ジル・ドゥルーズ
差異と生成、内在と強度、リゾームと器官なき身体──
西洋形而上学の同一性の論理を解体し、
「概念を創造する」哲学を二〇世紀末に再起動した、フランス現代思想の頂点のひとり。
「哲学とは概念を創造することである。」— 『哲学とは何か』(1991)
三分でわかるジル・ドゥルーズ
ジル・ドゥルーズは、二〇世紀後半のフランス哲学を、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコーらと並んで決定的に方向づけた思想家です。彼の仕事は大きく三つの相に分けられます。なお、本図鑑はGETTA思想体系のなかの「Thinkers Encyclopedia」シリーズ第6巻にあたり、既刊のブルデュー/ベルクソン/モース/メルロ=ポンティ/大森荘蔵と緊密に連動しています。
哲学史家として(1953–1969)
ヒューム、ベルクソン、スピノザ、ニーチェ、カント、プルースト──西洋哲学・文学の伝統を読み直すなかで、自身の思想を鍛え上げる時期。「哲学者の背後をとる」と本人が語った独特の読解法によって、忘れられた潜在性を抽出していきます。集大成が『差異と反復』(1968)と『意味の論理学』(1969)。
ガタリとの共同制作(1969–1991)
1968年五月革命後、精神分析家フェリックス・ガタリと出会い「二人で書く」前代未聞の試みを開始。『アンチ・オイディプス』(1972)はフロイト=ラカン派精神分析を根底から批判し、『千のプラトー』(1980)でリゾーム・脱領土化・戦争機械・リトルネロといった概念群を放出。最後の共著『哲学とは何か』(1991)で哲学・科学・芸術の連関を総括しました。
芸術論への展開(1981–1993)
晩年は絵画論『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(1981)、映画論『シネマ1・2』(1983/85)、ライプニッツ論『襞』(1988)、文学論『批評と臨床』(1993)と、芸術への思考を深化させます。「管理社会」という概念で来るべき監視・統制の時代を予言したのもこの時期。1995年、肺病が極限に達し自宅から投身自殺。
生涯のタイムライン
パリ17区に生まれ、生涯ほとんどパリを離れることのなかった哲学者の足跡。
パリ17区に誕生
1月18日、父ルイ・ドゥルーズと母オデット・カマウエルの次男として誕生。兄ジョルジュは後に対独レジスタンスに加わり、ナチスに捕らわれて護送中に死亡。この兄の死は若き日のドゥルーズに深い影響を残した。
ソルボンヌ大学入学
哲学をジョルジュ・カンギレム、ジャン・イポリット、フェルディナン・アルキエ、モーリス・ド・ガンディヤックらに師事。同窓にはミシェル・トゥルニエ、フランソワ・シャトレら。同時期にメルロ=ポンティが同大学で『知覚の現象学』を準備していた。
教授資格試験(アグレガシオン)合格
アミアン、オルレアン、ルイ・ル・グラン高等中学校(リセ)の哲学教師として勤務。並行して哲学史研究を進める。
処女作『経験論と主体性』
ヒューム論。ドゥルーズが終生こだわる経験論的視座、関係の外在性、主体の構築という主題がすでに胚胎している。
ソルボンヌで哲学史助手に
パリ大学(ソルボンヌ)哲学史講座助手。1960年からCNRS(フランス国立科学研究センター)研究員。
『ニーチェと哲学』刊行
フランスのニーチェ受容を一新した記念碑的著作。「能動的な力」「永遠回帰」を肯定の哲学として読み直し、ヘーゲル的な弁証法・否定の論理に対抗する立場を打ち出した。
リヨン大学教授・『プルーストとシーニュ』
『失われた時を求めて』を「シーニュ(記号)の体系」として読解。学習・思考の暴力的発動という後年の主題が登場する。1969年まで増補が続く。
国家博士号取得・『差異と反復』刊行
主論文『差異と反復』、副論文『スピノザと表現の問題』で国家博士号取得。同年五月革命。同一性に従属させられてきた差異を解放し、強度の存在論を樹立した、ドゥルーズ単独哲学の到達点。同時期にブルデューが『再生産』に向けた構想を進めていた。
『意味の論理学』とガタリとの出会い
ルイス・キャロル、ストア派、アルトーをめぐる34のパラドクスとして書かれた特異な書。同年、五月革命の余韻のなかで精神分析家フェリックス・ガタリと出会う。生涯の盟友であり、共著の伴侶。
パリ第8大学(ヴァンセンヌ)教授就任
五月革命後に新設された実験的大学で、ジャン=フランソワ・リオタール、ミシェル・フーコー、アラン・バディウらと同僚に。1987年の引退まで、伝説的な講義をここで重ねる。
『アンチ・オイディプス』刊行
副題「資本主義と分裂症」。フロイト=ラカン派の家族主義的精神分析を根底から批判し、欲望する機械、器官なき身体、脱領土化といった概念群によって資本主義の構造を分析。フーコーは序文に「これは倫理の書である。長く倫理学の書は書かれてこなかった」と書いた。
『カフカ──マイナー文学のために』
ガタリとの共著。「マイナー言語」「集団的アレンジメント」など『千のプラトー』へ流れ込む概念の苗床。
『千のプラトー』刊行
『アンチ・オイディプス』8年後の続編にして異形の書。十五のプラトー(高原)が独立しつつ連結する。リゾーム、生成変化、戦争機械、平滑空間、リトルネロ、顔貌性、抽象機械──二〇世紀後半の思想を最も深く震わせた概念の一覧表。モースの身体技法・贈与論にも先駆的に応答する書でもある。
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』『スピノザ 実践の哲学』
前者はドゥルーズ唯一の絵画論にして最も重要な芸術論。「形象(figure)」「ダイアグラム」「力を描く」「身体・肉・神経系」といった概念で、ベーコンの図像を解析する。後者はスピノザを「生の哲学者」として簡潔に提示。
『シネマ1 運動イメージ』『シネマ2 時間イメージ』
映画史を貫く二大イメージ体制の分類学。ベルクソンの『物質と記憶』をふまえつつ、ネオレアリズモ/ヌーヴェル・ヴァーグを境とする「運動イメージから時間イメージへの転換」を哲学的事件として記述する。
『フーコー』刊行
前年に亡くなった盟友への応答。ディスポジティフ、襞、内側/外側、語ること/見ることの関係をめぐる、ドゥルーズ自身の哲学への帰還の書でもある。
『襞──ライプニッツとバロック』
ライプニッツのモナド論をバロック芸術と重ね、「襞(pli)」を中心概念として据えた優美な書。「世界は襞でできている」「物質は無限に襞をなす」──ドゥルーズの存在論の最も繊細な到達点。
『記号と事件』とコントロール社会論
1972〜1990年のインタビュー集。最終章「管理社会について」で、フーコー的「規律社会」の次に来る「管理(コントロール)社会」を予言。今日のデジタル監視・統治の構造を先取りした。
『哲学とは何か』(ガタリとの最後の共著)
「哲学とは概念を創造することである」「内在平面・概念的人物・哲学地理」「哲学・科学・芸術はカオスに対する三つの異なる切断面である」──ドゥルーズ=ガタリ思想の総括にして遺言。
『批評と臨床』
最後の単著。文学を「健康ではなく健康を発明するもの」として、メルヴィル、カフカ、アルトー、ベケットらを論じる。「内在──一つの生……」が後に没後の遺稿として読み継がれる。
逝去
11月4日、長く患った肺病による呼吸困難の極限のなか、パリ17区の自宅アパルトマンの窓から投身自殺。70歳。フーコーが「いつかこの世紀はドゥルーズの世紀だったと言われるだろう」と述べた言葉が、彼の死後さらに重みを増している。大森荘蔵もこの年の春から春への命を生きていた(1997年没)。
生誕100周年
河出書房新社『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』ハードカバー愛蔵版(一巻本)の刊行決定をはじめ、再評価の動きが世界的に加速。國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(講談社学術文庫)など、決定版が次々に登場。
ドゥルーズ哲学の三本柱
ドゥルーズの哲学を一文で要約することは、彼自身が拒否したことに等しい。だがその思考を貫く三つの主旋律を取り出すことはできる。
1.「同一性」から「差異」へ
プラトンからヘーゲルに至る西洋形而上学は、変化や差異を「同じもの(同一性)」のもとに従属させてきた。AはAであり続け、変化はAの偶有的属性とされる──この常識的思考をドゥルーズは「代理=表象(représentation)」と呼んで批判する。彼はこれを反転させ、「差異」こそが第一次的な実在であり、「同一性」はむしろ差異の効果として産み出されるにすぎない、と主張する。
2.「超越」から「内在」へ
神・イデア・主体・構造──あらゆる「上から組織する超越的な原理」を退け、世界はそのすべての要素が同じ平面のうえで生成し連結する〈内在〉の運動である、とドゥルーズは考える。スピノザを「哲学者たちの王」と呼んだのはこの意味においてである。〈内在平面〉とは、超越的審級なしに事物が産出される共通の場である。大森荘蔵の「立ち現れ一元論」が、まさにこの〈内在〉のテーゼを日本語の存在論として独立に到達した稀有な事例である。
3.「存在」から「生成」へ
存在とはすでに完成した実体ではなく、絶え間ない生成変化(devenir)である。動物への生成変化、知覚しえぬものへの生成変化──〈〜になる〉とは何かを模倣することではなく、二つの項のあいだに第三の領域を切り開き、両者が互いに脱領土化することである。これは抽象的な比喩ではなく、ドゥルーズにとっては実在そのものの構造である。ベルクソンのエラン・ヴィタル(生命の躍動)がここで強度の哲学として鍛え直されている。
その子は彼自身の子であって、しかも怪物であった。」
─ ドゥルーズ『記号と事件』
ドゥルーズ概念の宇宙
ドゥルーズは哲学を「概念を創造する営み」と定義した。彼自身が単独で、あるいはガタリと共に創り出した概念は数百に及ぶ。ここでは、思考の地図を歩くための基幹概念を厳選して掲載する。
差異
A=Aの同一性に従属しない、それ自体としての差異。ヘーゲルが量的差異を弁証法的対立に解消したのに対し、ドゥルーズは「即自的差異」「強度的差異」を立て、これを存在の第一原理とした。差異は同一性に先立つ。
反復
同じものが繰り返されるのではなく、差異を産み出す運動としての反復。キェルケゴール、ニーチェ、フロイトを経由して、「同一性のない反復=差異を生む反復」という逆説的概念へと鍛えられる。
強度
広がり(外延量)に先立つ、それ自体で異なる量。温度や圧力のように、二つの異なるものの差異そのものが現実の発生原因となる。ドゥルーズの存在論の中核──「強度的差異から現実の経験的世界が生成する」。
存在の一義性
ドゥンス・スコトゥスから受け継ぎ、スピノザを通じて鍛え直された原理。「存在はあらゆるものについて同じ意味で語られる」。神も人間も石も、同じ一つの存在を分有する。これがドゥルーズの内在哲学の幹である。
内在/内在平面
あらゆる事物がその上で互いに表現し合う共通の平面。超越(神・主体・本質)に頼らずに世界を記述する哲学的場。スピノザに最大限に開花し、ドゥルーズが終生擁護した存在論的・倫理的原理。大森荘蔵の立ち現れ一元論と深く共鳴する。
超越論的経験論
カントの超越論哲学を、しかし「主体の能力」ではなく「経験の発生条件」として書き換える試み。経験を可能にする条件はそれ自体すでに経験的=強度的でなければならない、というドゥルーズ独自の原理。
潜在的なもの/現働化
ベルクソンから受け継ぎ深化させた区別。可能/現実の対ではなく、潜在的/現働的の対。潜在的なものは「実在的」でありながら「現働的」ではない。それが微分的な関係を通じて現働化する──これが現実の発生のロジック。
出来事
ストア派の「非物体的なもの」をモデルに鍛えられた概念。物体的な状態の変化に伴って、しかし物体には還元できない次元で生起する〈意味〉の発生。「ある事件が起こる」のではなく「出来事が現働化する」と考える。
器官なき身体
アントナン・アルトーから採られた語。組織化・有機化される以前の身体。機能に固定されず、強度の流れが横断する純粋な平面としての身体。メルロ=ポンティの身体図式・肉と並ぶ20世紀身体論の最重要概念のひとつ。モースの身体技法を脱領土化する側面もある。
欲望する機械
『アンチ・オイディプス』の主役。フロイトの「欠如としての欲望」を反転させ、欲望は本性的に生産的であり、機械同士の接続・切断・流れとして作動するとする。家族・劇場の中に閉じ込められた精神分析の欲望像を、社会的・歴史的場へ解き放った。
リゾーム
地下茎。中心も階層もなく、どこからでも切断・接続でき、多方向に増殖していくネットワーク。樹木モデル(系統樹・ピラミッド・主従)に対する全く別の組織原理として『千のプラトー』冒頭で提示された。「序──リゾーム」は二〇世紀思想の最重要テキストの一つ。
脱領土化/再領土化
領土(コードに固定された安定状態)を離脱する運動と、再びコードに捕えられる運動の対。あらゆる生成変化、あらゆる革命、あらゆる芸術運動はこの二重の運動の絡み合いとして記述される。資本主義は脱コード化と公理系による再領土化を同時に行う独特の社会形態である。
生成変化
動物への生成変化、女性への生成変化、子どもへの生成変化、知覚しえぬものへの生成変化──〈〜になる〉ことは模倣ではなく、二項のあいだに〈不確定な領域〉を切り開く運動。実体(誰)ではなく強度(どのように)の問題。
アジャンスマン(配列)
異質な要素(言表・身体・物質・記号)が一時的に組み立てられて作動する装置。本質ではなく組み立てとしての存在。「内容と表現の二重分節」「機械状アジャンスマンと言表行為の集団的アジャンスマン」など多層的に展開される。
逃走線
アジャンスマンの中で、コード化された硬直線・分節された柔軟線とは別に走る、絶対的脱領土化の線。「逃走」は撤退ではなく、新しい大地を発明する積極的運動。「逃走しつつ武器を作る」とドゥルーズは書く。
戦争機械
国家装置の外部にある、遊牧的な組織形態。戦争を目的とせず、国家の囲い込みを免れる平滑空間を保持する力。芸術もまた一つの戦争機械でありうる、とドゥルーズ=ガタリは言う。
平滑空間/条里空間
遊牧的な平滑空間(砂漠・海・氷原)と、国家による測量・分割・井桁化された条里空間の対。空間そのものが二つの組織原理のあいだで揺れ動くものとして記述される。
リトルネロ
暗闇のなかで子どもが口ずさむ小さな歌、繰り返される旋律。それは単なる慰めではなく、世界の中に〈自分の居場所〉を刻むリズムである。テリトリー化の最小単位であり、同時に脱領土化への通路。ドゥルーズ=ガタリの音楽論の中核。
顔貌性
顔は単なる身体部位ではなく、白い壁=黒い穴のシステムであり、意味と主体性を組織する装置である。「キリストの顔」が西洋の規範的顔貌として全てを暗号化してきた──これを脱顔貌化する戦略がドゥルーズ=ガタリの政治。
形象(フィギュール)
ベーコンの絵画における中心概念。「具象的(figuratif)」でも「抽象的」でもない第三の道。物語や象徴を介さず、感覚そのものを直接神経系に作用させる像。形象は「感覚を可視化する」ものである。
ダイアグラム
ベーコン論では、絵画の表面に走る非表象的・非意味的なマーク群、図像を発生させるカオスの種。フーコー論では権力関係の抽象的地図。それは見せるのではなく機能する関係の組織。
運動イメージ/時間イメージ
映画史を二分する分類。古典映画は感覚運動的連続性のうえに「運動イメージ」を組織したが、第二次大戦後のネオレアリズモとヌーヴェル・ヴァーグはこれを破壊し、時間が直接示される「時間イメージ」を発明した。
襞(ひだ)
ライプニッツのモナド論を読み直す鍵概念。「世界は襞でできている」「物質は無限に襞をなし、各モナドはそれぞれ異なる仕方で世界全体を表現する」。バロック芸術と存在論を一体のものとして記述する、ドゥルーズの最も繊細な書。
概念的人物
哲学者が概念を創造するときに召喚する〈影〉。ニーチェのツァラトゥストラ、デカルトの白痴、プラトンのソクラテス。哲学は概念・内在平面・概念的人物の三位一体で成立する、と『哲学とは何か』は説く。
管理(コントロール)社会
フーコーの「規律社会」の次に到来する社会形態。学校・工場・軍隊といった〈閉じた施設〉を経由する規律ではなく、流動的・連続的・モジュール的な〈チェックポイント型〉の管理。電子的個人情報、ID、スコアリング──今日のデジタル監視社会を1990年に予言。
マイナー文学
マジョリティの言語のなかで少数者がそれを脱領土化していく文学。三つの特徴:①言語の脱領土化、②政治的なものへの直接接続、③集団的言表行為。カフカ(プラハのユダヤ人がドイツ語で書く)が原型。
自由間接話法
ドゥルーズが自身の哲学的方法と認めた語り口。「私が誰の名で語っているのか分からない」──他者の言葉と自己の言葉が境界なく混ざり合う発話のかたち。哲学者は他の哲学者を「自由間接話法」で生かし直す。
非意味的切断
リゾームが無限に増殖する接続だけではなく、同時に意味づけを伴わない切断もはらむ、という原理。千葉雅也が『動きすぎてはいけない』で取り出したドゥルーズ哲学の隠れた第二原理。生成変化を保つには「動きすぎてはいけない」。
ノマド/ノマディズム
国家の捕獲装置から逃れて平滑空間を移動する遊牧者。地理的というより存在論的形象──その場にとどまりながらの遊動的速度。八十年代日本では浅田彰の『逃走論』を通じて流行語化したが、原概念はもっと厳しい。
一つの生
最晩年の遺稿「内在──一つの生……」(1995)の中心概念。誰のものでもない、しかし純粋に肯定的な、特異な〈一つの生〉。ディケンズの瀕死の悪人の例を引き、絶対的内在として開示される生のあり方を記述する、ドゥルーズの哲学の最後の言葉。
著作の見取り図
生涯にわたって発表された30以上の単著・共著を、四つの群に分けて見渡す。各書の刊行年・原題・主要な訳者・現行文庫版を併記。
Ⅰ. 哲学史研究/単独哲学の確立期
経験論と主体性
ヒュームを論じた処女作。主体は所与のものではなく、観念の連合と慣習を通じて構築される──後のドゥルーズ思想の出発点。
ニーチェと哲学
能動/反動の力学、永遠回帰、ニーチェのヘーゲル批判を体系的に提示。フランスのニーチェ受容を一新した記念碑的書。
カントの批判哲学
「敵について書いた本」とドゥルーズ自身が評する。三批判書を「諸能力の関係の体系」として読み解く独自のカント解釈。
プルーストとシーニュ
『失われた時を求めて』を四つのシーニュ(記号)の世界として読解。学習論・思考論の原型がここに胚胎する。1970/76年に増補。
ベルクソンの哲学
ベルクソンの「持続」「直観」「潜在的なもの」を、ドゥルーズ自身の哲学の素材として徹底的に練り直す。本書を読むには、まずベルクソン図鑑を参照されたい。
ザッヘル=マゾッホ紹介(マゾッホとサド)
サドとマゾッホは対をなさない、別個の臨床的・文学的構造である──精神医学の「サドマゾヒズム」概念を解体する。
差異と反復【主著】
国家博士主論文。「同じもの」に従属させられてきた差異を解放し、強度・潜在的なもの・出来事の哲学を樹立。20世紀フランス哲学の決定的事件のひとつ。
スピノザと表現の問題
国家博士副論文。スピノザの「表現」概念を中心に、内在の哲学と存在の一義性のテーゼを精緻に論証する。
意味の論理学【主著】
34のパラドクスとして書かれた特異な書。ストア派・ルイス・キャロル・アルトーを横断しながら、出来事・表面・深層・器官なき身体の問題を立ち上げる。
Ⅱ. ガタリとの共著(資本主義と分裂症 二部作+)
アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症【主著】
フロイト=ラカン派の家族主義的精神分析を解体し、欲望する機械・器官なき身体・脱領土化によって資本主義の構造を分析。フーコーが「倫理の書」と讃えた20世紀最大の挑発。
カフカ──マイナー文学のために
マイナー文学・脱領土化された言語・集団的アレンジメントの三つの特徴を抽出。『千のプラトー』への移行点。
ディアローグ(対話)
クレール・パルネとの共著。アングロサクソン文学、英米経験論、生成変化、逃走線──『千のプラトー』前夜のドゥルーズ哲学のもっとも親しみやすい入り口。
千のプラトー──資本主義と分裂症【主著】
15のプラトー(高原)が独立しつつ連結する、二〇世紀後半思想の最重要文書。リゾーム、生成変化、戦争機械、平滑空間、リトルネロ、顔貌性、抽象機械──概念の道具箱。モースの身体技法と対話的に読み直すと一層深まる。
哲学とは何か
ガタリとの最後の共著にして思想的遺言。哲学=概念創造/科学=関数創造/芸術=感覚創造──三つはカオスに対する三つの異なる切断面である、と総括する。
Ⅲ. 芸術論期(絵画・映画・文学)
フランシス・ベーコン 感覚の論理学
ドゥルーズ唯一の絵画論にして最も重要な芸術論。形象(figure)・ダイアグラム・力を描く・ヒステリー・三枚組──「器官なき身体の画家」ベーコンを通して哲学そのものを再構築する名著。
スピノザ 実践の哲学
スピノザを「生の哲学者」として簡潔に提示する小著。内在・情動・力能の鍵概念が凝縮されており、入門書としても名高い。
シネマ1 運動イメージ
ベルクソン『物質と記憶』を理論的支柱に、古典映画の知覚イメージ・行動イメージ・感情イメージを分類する。「これは映画史ではなく、映画に現れるかぎりでのイメージと記号の分類の試みである」。
シネマ2 時間イメージ
ネオレアリズモとヌーヴェル・ヴァーグを境とする、感覚運動的連続性の崩壊と「時間の直接的提示」の出現。結晶イメージ・時間の結晶──映画と哲学の唯一無二の出会い。大森荘蔵の「時は流れず」と並べて読みたい時間論。
フーコー
前年に世を去った盟友への応答。「見えるものと語られるもの」「権力のダイアグラム」「外部の襞」──フーコーを通してドゥルーズ自身の哲学を更新する。
襞──ライプニッツとバロック
ライプニッツのモナド論をバロック芸術と重ね、「襞」を中心概念に据える。「世界は襞でできている」──ドゥルーズの存在論の最も繊細な到達点。
記号と事件──1972-1990年の対話
インタビュー集。各時期の主著への自註として読める入門書の傑作。最終章「管理社会について」は今日のデジタル監視社会を予見した必読のテキスト。
批評と臨床
最後の単著。メルヴィル、カフカ、ベケット、ロレンス、ニーチェ──書くことを「健康を発明すること」として論じる、ドゥルーズの文学論の集大成。
内在──一つの生……(遺稿)
『フィロゾフィー』誌に発表されたドゥルーズ最後の文章。誰のものでもない「一つの生」を絶対的内在として記述する、哲学的遺言。
ドゥルーズが読んだ者たち、読まれる者たち
「私は哲学史を一種のおかま掘り(enculage)と考えていた。哲学者の背後をとり、子をなさせる──その子は彼自身の子であって、しかも怪物である」。ドゥルーズは哲学史をこう語った。読まれる対象が、読み手の思考そのものを更新する。
ドゥルーズが読んだ哲学者・芸術家
- ドゥンス・スコトゥス「存在の一義性」テーゼの源泉。中世スコラ哲学の異端児。
- スピノザ「哲学者たちの王」。内在の哲学・実体の表現論・情動論。生涯の指針。
- ライプニッツモナド・微分法・予定調和──『差異と反復』『襞』の主要対話相手。
- ヒューム経験論の発生論的読解。関係の外在性、主体の構築。処女作の主題。
- カント「敵について書いた本」。超越論哲学を超越論的経験論へと書き換える戦略。
- ベルクソン持続・直観・潜在的なもの・運動/時間。ドゥルーズ哲学の身体。
- ニーチェ能動的な力、永遠回帰、肯定の哲学。ドゥルーズ哲学の血流。
- ベルクソン/ニーチェ/スピノザの三位「内在性の哲学者たち」(『記号と事件』)。生の哲学の系譜。
- アントナン・アルトー「器官なき身体」の語の源泉。狂気と思考の臨界点を指し示す詩人。
- マルセル・プルースト学習・思考の暴力的発動を示すシーニュの作家。
- フランツ・カフカマイナー文学・集団的アレンジメント。ガタリとの共著の主役。
- フランシス・ベーコン形象・ダイアグラム・力。ドゥルーズ唯一の絵画論の対象。
ドゥルーズが影響を与えた領域
- ポスト構造主義フーコー、デリダ、リオタールらと並び称される(本人は呼称を否定)。
- スキゾアナリシス(分裂分析)フェリックス・ガタリが発展させたドゥルーズ=ガタリ的精神分析批判の臨床方法。
- アクター・ネットワーク理論ブルーノ・ラトゥールらSTS研究の理論的源泉のひとつ。
- ニュー・マテリアリズムマニュエル・デランダ、カレン・バラッド──物質性と強度の存在論。
- 思弁的実在論/加速主義クァンタン・メイヤスー、ニック・ランド──ドゥルーズ批判と継承の現代版。
- ポスト・ヒューマニティーズロージ・ブライドッティらフェミニズム理論。生成変化と動物論の応用。
- 建築・デザイン理論グレッグ・リン、ピーター・アイゼンマン──「襞」と「ダイアグラム」の建築への翻訳。
- 映画理論『シネマ』以後の映画哲学を一新。デヴィッド・ロドウィックら。
- 日本のニュー・アカデミズム浅田彰『構造と力』『逃走論』を経由して、80年代日本の知的風景を変えた。
- 現代日本思想千葉雅也、國分功一郎、東浩紀、檜垣立哉、宇野邦一──21世紀のドゥルーズ研究の中核。
- 芸術実践現代美術・舞踏・ダンス・音楽に至るまで、創作の方法論として参照され続けている。
- 監視社会論/デジタル研究「管理社会」概念は、デジタル時代の権力分析の必須フレームとなった。
「二人で書く」という前代未聞の試み
フェリックス・ガタリ(1930–1992)
ラ・ボルド精神病院で活動した精神分析家・思想家・活動家。ジャック・ラカンの最側近のひとりでありながら、その家族主義的精神分析を内側から脱臼させようとしていた。1969年、五月革命の余韻のなかでドゥルーズと出会い、以後死までの23年間にわたって四つの共著を生み出した。
『アンチ・オイディプス』『カフカ』『千のプラトー』『哲学とは何か』──共著の四作はいずれも、どちらか一方では決して書きえなかった書物である。「ガタリの実践からえられた思考や概念を、ドゥルーズが哲学史とつきあわせつつ彫琢し仕上げていく」という協働の構造は、20世紀思想の共著の極北である。
芸術論への展開──ベーコン・シネマ・襞
1981年以降、ドゥルーズの思考は芸術論へと深化する。それは「哲学から芸術への転向」ではなく、芸術という別の媒質を通じて〈感覚〉〈時間〉〈強度〉〈襞〉という哲学的問いを再起動する作業である。
ベーコン論では、絵画は「物語を語ることでも抽象に逃げることでもなく、感覚そのものを神経系に直接作用させること」として記述される。シネマ論では、ベルクソンの『物質と記憶』を理論的支柱にしながら、映画史を運動イメージから時間イメージへの転換として捉え直す。『襞』ではライプニッツのモナド論をバロック芸術と重ね、「世界は襞でできている」という存在論の最も繊細な像を提示する。
これら三つの芸術論は、ドゥルーズ哲学の応用ではなく、哲学そのものの延長であり完成である。「哲学・科学・芸術はカオスに対する三つの異なる切断面である」(『哲学とは何か』)という最終的なテーゼは、ここで実演されている。メルロ=ポンティの肉・可逆性を、神経系・形象・襞という別の語彙で書き直しているとも読める。
日本のドゥルーズ受容史
日本のドゥルーズ受容は、80年代のニュー・アカデミズム、90年代の停滞、2010年代以降の研究的成熟という三つの波を経てきた。
浅田彰『構造と力』『逃走論』
京都大学経済研究所の若き助手だった浅田彰が『構造と力』(1983)でレヴィ=ストロースから ドゥルーズ=ガタリまでを明晰なチャートで提示。バブル期日本の時代精神と「ノマド」「逃走」が結びつき、ドゥルーズが知的流行語となった。
翻訳の蓄積期
財津理による『差異と反復』、市倉宏祐・宇野邦一による『アンチ・オイディプス』、宇野邦一らによる『千のプラトー』が次々に刊行される。蓮實重彦、丹生谷貴志ら批評家・研究者が独自の読解を提示した。
東浩紀『存在論的、郵便的』
バブル崩壊後、ドゥルーズ的な「外部への楽観的脱出」よりもデリダ的な「微細な差異・脱構築」が前景化。ポストモダン思想の批判的継承と乗り越えが課題となる。
檜垣立哉『ドゥルーズ──解けない問いを生きる』
NHK出版〈シリーズ・哲学のエッセンス〉。日本における本格的ドゥルーズ研究の幕開けを告げる。以後『瞬間と永遠──ジル・ドゥルーズの時間論』(2010)など重要研究を続ける。
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』
岩波現代全書(2025年講談社学術文庫として決定版増補刊)。「自由間接話法」を方法論的鍵として、ドゥルーズ哲学全体を貫く原理を取り出した、現代日本における最重要のドゥルーズ論。
千葉雅也『動きすぎてはいけない』
河出書房新社(のち河出文庫)。第4回紀伊國屋じんぶん大賞・第5回表象文化論学会賞。「非意味的切断」をドゥルーズ哲学の隠れた第二原理として抽出し、生成変化を自己破壊から救い出す。
研究の成熟と多様化
福尾匠『眼がスクリーンになるとき』(2018, シネマ論)、小倉拓也『カオスに抗する闘い』(2018)、近藤和敬『〈内在の哲学〉へ』(2019)、黒木秀房『ジル・ドゥルーズの哲学と芸術』(2020)、鹿野祐嗣『「意味の論理学」の注釈と研究』(2020)など、専門研究の質と量が飛躍的に向上。
千葉雅也『現代思想入門』
講談社現代新書、新書大賞2023大賞。デリダ=概念の脱構築/ドゥルーズ=存在の脱構築/フーコー=社会の脱構築という見取り図で、ポスト構造主義の入門書として広く読まれた。
生誕100周年の再起動
河出書房新社が『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』のハードカバー一巻本愛蔵版を刊行決定。國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』講談社学術文庫版(増補決定版)刊行。雑誌『文藝』夏号で「ドゥルーズ、終わりなき生成変化」特集。世界的な再評価の波が日本にも訪れている。
ドゥルーズの言葉
難解さの森のなかから抜き出された、思考の閃光のような断片群。
哲学とは概念を創造することである。
— 『哲学とは何か』(1991)
重要なのは、わたしが何を考えているかではなく、わたしが書きながら何になるかである。
— 『ディアローグ』
生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない。
— 『ディアローグ』/千葉雅也の鍵的引用
存在は同じ意味で語られる。神についても石についても、人間についても他のあらゆるものについても。
— 『差異と反復』(存在の一義性)
リゾームには始まりも終わりもない。それはつねに中間にあり、間にあり、存在の間にあり、間奏曲である。
— 『千のプラトー』序「リゾーム」
書くことは健康の問題である。書くことは個人の小さな話ではなく、健康を発明することである。
— 『批評と臨床』
われわれは規律社会から、開放的なコントロール社会へと、急速に移行しつつある。
— 『記号と事件』追伸「管理社会について」
芸術家は世界の臨床医である。
— 『批評と臨床』
われわれが世界を信じることをやめてしまったということ、これがあらゆる悪のうちでも最大のものだ。映画は世界への信を取り戻させなければならない。
— 『シネマ2 時間イメージ』
哲学者の思考は哲学者の意識を超え出ている。語られたこと以前に位置するものとしての思考──それが「思考のイメージ」である。
— 『ニーチェと哲学』『差異と反復』
どこから読み始めるか
ドゥルーズは難しい──多くの読者がここで挫折する。だが「正しい順序」で読めば、その難しさは魅惑に変わる。日本における最良の入門ルートを五段階で示す。
入門書から始める
千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)でデリダ/ドゥルーズ/フーコーの全体地図を把握。次に國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(講談社学術文庫)で「自由間接話法・超越論的経験論・思考と主体・構造から機械へ・欲望と権力」というドゥルーズ哲学の五つの柱を踏破する。
ドゥルーズ自身の言葉を聞く
『記号と事件』(河出文庫)はインタビュー集なので、各時期の主著への自註として読める。最終章「管理社会について」だけでも、現代を読み解く力が得られる。映像作品『ジル・ドゥルーズのアベセデール』(國分功一郎監修、角川学芸出版)も合わせて。
哲学史研究を一冊
『スピノザ 実践の哲学』(平凡社ライブラリー)または『プルーストとシーニュ』(法政大学出版局)。ドゥルーズが他者を読むやり方そのものが、ドゥルーズの哲学である。哲学史を「自由間接話法」で生かし直す手付きを、この段階で体感する。並行してベルクソン図鑑を読むと、『差異と反復』への足場ができる。
主著へ挑む
千葉雅也『動きすぎてはいけない』を伴走者として、まず『千のプラトー』の「序──リゾーム」と「いかにして器官なき身体を獲得するか」のプラトーから入る。次に『差異と反復』『アンチ・オイディプス』へ。最初から通読しようとせず、関心のあるプラトー/章から触れる読み方が推奨される。
芸術論で総合する
『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(河出書房新社)、『シネマ1・2』(法政大学出版局)、『襞──ライプニッツとバロック』(河出書房新社)の三作で、ドゥルーズ哲学が芸術という別の媒質でどう作動するかを見る。最後に『哲学とは何か』『批評と臨床』で全体を結ぶ。ここまで来れば、すでに「読者」ではなく「使い手」になっている。
さらに読むための資源
学術論文・主要研究書・百科事典・ウェブ資料を精選。それぞれ信頼できる入口へのリンクを掲げる。
百科事典・基礎情報
- Wikipedia「ジル・ドゥルーズ」──年譜・著作一覧・受容史を網羅
- Stanford Encyclopedia of Philosophy “Gilles Deleuze”──英語圏で最も信頼される哲学事典の項目
- Internet Encyclopedia of Philosophy “Gilles Deleuze”──もう一つの主要な英語百科事典項目
- Wikipedia「器官なき身体」──アルトーから『千のプラトー』までの概念史
- Wikipedia「千のプラトー」──主要概念の概説
- Wikipedia「生成変化」──devenirの基本理解
ドゥルーズ自身の著作(出版社ページ)
主要な日本語研究書
- 國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書/講談社学術文庫)
- 國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』講談社学術文庫版(生誕100年・没後30年記念決定版)
- 千葉雅也『動きすぎてはいけない──ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社/河出文庫)
- 千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書、2022)──新書大賞2023
- 檜垣立哉『ドゥルーズ──解けない問いを生きる』(NHK出版、2002)
- 檜垣立哉『瞬間と永遠──ジル・ドゥルーズの時間論』(岩波書店、2010)
- 宇野邦一『ドゥルーズ──群れと結晶』(河出ブックス、2012)
- 山森裕毅『ジル・ドゥルーズの哲学──超越論的経験論の生成と構造』(人文書院、2013)
- 江川隆男『存在と差異──ドゥルーズの超越論的経験論』(知泉書館、2003)
- 松本潤一郎『ドゥルーズとマルクス──近傍のコミュニズム』(みすず書房、2019)
- 福尾匠『眼がスクリーンになるとき──ゼロから読むドゥルーズ「シネマ」』(フィルムアート社、2018)
- 小倉拓也『カオスに抗する闘い──ドゥルーズ・精神分析・現象学』(人文書院、2018)
- 近藤和敬『〈内在の哲学〉へ──カヴァイエス・ドゥルーズ・スピノザ』(青土社、2019)
- 黒木秀房『ジル・ドゥルーズの哲学と芸術──ノヴァ・フィグラ』(水声社、2020)
- 鹿野祐嗣『「意味の論理学」の注釈と研究──出来事、運命愛、そして永久革命』(岩波書店、2020)
- 河出書房新社編集部編『ドゥルーズ 没後20年新たなる転回』(河出書房新社、2015)
学術論文・PDF(オープンアクセス)
ドゥルーズについて、もっと知るために
ジル・ドゥルーズとはどんな哲学者ですか?
1925年パリ生まれ、1995年没のフランスの哲学者。パリ第8大学教授。ヘーゲル的な同一性の哲学を批判し、差異・強度・生成変化・内在を核とする新たな哲学を構築しました。精神分析家フェリックス・ガタリとの共著『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『哲学とは何か』は20世紀最大の思想書とされ、ポスト構造主義を代表する一人と位置づけられます(本人はその呼称を否定)。
ドゥルーズの代表作は何ですか?
単著の主著は『差異と反復』(1968)、『意味の論理学』(1969)、『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(1981)、『シネマ1・2』(1983/85)、『襞──ライプニッツとバロック』(1988)。ガタリとの共著では『アンチ・オイディプス』(1972)、『千のプラトー』(1980)、『哲学とは何か』(1991)が三大著作です。
「リゾーム」とは何ですか?
『千のプラトー』の冒頭で展開された概念。中心も階層もなく、地下茎のようにあらゆる方向に増殖し、どこからでも切断・接続できるネットワーク。西洋近代哲学が依拠してきた「樹木的(系統樹的)」思考の対極として提示されました。建築・組織論・情報科学・芸術にまで応用されています。
「器官なき身体」とは何ですか?
アントナン・アルトーから採られた概念。組織化・有機化される以前の身体、機能に固定されず純粋な強度の流れとしてある身体を指します。『意味の論理学』で導入され、『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』で深化されました。GETTA思想体系では、メルロ=ポンティの身体図式と並ぶ20世紀身体論の双璧として位置づけられます。
ドゥルーズとガタリの関係はどのようなものでしたか?
1969年の出会いから1992年のガタリの死まで、23年にわたる思想的盟友関係。ラ・ボルド精神病院の精神分析家ガタリの臨床的概念をドゥルーズが哲学史と接合し、彫琢する──という協働が四つの共著を生みました。「二人で書く」とは、誰の名でもない自由間接話法の領域を作り出す試みでした。
ドゥルーズはどこから読み始めればよいですか?
難解な主著へいきなり挑む前に、入門書から始めるのが一般的です。千葉雅也『現代思想入門』、國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』が定評ある二大入門書。原典では『記号と事件』(インタビュー集)、または『スピノザ 実践の哲学』が比較的読みやすく、その後『差異と反復』『千のプラトー』へ進む読み方が推奨されています。
ドゥルーズは現代でも読む価値がありますか?
2025年の生誕100周年では、世界的に再評価が進んでいます。とくに「管理(コントロール)社会」概念はデジタル監視・スコアリング社会の予言として、リゾーム概念はネットワーク社会の理論的源泉として、ますますアクチュアリティを増しています。グローバル資本主義が極限に達した現在、脱コード化・脱領土化といった概念は有効性を失っていません。
ドゥルーズはなぜ自殺したのですか?
ドゥルーズは長年、慢性的な肺病に苦しみ、晩年は人工肺で生存していました。1995年11月4日、呼吸困難の極限のなか、パリ17区の自宅アパルトマンの窓から投身自殺。70歳。これは思想的絶望ではなく、肉体的限界に対する選択であったとされます。彼の最後の文章「内在──一つの生……」は、生への深い肯定を歌った遺言です。
ドゥルーズと一本歯下駄──
「器官なき身体」を装置によって作る
ドゥルーズ=ガタリが「器官なき身体(CsO)」と呼んだ事態は、西洋哲学のなかで身体を最もラディカルに脱構築した概念のひとつである。それは身体を機能の集合(器官の有機的組織)として固定する捉え方を解き、強度の流れが横断する純粋な平面として身体を描き直そうとした。だが彼らは同時にこう警告する──「いかにして器官なき身体を獲得するか」が問題なのだ、と。
ここでGETTA思想体系が立っている場所が見えてくる。一本歯下駄という装置は、まさに「慎重な実験としての CsO 獲得」のための具体的な道具として読み直すことができる。
履いた瞬間、足底の有機的支持構造は揺らぎ、固定された筋連鎖は機能不全に陥る。鳩尾・腓骨筋群・前庭系・視覚系が脱領土化される。だがそこで身体は壊れるのではない──基準線とノイズのあいだで、新しい強度のアジャンスマンが組み直される。これは破壊的な薬物的CsOではなく、装置によって慎重に開かれる持続的な器官なき身体である。
装置という第三項──身体と概念のあいだに介在し、両者を別の仕方で結びなおす媒介者──を、彼らはまだ持っていなかった。
一本歯下駄は、その不在の場所を、慎重な実験のための道具として埋めようとする試みである。
同じことは「生成変化(devenir)」についても言える。動物への生成変化、子どもへの生成変化、知覚しえぬものへの生成変化──ドゥルーズ=ガタリにとってそれは模倣ではなく、二項のあいだに不確定な領域を切り開く運動だった。「五歳の身体性」を再び立ち上げる、というGETTAの実技論は、この生成変化の概念を装置論として再翻訳するものとして読める。「五歳の身体に戻る」のではない。いま・この身体を、五歳的アスペクトと重ねて描き直す──大森荘蔵の「重ね描き」の論理が、ここでドゥルーズの生成変化と接続される。
そして「内在平面」──超越的審級なしに事物が産出される共通の場。これはGETTA思想体系の転移する文化資本論と確率共鳴・カオス共鳴論が立っている地平そのものである。資本も身体も装置もコミュニティも、すべて同じ内在平面のうえで強度として現働化する──この一元論的な記述態度こそ、ドゥルーズから学んだ最大の遺産である。
ドゥルーズの哲学は、しばしば「抽象的すぎる」と言われてきた。だがそれは、具体的な装置論を欠いていたからである。一本歯下駄という装置を通して、ドゥルーズの概念群はもう一度、具体的な身体の場所に降りてくる。
思想を深める16の核心 ─ GETTA Thinkers Encyclopedia 全16巻
一本歯下駄GETTAの背景にある、知っておきたい16人の思想家──〈身体〉〈学び〉〈文化〉〈遊び〉を再定義した古今の知の星座。
関連する6つの深掘り論考
16人の思想を、GETTAの実装的観点から読み解いた論考群。
📚 GETTA Thinkers Encyclopedia ─ 思想図鑑シリーズ全16巻
同時代を生きた思想家たちが、いかに〈身体〉〈学び〉〈文化〉〈遊び〉を再定義したか──各図鑑は独立しつつ相互に照らし合う。
文化資本/ハビトゥス/界No.02 アンリ・ベルクソン
純粋持続/生命の躍動No.03 マルセル・モース
贈与論/身体技法No.04 メルロ=ポンティ
身体図式/知覚の現象学No.05 大森荘蔵
立ち現われ一元論/重ね描きNo.06 ジル・ドゥルーズ
差異と反復/器官なき身体No.07 イサドラ・ダンカン
鳩尾/自由な舞踊No.08 イヴァン・イリイチ
脱学校/コンヴィヴィアリティNo.09 ジャン・ピアジェ
発生的認識論/4段階No.10 エリク・H・エリクソン
アイデンティティ/8段階No.11 ロジェ・カイヨワ
遊びの四類型/対角線の科学No.12 市川浩
〈身〉/錯綜体/身分けNo.13 バックミンスター・フラー
宇宙船地球号/テンセグリティNo.14 マーサ・グラハム
コントラクション/181作No.15 ルース・セント・デニス
デニショーン/神聖舞踊No.16 西田幾多郎
純粋経験/場所の論理/絶対無
本シリーズが共有する一つの問い
〈身体〉が、文化が、学びが、遊びが、近代の枠組みのなかでどのように分節され、どこで歪められ、いかに再び動詞化されうるのか。
GETTA Thinkers Encyclopedia は、この一つの問いを16の星座から照らす編集方針で構成されています。
文化身体論研究者
いま、あなたが必要なのはどの一足か?
歩行のクセを解くプロセスは、3段階で進む。
あなたの今いる段階に合うモデルから始めてください。


