。
用語事典九鬼周造 主要概念 16項目
- いきIKI
- 垢抜して(諦め)、張のある(意気地)、色っぽさ(媚態)。媚態が意気地と諦めによって限定されて成立する、江戸に磨かれた民族的な存在様式。単なる趣味語ではなく、一つの存在様態の完成形として定義される。
- 媚態BITAI
- 一元的な自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性とのあいだに可能的関係を構成する二元的態度。「いき」の質料因。関係が実現し二元性が消えた瞬間に消滅する。
- 意気地IKUJI
- 相手に靡ききらないための張り・反骨。江戸っ児の気概であり、背景に武士道の理想主義をもつ。「いき」の形相的契機の一つで、媚態に緊張の稜線を与える。
- 諦めAKIRAME
- 運命への知見にもとづく執着からの離脱。背景に仏教の無常観をもつ「いき」の形相的契機。投げやりな断念ではなく、垢抜けた軽みの源泉であり、偶然を運命として引き受ける態度の美学的表現。
- 二元的可能性DUAL POSSIBILITY
- 媚態の核心構造。自己と異性という二元の関係を、実現(合一)させずに可能性のまま張りつめて維持すること。縞=平行線の美学の存在論的根拠。
- 民族的存在の会得HERMENEUTICS OF ETHNIC BEING
- 『「いき」の構造』の方法。抽象概念の枠に流し込む前に、その語を生きてきた民族の具体的な意味体験そのものから意味を汲み上げる、解釈学的な態度。
- 趣味の直方体PRISM OF TASTE
- 上品/下品・派手/地味・意気/野暮・渋味/甘味という趣味の対概念を直方体の頂点に配置した見取り図。「いき」を体系のなかの座標として位置づける幾何学的発想。
- 縞の美学AESTHETICS OF STRIPES
- 「いき」の模様がなぜ縞(とくに縦縞)なのかを論じた分析。永遠に交わらない平行線は、二元的可能性の純粋な視覚化であるとされる。
- 定言的偶然CATEGORICAL CONTINGENCY
- 概念の同一性から外れる例外・個物が現にあるという偶然。四つ葉のクローバーが典型例。個物が概念に汲み尽くされないことの徴。
- 仮説的偶然HYPOTHETICAL CONTINGENCY
- それ自身の内部では必然的に進行する二つの独立した因果系列が、一点で交わるという偶然。その交点が邂逅である。
- 邂逅KAIKOU / ENCOUNTER
- 互いに独立した二系列の理由なき交叉。恋も事故も決定的な出会いもこの構造をもつ。『偶然性の問題』の鍵語であり、押韻論では音の系列と意味の系列の邂逅として詩学に応用される。
- 離接的偶然DISJUNCTIVE CONTINGENCY
- 無数の選言肢(他でもありえた可能性)のなかで、現にこれであるという偶然。私がこの時代・この場所に生まれたことなど、存在そのものの様相に関わる最深層の偶然。
- 原始偶然PRIMAL CONTINGENCY
- 偶然の理由を遡行した果てに現れる、世界がそもそもこのように在ることの偶然。それ以上遡れない形而上学的極限として『偶然性の問題』が到達する概念。
- 回帰的時間RECURRENT TIME
- 直線的に進歩する近代西洋の時間に対し、円環をなして回帰する東洋の時間。1928年のパリ講演で提示され、ニーチェの永遠回帰と突き合わせて論じられた。繰り返しの中でこそ一回性が輝くという逆説を含む。
- おのずから/みずからONOZUKARA / MIZUKARA
- 「ひとりでに」と「自分から」。日本語が同じ「自」の字で書き分けるこの二語に、九鬼は自然と自由が対立せず一つになる日本的存在了解(融合相即)の核心を見た。中動態の領域の記述。
- 実存EXISTENZ
- 本質に先立って、現に、ここに在ること。九鬼は講義「実存哲学」などを通じてこの訳語を定着させた最初期の一人とされ、日本の実存主義受容の礎を築いた。
FAQ──よくある質問10 QUESTIONS
九鬼周造とは誰ですか?
九鬼周造(1888–1941)は日本の哲学者です。東京帝国大学でケーベルに学び、約8年間のヨーロッパ留学でリッケルト・フッサール・ハイデガー・ベルクソンと直接交わり、帰国後は京都帝国大学で教壇に立ちました。主著は『「いき」の構造』(1930)と『偶然性の問題』(1935)で、江戸の美意識と偶然性という、西洋哲学が正面から扱わなかった主題を哲学の中心に据えたことで知られます。
『「いき」の構造』とはどんな本ですか?
1930年に刊行された九鬼周造の主著で、江戸の遊里に磨かれた美意識「いき」を、現象学・解釈学の方法で分析した書物です。「いき」を媚態・意気地・諦めの三契機の構造として取り出し、さらに姿勢や流し目などの自然的表現、縞模様や色調などの芸術的表現にまで分析を広げ、一つの民族的美意識を哲学的に記述しきった稀有な達成とされています。
「いき」の三つの契機(媚態・意気地・諦め)とは何ですか?
媚態は、自己と異性とのあいだに可能的な関係を構成する二元的態度で、「いき」の質料です。意気地は、相手に靡ききらないための江戸っ児的な張り・反骨であり、諦めは、運命への知見にもとづく執着からの離脱です。九鬼は、媚態が意気地と諦めによって限定されることで「いき」という存在様態が完成する、と定式化しました。
『偶然性の問題』は何を論じた本ですか?
1935年刊行の主著で、西洋形而上学が必然性を特権化して脇に置いてきた「偶然」を、存在論の中心主題として正面から論じた書物です。偶然性を定言的偶然・仮説的偶然・離接的偶然の三様態に分節し、遡行の果てに「原始偶然」を置きました。二つの独立した因果系列が交わる「邂逅」の一回性をどう引き受けるかという、生き方の問いにまで達する哲学書です。
九鬼周造とハイデガーの関係は?
九鬼はヨーロッパ留学中、フッサールのもとで現象学を学ぶなかでハイデガーと出会い、その講義・演習に参加しました。『存在と時間』(1927)に最初期に触れた日本人の一人であり、帰国後の講義を通じて「実存」という訳語と実存哲学の定着に寄与したとされます。ハイデガーの側も後年、対話篇「言葉についての対話」の中で九鬼を追想し、「いき」をめぐる思索に言及しています。
九鬼周造とサルトルの関係は?
1928年前後のパリで、九鬼はまだ無名の学生だったジャン=ポール・サルトルをフランス語の会話教師として雇い、フランス哲学の最新動向を聞き取りました。日仏哲学交流史のなかでもよく知られる挿話で、のちに実存主義の旗手となるサルトルと、日本に実存哲学を持ち帰る九鬼が、この時点で交差していたことになります。
九鬼周造は京都学派ですか?
九鬼は西田幾多郎らの推挽で京都帝国大学に着任し、京都学派の哲学者たちと同じ場で活動しましたが、西田哲学の直系ではなく、学派の「周縁」「傍系」に位置づけられるのが一般的です。フランス哲学とドイツ現象学の双方を踏まえた独自の道を歩み、「いき」と「偶然性」という固有の主題を開拓しました。
「いき」は英語のcoolやchicと同じ意味ですか?
九鬼自身が『「いき」の構造』の冒頭で、エスプリ・シック・コケットリーなどのヨーロッパ語と比較検討し、「いき」に正確に対応する語は存在しないと論じています。「いき」は媚態・意気地・諦めの三契機が揃ってはじめて成立する民族的存在の様式であり、単なる洗練やお洒落とは構造が異なる、というのが九鬼の立場です。
九鬼周造のお墓はどこにありますか?
京都・鹿ケ谷の法然院にあります。九鬼は1941年5月6日、53歳で没しました。法然院は谷崎潤一郎の墓所としても知られ、哲学の道からもほど近く、九鬼を偲ぶ人々が今も訪れています。
九鬼周造と文化身体論・一本歯下駄GETTAの関係は?
宮崎要輔の文化身体論は、九鬼が言語の側から記述した構造──諦め(運命)を介した「いま、ここ」の活性化、偶然(邂逅)の受容、媚態の二元的緊張──を、一本歯下駄という道具を用いて身体の側から実装する試みとして接続します。複数領域が同じ結論に収束することを本質の証拠とみなす立場から、本図鑑の第九章で両者の収束点を詳述しています。
参考文献原典と主要研究
原典
- 九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫(原著1930年、岩波書店)
- 九鬼周造『偶然性の問題』岩波文庫(原著1935年、岩波書店)
- 九鬼周造『人間と実存』(原著1939年)
- 九鬼周造『文藝論』(原著1941年)──日本詩の押韻論を収録
- 『九鬼周造全集』全12巻・岩波書店(1980–82)
主要研究
- 坂部恵『不在の歌──九鬼周造の世界』
- 安田武・多田道太郎『『「いき」の構造』を読む』
- 田中久文による九鬼周造・偶然性論研究
※ 本図鑑の引用・要約は上記原典に拠ります。研究書の書誌詳細(刊行年・版元)は版により異なるため、学術利用の際は必ず各原典・最新版の書誌をご確認ください。
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読んだ構造を、足裏で追試する
諦めは不安定の引き受けとして、邂逅は確率共鳴として、媚態の平行線はバランスとして──九鬼周造が言葉にした存在の文法は、一本歯下駄の上で身体の経験になる。一本歯下駄GETTAは、固有受容感覚と筋膜と語らうための翻訳機。開発・製造・販売は合同会社GETTAプランニング。
公式ショップで見る GETTAコンセプトを読むPRIMARY SOURCES & SCHOLARLY DATABASES
一次文献・学術データベース
九鬼周造(1888–1941)の原典は著作権保護期間が満了し、青空文庫で全文を読める。本図鑑の記述は、下記の一次文献(原典)・公的書誌データベース・国際的な哲学事典に拠って裏づけている。孫引きではなく、原典と一次資料にあたって検証した記述である。
※ Stanford Encyclopedia of Philosophy に九鬼周造の単独項目はなく、上記二項目の中で論及される。単独の事典項目は Routledge Encyclopedia of Philosophy に立つ。
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旧「九鬼周造とは?」(/kuki-shuzo-encyclopedia/)は本ページに統合されました。旧ページの要点:
- 核心定義 Who was Kuki Shūzō? — 九鬼周造(くき しゅうぞう、1888–1941)とは、京都帝国大学で教鞭をとった日本の哲学者であり、江戸の美意識「いき」を現象学・解釈学の方法で分析した『「いき」の構造』(1930)と、偶然と必然をめぐる形而上学を打ち立てた『偶然性の問題』(1935)で知られる思想家である。足かけ八年の欧州留学でリッケルト・ベルクソン…
- 生涯 ─ 巴里から江戸へ From Paris to Edo — 九鬼周造の生涯は、二つの世界の往還である。文部官僚で男爵の父・九鬼隆一のもとに生まれたが、母はつは父が同行させた 岡倉天心 と恋に落ち、両親は離婚した。東洋美学を世界に問うた岡倉の面影は、九鬼の生い立ちに深い陰影を与えている。東京帝大で哲学を修めた九鬼は、1921年から 足かけ八年 の欧州留学に出る。ハイデルベルクでリ…
- 九鬼周造 略年譜 — 1888 2月15日、東京に生まれる。父は文部官僚・男爵の九鬼隆一、母ははつ(波津)。 幼少期 母はつと岡倉天心の恋愛により両親が離婚。東洋美学の巨人・岡倉の影が生涯に落ちる。 1909 東京帝国大学文科大学哲学科に入学。ケーベル、桑木厳翼らに学ぶ。 1921 東京帝大大学院を退学し、妻・縫子とともに足かけ八年の欧州留…
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